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スポーツ ≠ 健全

 非肉体労働を生業にしていると運動不足になりやすい。運動不足が慢性化すれば大抵不健康な状態になる。肉体的だけでなく精神的にもそうなりやすい。運動不足でも精神的には健康な人もいないわけではないだろうが、やはり適度に体を動かすことは、肉体的だけでなく精神的な健康の為にも必要だ。


 だが、運動をしていれば、適度に体を動かしていれば、肉体的だけでなく精神的にも健康になるかと言えば、決してそんなことはない。つまり、適度に体を動かすことは健康の為に必要だが、運動さえしていれば精神的にも健康になるとは限らない
 しばしば

 健全なる精神は健全なる身体に宿る

という話を今でも耳にする。果たしてそれは事実に即しているだろうか。このフレーズは、古代ローマの詩人 ユウェナリスの16編からなる風刺詩集「Satvrae」の中の一節・「orandum est, ut sit mens sana in corpore sano」(ラテン語)がその由来で、英語では「A sound mind in a sound body」と言うそうだ。
 しかし、これは本来の意味を逸脱してしまっている表現らしく、健全なる精神は健全なる身体に宿るとは - コトバンク によると、

詩句の文脈の中では「人は、神に対して『健全なる身体に宿った健全なる精神』(Mens sana in corpore sano)が与えられるよう祈るべきだ」の意

が歪められた表現なのだそうだ。また、ユウェナリス - Wikipedia には、

ナチス・ドイツを始めとする各国はスローガンとして「健全なる精神は健全なる身体に」を掲げ、さも身体を鍛えることによってのみ健全な精神が得られるかのような言葉へ恣意的に改竄しながら、軍国主義を推し進めた。その結果、本来の意味は忘れ去られ、戦後教育などでも誤った意味で広まることとなった。このような誤用に基づいたスローガンは現在でも世界各国の軍隊やスポーツ業界を始めとする体育会系分野において深く根付いている。

ともある。
 また、肉体的健康を絶対視するものとして反論や批判の対象とされ、解釈によっては身体障害者への差別用語にもなりかねないことから、所謂放送禁止用語にも含まれているようである。


 数日前にハフポストが「「みんなが主人公に」日本初の女子プロサッカーリーグ“WEリーグ”が目指す、性別を超えた多様性が認められる社会とは | ハフポスト」という記事を掲載していた。記事にはWEリーグ代表理事 岡島喜久子の、

スポーツの力を通じて女性の地位を上げていきたい

という言葉がある。
 日本やサッカー界に限らず、スポーツの分野でも相変わらず男尊女卑が残っていることは、東京オリンピック組織委会長 森の女性蔑視発言とその後の周辺の動き(2/26の投稿)、アメリカ大学バスケトーナメントの女子と男子の大会・会場とで、ウェイトトレーニングルーム設備に大きな格差があり、選手やコーチがSNS上で問題提起し、 運営する全米大学体育協会(NCAA)は批判を受けて謝罪、女子チームに新たなウェイトルームを用意した、という件を伝える記事「男子は充実、女子一つだけ。米学生バスケ試合のジム設備に「大きな格差」。選手ら訴え、NCAAが改善 | ハフポスト」などからも明らかである。

 プロテニスを統括する団体には、ATP:男子プロテニス協会とWTA:女子テニス協会がある。またそれ以外にITF:国際テニス連盟という団体も存在する。女子は男子の1/8という男女の賞金格差や、女子選手にも男子選手並みの注目が集まるようにメディアに働き掛けて欲しい、という女子選手の要求を全米テニス協会が拒否するなどの男尊女卑が、女子テニス協会設立の背景にはあった(女子テニス協会 - Wikipedia)。
 女子テニス協会が設立されたのは1973年で、それからもうおよそ50年が経っているが、スポーツ界でも未だに男尊女卑が残っているのが実情であり、そんなことから考えても、「健全な精神は健全な肉体に宿るとは限らない」ことは明白だ。健全な精神は健全な肉体に宿るのなら、男尊女卑を背景に女子テニス協会が設立されてから50年近くも経つのに、未だに男尊女卑が残っていることの説明がつかない


 スポーツ=健全 のような先入観を多くの人が持っている。少なくとも日本では。自分も小中学校と部活動を行ってきたし、スポーツ店を営む親戚もいたが、決してそんな風には思えない。多くの選手が丸刈り頭で、高校生らしさという名目によって、どのチームも一様に、大正時代で時が止まっているのか?と錯覚するような白主体のユニフォームしか着ない、というか、実質的には着られない高校野球なんてのは、ハッキリ言って異様で、スポーツ=健全とは限らない の象徴的な存在だ。日本では未だに軍隊式精神論の類がスポーツ界に根強い。そんなものが残っているのに一体どこが健全なのだろうか

 スポーツ=有害 という側面だって確実にあるのに、それをメディアがあまり伝えようとせず、スポーツ=健全 というイメージばかりを強調しているように感じる。特にオリンピックなどはその典型的な例だ。このような記事を目にするとそれを再確認させられる。

【思ふことあり】スポーツジャーナリスト・増田明美 的外れな告げ口に対抗を(1/2ページ) - 産経ニュース


 前述の女子サッカープロリーグの件だったり、「アスリートは人生をかけた、黒人差別と闘うために。モハメド・アリや伝説の表彰台抗議が紡いだ闘いの記録 | ハフポスト」という記事に書かれた件だったり、スポーツの力を良い方向に役立てようとする人も確実にいる。
 しかし、3/19の投稿で書いた、オリンピックメダリストで前五輪担当大臣、そして現東京オリンピック組織委会長の橋本 聖子や、島根県の丸山知事が聖火リレーについて、県内での実施中止を検討していることに対して、「スポーツを政局の道具に利用するのはいかがなものか⁈スポーツは心のワクチン!」とか言っている青山学院大学陸上部監督の原 晋や、

女性蔑視発言をやった森を擁護するようなことを言ったり、積極的に批判しようとしない、共にオリンピックメダリストのJOC会長 山下や、スポーツ庁長官 鈴木 大地、

森の後釜として組織委会長就任を指名されたが、SNSやテレビ等で歴史修正主義的、民族差別的な発言を繰り返していることがWeb上で強い批判に晒されたことで、辞退することになった、元サッカー選手、元日本代表監督で東京オリンピック選手村村長の川淵(2/12の投稿)、ボクシング 井岡 一翔選手の刺青問題について「本当に必要なら、生まれてくる時に(タトゥーが)入ってるんじゃないですか?(だから)多分タトゥーはいらないんじゃないですかね」と言い放った、元サッカー日本代表の内田 篤人(1/17の投稿)など、スポーツ選手・関係者が全て健全とは限らない例は、2021年以降だけでも複数ある

 特に、オリンピック関係者などは最早カルト信者と言っても過言ではないような状況で、邪悪な精神が宿っている、邪悪な思想に蝕まれている者ばかり、とすら思えてしまう。


 トップ画像は、Photo by Jonathan Chng on Unsplash を加工して使用した。

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