スキップしてメイン コンテンツに移動
 

合理性のない受動喫煙対策は好ましい結果に繋がらない


 産経新聞は12/18に「来年7月から全面禁煙 学校や病院など ラグビーW杯に間に合わせ」という記事を掲載した。率直に言って誤解を招く恐れの強い見出しと言わざるを得ない。他のメディアの関連記事の見出しは、
であるのに対して、産経新聞の見出しには ”屋内” の2文字がない。記事本文を読めば「屋内全面禁煙化」であることは分かるのだが、世の中には見出ししか読まない人、記事には興味がないのに見出しだけ目に入ってしまう人が確実に存在する。勿論記事内容を確認せずに書いてない事を書いてあったかのように語る事にも問題はあるが、そのようなケースに配慮して、特に大手と言われるような影響力の大きい報道機関は、極力誤解を生まない記事を書き、誤解を生まない見出しを掲げる事を心掛ける必要があるのではないか。


 このブログでも、受動喫煙対策の必要性と過剰な喫煙者排除に関してこれまで何度か投稿してきた。タバコの煙に発がん性物質が含まれている事は明らかで、受動喫煙によって非喫煙者がその影響を受けなくても済むようにする対策は確実に必要だ。その為には原則的な公共的な場所の屋内禁煙化の必要性もあるだろう。しかし日本では、既に原則的な公共空間の屋内禁煙化を行っている諸外国とは異なり、屋外での喫煙すら全面的に嫌悪するような風潮がある。
 マンションのベランダでの喫煙で洗濯物に臭いが付くかもしれないとか、公園での喫煙も煙が気になるなどの話が当然のように語られる。気になるのは分かる。気になることまで否定するつもりはない。しかしそんな事を言ったら、近くに飲食店があるマンションでは毎日食べ物の臭いが漂っている。公園で煙が気になるという話も、喫煙所に近づかなければいいだけだし、全面禁煙でない公園でも1日中煙がモクモクということでもないだろう。
 確かに路上喫煙禁止区域にある小さい公園が喫煙所化しているケースもあるだろうが、なぜその小さい公園が喫煙所化するかと言えば、周囲の路上を禁煙化して罰則まで設けたからであって、周囲の路上喫煙禁止によってその公園が喫煙所化したとも言えるのではないか。路上全面喫煙禁止にしなければタバコを吸う人は分散するだろうから、その小さい公園が喫煙所化することはなかったはずだ。つまり全面禁煙化は思わぬ弊害を生む場合も多く、分煙化・喫煙所の設置をすることも必要と言えそうだ。
 それを裏付けるような話を、読売新聞が「大学近くの路上喫煙増加、住民苦情で喫煙所存続」という見出しで記事化している。大学が敷地内全面禁煙を実施した結果、周囲の路上や校門前での喫煙が増加し、周辺住民から苦情が寄せられ、結局全面禁煙を撤回して分煙に戻したという話だ。○○全面禁煙化が必ずしも抜本的な受動喫煙対策にならないという側面は、この記事の件からも垣間見える。タバコを吸える場所を過度に狭めてしまえば特定の場所に喫煙者が集まり、その周辺は煙が絶えず立ち上るのような状況になるし、過度に喫煙場所を狭めれば、少なからずそれを無視する者も出てくるだろう。「ルールはルールだから守れ」教徒の人にしてみれば、決められたルールを守れない喫煙者が悪いという事になるのだろうが、合理性の決して高くないルールを押し付けられた人がどんな行動に至るか、という事も勘案する必要がある。というかそもそも合理性の低いルールを作る事自体が適切でない。

 12/2、セブンイレブンが都内の加盟店に灰皿の撤去を要請したという話が報道された(FNNの記事)。記事によれば「東京オリンピック・パラリンピックを前に、受動喫煙対策が強化される中、近隣住民などから要望が増えたため」とその理由が説明されている。この手の話が取り沙汰されるのはこれが初めてではなく、このブログでは 2017年2/3の投稿 でも触れている。一体屋外の灰皿撤去の何が受動喫煙対策なのか理解に苦しむ。
 現在首都圏の駅は殆どが全面禁煙化されている。駅が全面禁煙化され始めた時にも感じたことだが、駅を全面禁煙化したのにキオスクで煙草を売っているのは何故か。勿論「別の場所で吸って下さい」とか「利便性を考慮して販売は続けます」ということなのだろうが、その影響で駅の敷地を出てすぐ付近で携帯灰皿を使用してタバコを吸う人が増えたら、駅の入り口は人がそれなりに集まる場所だろうし、受動喫煙対策にはならないのではないか。寧ろ喫煙所を整備することの方が受動喫煙対策になるのではないか。コンビニの灰皿を撤去したところで駅よりもその傾向が顕著にあらわれることは容易に推測できる。コンビニが受動喫煙対策を行いたいのであれば、コンビニ利用者が煙を吸わなくて済むような位置、例えば店舗入り口とは一定の距離を置いた場所に灰皿を設置して喫煙場所を設けたほうが効果があるのではないか。灰皿をどうしても撤去したいのなら、一緒にタバコの陳列棚も撤去するべきだろう。つまりタバコの販売も取りやめるように運営側が要請するべきだ。恐らく売り上げが一定程度期待できるタバコ販売の取り止めを要請することは出来ないというのが実情なのだろう。

 自分はこのブログの投稿、
などで、感情的な喫煙者排除論への疑問を呈してきた。文筆家の古谷 経衡さんも、産経新聞系のオピニオンサイト・iRONNAに掲載された記事「禁煙ファシズム 潔癖の代償―喫煙ヘイト亡国論―」で、行き過ぎた喫煙者嫌悪に疑義を呈している。差別を声高に嫌悪している人の中にも確実に、喫煙者差別に無頓着な人がいる。そんな人たちにこのような主張が届かないのは、沖縄や外国人差別を厭わず呈する人達に、その不適切さを指摘する主張が響かないのと似ている。ベクトルが違うだけで中身は同じようなタイプの人だと強く感じる。
 一応念の為に書いておくが、喫煙派の人の中にも感情的な主張をする人がいる。例えば自分は6/23の投稿「穴見議員の野次、議員は国民の映し鏡」でその不適切さも指摘している。喫煙派・禁煙派の両方に言えることだが、感情的に振舞ったり、感情を重視し過ぎたルールを設ける事は確実に好ましくない。人間が感情に従う事はある意味では自然なことだが、感情を優先し過ぎると立場の異なる者通しの溝を埋めることは十中八九実現しない。

このブログの人気の投稿

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。