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参院選始まる。選挙戦初日の各党の動向に関する報道を見た感想


  昨日・7/4は第25回参議院通常選挙の公示日だった。実質的な選挙戦は既に数か月前から始まっていたと言っても過言ではないが、一応本格的な選挙戦に突入したと言っておくべきだろうか。およそ2週間の選挙戦の後、7/21に投開票が行われる。6/26の投稿で書いたように、直近の国政選挙の投票率はおよそ50%台で推移している。20代・30代は更に低く30%台(20代)/ 40%台(30代)程度の投票率しかない。兎に角言いたい事は、

 「政治はよく分からない」でも全然構わないので、とりあえず投票して!

という事だ。その理由は後述する。
 選挙戦初日ということもあって、各メディアが各党首の初日の演説をまとめた報道をしていた。個人的に気になったのは、冒頭で引用したカットを含むTBSの「参院選公示、各党党首が第一声」だ。これは昨日・7/4の昼のニュースで放送された映像だ。



 テレビは、公共の電波の独占的な使用に関する特別な許可を得て運営していることなどを理由に、日本では他のメディアと違い、法律によって政治的な中立性が求められている。どうやってその中立を実現するのかは、ある程度は各放送局に任されており、特定政党だけを取り上げているという批判を避ける為か、概ね有力政党をほぼ同じバランスで取り上げることが多い。少数派の政党に関してもとりあえず名前だけは上げておくということが多い。但し討論会などの場合には、少数派政党はまるまる省かれることもある。
 前述のTBSの記事/放送では、前半に有力政党の党首による演説を抜粋して紹介し、中盤以降は各党が比例名簿を提出したことに交え、少数派政党の名称も紹介するという構成だった。



 気になったのは最後の「比例代表」というカットだ。このカットでは前述のように少数派政党を紹介している。しかし何故かそこに、自由党から離党した山本 太郎議員が4月に結成した「れいわ新選組」がない。自分の周りではネットでもリアルでも、山本氏とれいわ新選組の動向はある程度話題になっている。勿論「俺の周りで話題になっているのだから、世間一般でも同じはずだ」とまでは言えないが、れいわ新選組からは、元 北朝鮮による拉致被害者家族連絡会事務局長・蓮池 透さんなど多様な候補者を擁立しており、一部では確実に話題になっている。
 特に注目すべきは、脳性まひの女性・木村 英子さんとALS(筋萎縮性側索硬化症)の男性・舩後 靖彦さん、つまり介助者の同行が必要な重度の身体障害者2人を擁立したことだ(ハフポスト「【参院選】脳性まひの女性とALSの男性が立候補へ。れいわ新選組が擁立。介助者が代読した演説文に拍手喝采」)。重度の障害者がこれまでに国会議員に立候補したというのは、自分の知る限りではない(つまり、もし以前にもあったとしても確実に注目すべき事案だということ)。しかもこの2人の立候補は昨日発表されたわけでもない。なのに何故かテレビ報道では殆ど取り上げられていない。

 自分は昨日まで、「如何に重度の障害を持つ人の立候補が異例だとしても、公示前とは言え選挙間近に特定の候補者を取り上げるのは中立性の観点から好ましくない、などの理由でテレビでは取り上げられないのかも」と、何となくではあるが想像していた。しかし、テレビ朝日・報道ステーションのこの放送のように、




注目される選挙区を個別に取り上げ、その選挙区の候補者を紹介することはよくあることだ。前述の2名を取り上げるのと同時に、他党の注目候補も取り上げるなどの手法を用いれば、それと同様に彼らの立候補を、放送における中立性に反さずに紹介することは出来るだろう。
 TBSの当該記事/放送を見て、中立性の観点から障害者の候補者を取り上げないわけではなさそうだと思えた。何故ならTBSが列記した少数派政党の中に れいわ新選組の名称がなかったからだ。TBSやその他の放送局が意図的に れいわ新選組を取り上げていないのかどうか、その真相は決して定かでないが、このようなことから判断すると、「もしかしたら意図的に排除しているのでは?」「何らかのどこかへの忖度が働いているのでは?」という疑念を抱いてしまう。もしかしたらTBSが取材した時点でれいわ新選組の名簿提出がされていなかったという可能性もないわけではないが、それ以前から参院選への候補者擁立は周知されていたのに、確認・取材もせずに党名掲載から除外したのなら、怠慢と言ってもよいのではないか。
 因みにテレビ朝日・報道ステーションのこの回の放送は、れいわ新選組に限らず少数派政党には全て触れない構成になっている。それはそれで中立性に対する配慮なのだろうが、TBSの取り上げ方は、少数派政党の中で名称が紹介された党とされなかった党があったので疑問が残る。


 このテレビ朝日とTBSの記事/放送の中で自分がツッコミを入れたくなったのは、やはり安倍氏の演説である。


 どちらの放送でも安倍氏が憲法改正について論じる様子が取り上げられていたのだが、彼は憲法審査会が殆ど機能していない事を強調し、野党が審議に応じていないとし、スクリーンショットにあるように
 議員としての責任を果たさず、審議を全くしない政党や候補者を選ぶのか
と述べている。
 確かに今年の通常国会で憲法審査会は殆ど開催されず、産経新聞によれば「衆院で1日、2時間程度行われただけで、参院はゼロだった」そうだが、特に厚労省の毎月勤労統計調査不正発覚以降、景気が減速している、というか寧ろ後退していることを示す複数の数値が示され、消費増税を本当に今年の10月に行うべきなのかや、金融庁が発表した所謂「年金支給だけでは老後の生活費が2000万円する」という報告書の是非等についても、本来はその妥当性を国会の中で審議するべきなのにもかかわらず、政府が一方的に「不適切」と決めつけてしまい、それを援護するかのように与党・自公が頑なに予算委員会の開催を拒否し続けていたことに関して、一体彼はどのように思っているのだろうか。自分の目には、
 安倍氏は自民党の総裁として、「審議を全くしようとしない自民党・公明党とその議員には投票しないでください」と自戒している
ようにすら見える。
 毎日新聞が7/3に掲載した記事「首相インスタに登場 TOKIO、吉本新喜劇…… 気になる権力者と芸能人の距離」を読んで頭に浮かんできたのは、
 勤労統計不正以降、バブル越えの景気などのアベノミクスの成果がハリボテだったことが露呈し(3/8の投稿)、これまで強調してきた「外交のアベ」もハリボテだったことがG20の前後で露呈し(6/29の投稿)、 経済の成果を誇れなくなった3月以降、自民総裁でもある首相が芸能人との関係性を強調し始めたり(5/25の投稿7/1の投稿)、自民党は中身の薄いイメージ重視のキャンペーンを行ったりしてきたが(5/3の投稿6/22の投稿)、流石に選挙戦で「芸能人の誰々と仲が良い」とアピールする訳にもいかないし、中身の薄いイメージ重視のキャンペーンを前面に押し出せば、それこそハリボテ感が更に強調されてしまうしで、とうとう憲法改正しか訴えることが無くなってしまった。
 憲法改正しか強調することがなくなってしまった為に、積極支持者なら疑問を持たないだろうが、少し政治に関心のある人なら違和感を抱かない筈がない「審議を全くしない政党や候補者を選ぶのか」という自分達の首を絞めかねない演説をしても、そのおかしさに気が付かなくなっている。
ということだ。別の言い方をすれば、「それ程安倍氏や自民党は有権者を舐めている、馬鹿にしている」とも言えそうだ。

 テレビ朝日はYoutubeチャンネルで、放送で取り上げた主要7党首の演説のほぼ全部を公開している。



 冒頭で「政治はよく分からない」でも全然構わないので、とりあえず投票して!
という話の理由は後述する、と書いた。次のムービーの話なども交えて。、それについてもこの投稿で書こうと思っていたのだが、書いている内に他の話が長くなってしまったので、それについては明日の投稿で書くことにする。



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