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果たして今、日本の言論の自由は維持されているのか


 コラムニストの小田嶋 隆さんの、
 バカな人たちが無思慮に乱用したおかげで、有効性を失いつつある言葉がいくつかある。「印象操作」とか。
というツイートがタイムラインに流れてきた。このツイートは7/4付なので、恐らく小田嶋さんは、7/3に日本記者クラブで開かれた各党首による討論会の中で、安倍氏が再び「印象操作は止めろ」という趣旨の発言をしたことを受けてこのツイートをしたのだろう。当該発言がどのような内容だったかについては、自分も7/4の投稿で書いた。


 因みに「印象操作」とは、コトバンク/知恵蔵miniによると、
 生活の中でさまざまな役割を求められる人間は、自身の言動を意識的・無意識的にその役割に沿うようにコントロールして、相手に与える印象を管理しているという概念。カナダ出身の社会学者アービング・ゴフマンが1950年代に提唱したとされる。
なのだそう。同ページのデジタル大辞泉の解説には、
 相手が抱く自らや第三者への印象を、自分にとって好都合なものになるよう、情報の出し方や内容を操作すること
とあるが、九州大学付属図書館のサイトでも知恵蔵mini同様の説明がなされているのを見ると、本来は相手に与える印象をコントロールする為に自身の言動をコントロールすることを言い現わした表現のようだ。辞書に既に大辞泉のような解説がある以上、安倍氏の「印象操作」という表現の使い方が必ずしも間違っているとは言い切れないが、言葉の意味や漢字の読み等についてはかなり「ゆるふわ」な彼のことだから、知恵蔵miniや九州大学付属図書館の解説のような話は殆ど理解せずに「印象操作」という表現を使っているのだろう。


 無思慮な濫用によって有効性を失いつつある言葉は「印象操作」以外にも沢山ありそうだ。例えば、3/2の投稿では
 「真摯に受け止める」という表現は、慣用表現として「勘案する素振りを見せながら無視する」単に「無視する」、転じて「二枚舌を使う」という意味を持つことになってしまった。
という話を書いた。 それ以外にも
  • 丁寧な説明黙ってほとぼりが冷めるのを待つ
  • 国民の声に耳を傾ける:聞くとは言ったが対応するとは言ってない
  • 出来ることは全てやる:できること以外しない
などは、無思慮な濫用が繰り返された結果、皮肉的な第2の意味がその表現に付いてしまったように思う。 他にも「○○に寄り添う」「誤解を招く」なども、従来の意味とは別の「転じて~」の意味が、皮肉にも昨今の政治家らの濫用によって付加されてしまったのではないだろうか。

 これらの表現と同様に、昨今濫用が著しい表現に「言論の自由/表現の自由」がある。言論の自由とは、(権力によって)検閲を受けることなく自身の思想・良心を表明する自由を指す。自由権の一種(Wikipedia)ではあるが、どうも「自由」の部分を恣意的に解釈している者が多いようで、「何を言っても批判されない権利」とか、「何を言っても咎められない権利」のような誤認が多く、暴言・過激な発言・他人の権利を侵害する恐れのある発言の正当化にもしばしば用いられてしまっている。
 最近で言えば、丸山 穂高氏(5/16の投稿)や長谷川 豊氏(5/23の投稿)らがその手の雑な解釈を披露し、問題視された自身の発言を正当化しようとしていた。また、安倍氏はこの言論の自由についても充分な理解が足りていないという指摘も、2/13の投稿「恣意的な「言論の自由」「事実誤認」の解釈をする政権首脳」で書いた。


 そうやって濫用する政治家の所為で、「言論の自由」という表現の印象はやや悪化させられてしまっているが、だからと言って、

 言論の自由は民主主義を維持するのに必要不可欠

ということには、これからもこれまでと同様で何ら変わりはない。昨日は、その言論の自由が日本では危うくなっているのではないか、と感じさせる記事2つが目に付いた。
 その1つは「ロンブー田村淳、政治的発言をツイッターで行わなくなった理由を告白「竹島問題をつぶやいたら、レギュラー番組を降板させられた」」という記事だ。これは7/6放送の文化放送「ロンドンブーツ1号2号田村淳のNewsCLUB」の書き起こしだ。見出しの通りの内容で、お笑い芸人の田村 淳さんは、
田村淳:へぇ。俺はもう、ツイッターで政治のことをつぶやくのやめたんだよね。
パトリック・ハーラン:ああ、叩かれた?
田村淳:レギュラー失っちゃうから。
パトリック・ハーラン:そうなんですよね。
田村淳:俺、竹島問題をつぶやいたんですよ。
パトリック・ハーラン:おお、なんつった?
田村淳:「国際司法裁判所で争いましょうよ」ってつぶやいたら…
パトリック・ハーラン:それ、ダメなの?
田村淳:それ、ダメらしくって。ダメらしくってっていうか、決まってたレギュラー番組、降ろされて。
という経験から、ツイッターで政治に関する主張をしなくなったそうだ。言論の自由とは、基本的には自身の思想・良心を表明することを権力に脅かされない権利だ。田村さんを決まっていたレギュラー番組から降板させるという行為に、国家権力が関与していたかどうかは定かでないが、もしその行為に関して主体的に、又は間接的に国家権力が関わっていなかったとしても、国家権力への忖度によってその様な行為が行われたのだとしたら、日本では言論の自由が危うい状態にあると言っても過言ではない。
 7/7の投稿でも触れたように、安倍自民党政権成立以降、日本の報道の自由が怪しい状態にあるという複数の指摘がある。もしかしたらこの話も、国家権力からの直接的な圧力があったということかもしれないし、圧力がなかったとしても、メディアの委縮によって引き起こされた事案なのかもしれない。

 もう1つは、朝日新聞が報じた「福島住民「首相への本音、止められた」 演出される復興」だ。この記事は有料記事で且つ論旨が冒頭にまとめられていないので、全ての人が重要な部分を目にすることが出来ないのが残念だ。復興庁が企画して行われた、福島県大熊町民5名と安倍氏との座談会に関する記事で、
 安倍氏との座談会に出席する町民は復興庁と町が選出し、その町民らに対して、復興庁の要請で大熊町が用意した発言案を読むことが強制され、町民らは自らの思いを伝えることを止められた
という内容である。もしこの記事の内容が事実と大きく乖離していないのだとしたら、明らかに言論の自由/表現の自由の否定だ。前段の田村さんの件とは異なり、国家権力が住民の自由な表現を明らかに抑止している。
 これら2件については、前者は田村さんの証言のみ、後者は朝日新聞以外にこの件を伝えているメディアがなく、現時点ではどちらも内容が事実に即していると断定するわけにはいかないが、もしこれらの話に大きな間違いがないのだとしたら、日本の言論の自由は既に危機的な状況にあると言ってもいいかもしれない。


 香港では「逃亡犯条例」改正案に抗議する大規模デモが先月の初旬に起きて(6/10の投稿)から、今でもまだ抗議活動は断続的に続いている(CNN「香港・九龍地区で大規模デモ、中国人観光客に訴え」)。そのような動きになっているのは香港市民が自由が脅かされる危機的状況だと認識しているからに他ならない。
 日本でもこの投稿で取り上げたように、言論の自由が危機に瀕している懸念もあるし、現政権下では改竄/捏造/隠蔽/不適切廃棄等が頻発しているにも関わらず、多くの日本人には危機的な意識はなさそうだ。
 7/6の投稿の余談の部分でも書いたことだが、1970年代から指摘されてきた少子化問題について、経済的な余裕のあったバブル期には大した手当もせず、二進も三進もいかなくなってしまった今になって問題視し始め、更に今もまだ抜本的な対策をしていない政府への支持が50%を超えているのを見ると、
 日本人とは切羽詰まるまで動かないどころか、手遅れになっても尚動かず嘆くだけで、そのまま諦めるのがその国民性なのかもしれない 
と感じる。言い換えれば、当事者意識に著しく欠けているのが日本人の特徴ということかもしれない。いじめの傍観問題や沖縄基地問題に対する本土の人の認識の甘さ、軽さ、誤認などもその所為なのだろうか。

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