スキップしてメイン コンテンツに移動
 

責任の所在、誰がその責任をとるのか


 政府が国会審議も通さずに一方的に法解釈を変え、定年の延長を決めた東京高等検察庁の検事長人事が問題になったのは今年の2月のことだった。なし崩し的にその人事は勧められ、黒川 弘務検事長の定年延長を政府は閣議で決定、だが、その決定の合理的な根拠の提示を求められても、政府はまともに提示することが出来ていなかった。

 政府と与党はその政治的な決定についての合理的根拠を後付けしようとしたのか、政府が認めれば検察幹部がそのポストに最長3年も延長してとどまることができる特例を含む、検察庁法改正案を、このコロナ危機下で強引に成立させようとした。だが、#検察庁法改正案に抗議します#週明けの強行採決に反対します の声が、コロナ危機下で物理的デモができないこともあって、SNS上で高まり、更に支持率の30%台への急落もあり、今国会での採決を見送るという決定が示されたことは、5/19の投稿で書いた。
 しかしそこで話は終わらなかった。昨日の投稿でも少し触れたが、

黒川弘務東京高検検事長 ステイホーム週間中に記者宅で“3密”「接待賭けマージャン」 | 文春オンライン


 と報じられ、しかも、当事者らも賭け麻雀を認め、黒川氏は辞意を表明した。

 違法な定年延長で職に居座った検事長が、賭け麻雀で辞意を表明という、いくつも指摘しなければならないことが含まれている話ではあるが、この投稿ではそれには触れないでおく。この件で責任をとるべきは誰なのか、に話の焦点を合わせることにする。


 黒川氏の辞任は懲戒ではなく、訓告にとどまるという判断が法務大臣によって示されたが、各所から処分が人事院の指針よりも軽いと指摘されている。

黒川弘務検事長の訓告処分「あまりに軽い」 批判相次ぐ | ハフポスト

人事院の指針は、賭博をした職員は減給か戒告、常習として賭博をした職員は停職と定めている。
果たして黒川氏は訓告処分と辞任で、そしてその決定を下した法務大臣は、「責任をとった」と言えるだろうか。その判断は人それぞれだろうが、これまで、黒川氏でないと、現状に対応できないから、法解釈を変更して定年を延長した、という旨の説明をしていた法務大臣も含めて、全くその発言や決定に対する責任を果たせていないとしか思えない。

 この件に関して、昨日行政府の長である首相の安倍も、ぶら下がりで記者質問に応じている。

【ノーカット】黒川検事長が辞表提出 安倍総理会見


 そもそも、これ程の事態なのに、記者会見を開かずにぶら下がりでしか質問に応じないというのはどういう了見なのだろうか。相変わらず、「総理大臣として当然責任がある」と述べているが、記者会見も開かないのだから、彼の言う責任が如何に軽薄短小なものかが滲む。
 この安倍の発言を受けて、これまでの彼の「責任」に関する発言を集めダイジェストにしてみた。ツイッターでの公開が前提だったので、2分に納める為にやや早回しの加工をしている。


 これを見れば、何度安倍が「責任は私にある/痛感している、国民にお詫びする」と言ってるか、がよく分かる。しかも、その大半は任命責任についてである。つまり同じ過ちを何度も繰り返しているのが、この安倍という男である。これだけ同じことを繰り返すということを考えれば、この男は反省もしていなければ、責任の何たるかも理解せずに、ただただ口先だけでそう言っているだけ、としか思えない。


 更に今日はこんな話も出てきた。

森法相の進退伺い 首相が「強く慰留」|TBS NEWS


私自身、責任を痛感しております。昨晩、総理に進退伺を提出したところでございます。総理からは強く慰留されました
と森法務大臣が国会審議の中で答弁している。辞任を申し出た法務大臣を慰留する、ということが、安倍の感じている責任の程度である。つまり、彼にとってこの件はその程度のことなのだ。このことから考えても、彼は責任の何たるかを理解できていないとしか思えない。
 そこで思い出されるのが、前掲のダイジェストにも含めた、4/7の緊急事態宣言に際して開いた会見での、「危機対応に失敗したらどう責任をとるか」という旨の質問に対する、
責任を取ればいいというものではない
という発言だ。責任の何たるかを理解できない者に責任など取ることができる筈がない。日本の有権者は、「他よりよさそう」なんて理由で、この体たらくな男に7年以上も首相を続けさせている。これは間違いなく異常な事態だし、そんな意味で緊急事態だ。


 これまでにも、
などで、首相やその周辺が用いる詭弁によって、どれだけの日本語表現が破壊されているか、彼らが言葉の意味をどれだけ間違っているか、適切に認識していないか、恣意的に解釈しているかについて書いてきた。そこに「責任」という言葉も加えなくてはならないことは、この投稿での指摘から明白だろう。

 
 このままでは、更に多くの日本語が壊される。勿論、日本語だけでなく日本の健全性、日本全体の対外的な信頼性も間違いなく破壊される。


 トップ画像は、Pete LinforthによるPixabayからの画像 を加工して使用した。

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる

 攻殻機動隊、特に押井 守監督の映画2本が好きで、これまでにも何度かこのブログでは台詞などを引用したり紹介したりしている( 攻殻機動隊 - 独見と偏談 )。今日触れるのはトップ画像の通り、「 戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死 」という台詞だ。

フランス人権宣言から230年、未だに続く搾取

 これは「 Karikatur Das Verhältnis Arbeiter Unternehmer 」、1896年ドイツの、 資本家が労働者を搾取する様子を描いた風刺画 である。労働者から搾り取った金を貯める容器には、Sammel becken des Kapitalismus / 資本主義の収集用盆 と書かれている。1700年代後半に英国で産業革命が起こり、それ以降労働者は低賃金/長時間労働を強いられることになる。1890年代は8時間労働制を求める動きが欧米で活発だった頃だ。因みに日本で初めて8時間労働制が導入されたのは1919年のことである( 八時間労働制 - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

馬鹿に鋏は持たせるな

 日本語には「馬鹿と鋏は使いよう」という慣用表現がある。 その意味は、  切れない鋏でも、使い方によっては切れるように、愚かな者でも、仕事の与え方によっては役に立つ( コトバンク/大辞林 ) で、言い換えれば、能力のある人は、一見利用価値がないと切り捨てた方が良さそうなものや人でも上手く使いこなす、のようなニュアンスだ。「馬鹿と鋏は使いよう」ほど流通している表現ではないが、似たような慣用表現に「 馬鹿に鋏は持たせるな 」がある。これは「気違いに刃物」( コトバンク/大辞林 :非常に危険なことのたとえ)と同義なのだが、昨今「気違い」は差別表現に当たると指摘されることが多く、それを避ける為に「馬鹿と鋏は使いよう」をもじって使われ始めたのではないか?、と個人的に想像している。あくまで個人的な推測であって、その発祥等の詳細は分からない。