スキップしてメイン コンテンツに移動
 

多様性尊重という羊頭狗肉、東京、日本にオリンピック開催の資質はある?

 オリンピックシンボル - Wikipedia によれば、同じ大きさの結び合う5色の輪がデザインされたオリンピック・リングは、ヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカ、アジア、オセアニアの五大陸と、その相互の結合・連帯を意味しているそうだ。


 このデザインは、古代オリンピックの開催地の一つであるデルフォイの祭壇にあった休戦協定を中に刻んだ五輪の紋章に由来するそうで、「平和の発展を願う」思いが込められているようだが、それはつまり、多様な国と民族が争いのない状態になることを願っているとも言い換えられるだろうから、LGBTの多様性を示すレインボーフラッグと同様に、多様性の象徴とも捉えることが出来そうだ(レインボーフラッグ (LGBT) - Wikipedia)。
 ダイバーシティ・多様性の尊重は、21世紀の世界で最も重要視される価値観の1つであるものの、未だに世界中に人種・民族差別、性差別は多く存在し、お世辞にも多様化が実現しているとは言えない。そんな中で、2020年に開催予定だった東京オリンピックは、

Know Differences, Show Differences. ちがいを知り、ちがいを示す。

というスローガンを掲げるなど、多様性の尊重を大会コンセプトの一つに据えていた。

  こんなイメージ映像まで作って、その中には「スポーツと未来を変える力がある」というコピーもあるのに、つい先日世界中に波紋を広げたのが、東京オリンピック組織委会長だった森の女性蔑視発言だった(2/4の投稿)。当初それを日本メディアが明確に差別としなかったことや意図的な矮小化があったこと(2/5の投稿2/6の投稿2/7の投稿)、擁護する者がオリンピック関係者や政府与党関係者などに多く、著名人にも少なくなかったこと(2/9の投稿2/10の投稿2/13の投稿2/17の投稿)、森の後釜候補に最初に挙がったのが民族差別的な主張をしている川淵 三郎だったこともあって(2/12の投稿)、少なくとも東京、というか概ね日本は、差別が残る現状を、オリンピックを開催しても変える気がない、と世界中に示した格好になった。この映像や「多様性の尊重」という東京オリンピックのコンセプトは羊頭狗肉である、ということもアピールする結果となった。


 しかしオリンピック開催都市である東京、そして日本の人権問題は性差別にとどまらない。昨日のNHKの記事によると、都立高校の4割以上で、髪の毛が黒以外の色やくせ毛の生徒に、地毛であることを証明する届け出を、未だにさせているそうである。

 都立高 4割余が地毛証明求める|NHK 首都圏のニュース

 肌の色や目の色で人を区別してはいけない。それは紛れもない人種差別であることは、成人の日本人なら誰もが知っているはずだ。しかし都立高校が髪の毛の色や質で人を区別するということをやっている

 学校による生徒への黒髪強要は2017年に大きく注目を浴びており、当時相応の批判が上がった(2017年10/28の投稿)。同時期に理不尽な所謂ブラック校則への注目も集まり始めていて、地毛証明書への批判も間違いなく起きていた(「地毛証明書」、都立高の6割で 幼児期の写真を要求も:朝日新聞デジタル)。
 一方で、東京オリンピック招致が実を結んだのは2013年9月だ。前段で示したリンク先を見れば分かるように、組織委は招致段階で「多様性の尊重」を謳い、そして開催決定後もそれを当然継承しアピールしてきたわけだが、開催都市である東京の都立高校では、もう数年前から大きな批判の声が上がっているにもかかわらず、未だに4割の高校が地毛証明という人種差別的な愚策を続けている状況なのだ。

 因みに、2017年に黒髪強要が注目を浴びるきかっけになったのは、大阪の女子高生が強要がきっかけで不登校になったことを訴えたからだったが、2/16に大阪地裁がその訴えを認め、大阪府に賠償を命じた(髪の黒染め強要、大阪府に33万円賠償命令 不登校に追い込まれた元女子生徒勝訴<地裁判決>:東京新聞 TOKYO Web)。

 

 オリンピックリングは、場合によっては単色で描かれることもある。例えば1964東京オリンピックのエンブレムでは、ゴールド一色で描かれていた。2020東京オリンピックのエンブレムでは、オリンピックリングは通常通り5色で描かれているが、東京オリンピックのオリンピックリングは、黒一色で描いた方が東京や日本の実情に即しているのではないか。そんなことを示唆したのが今日のトップ画像である。

 IOCは森の女性蔑視発言に対しても消極的な態度を示していたし、この投稿で示したような、東京で人種差別が、しかも子供に対して平然と行われていることも、積極的に疑問視はしないだろう。
 なぜIOCがそのような姿勢なのかは簡単に推測することが出来る。チベットやウイグル、香港に対する弾圧、民族差別的な政策を行っていることを理由に、2022北京オリンピックへの懐疑論がにわかに話題になり始めている。旧西側諸国がボイコットを検討しているという話もある。もし東京オリンピックが、女性差別や人種差別で潰れたら、北京オリンピックも確実に潰れることになるだろう。IOCはオリンピックが2大会連続で中止に追い込まれることは是が非でも避けたいはずだ。
 また、東京オリンピックがもし中止されるとして、それが差別問題でなくコロナ危機が理由であったとしても、結局中止の前例が生まれることになり、は北京オリンピックへの風当たりも強くなることは間違いない。だからIOCも、

東京五輪の観客、IOCバッハ会長「4~5月に判断」 - 東京オリンピック:朝日新聞デジタル

こんな風に開催の可否、観客動員の是非判断を遅らせられるだけ遅らせて、いざそのタイミングになったら「ここまで来たらやるしかない」などと、なし崩し的に開催するつもりなのだろう。


 このようなことを目の当たりして、一体どれだけの人がオリンピック開催に賛同するだろう。このようなことから目を背ける人でなければ、こんなにも黒いオリンピックの開催に賛同できないのではないか。

 

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。

同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる

 攻殻機動隊、特に押井 守監督の映画2本が好きで、これまでにも何度かこのブログでは台詞などを引用したり紹介したりしている( 攻殻機動隊 - 独見と偏談 )。今日触れるのはトップ画像の通り、「 戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死 」という台詞だ。