スキップしてメイン コンテンツに移動
 

「野党による同性婚を認める法案の提出」によって見える、政府与党とメディアの方針


 立民・共産・社民の3党は、同性婚を認める内容の民法改正案(婚姻平等法案)を6/3に国会へ提出した。自分はこの件をBuzzFeed Japanの記事「「すべての人は平等だから、選択肢の保障を」同性婚を認める法案を野党3党が共同提出」 で知った。記事によると同性愛を公表している立憲民主党・尾辻 かな子議員らが中心となって法案を提出したそうだ。
 日本では、地方自治体単位ではパートナーシップ制度等、同性婚に準ずるような制度を設けている場合もあるが、多くの場合において決して婚姻と同等の権利が得られるわけではないし、制度を設けているのはあくまで一部自治体でしかない。現在先進7か国・所謂G7で同性婚の制度を設けていないのはイタリアと日本だけなのだそう(弁護士ドットコム「世界で広がる同性婚、G7で不許可は2か国だけ…年配が反対する日本が変わるか」)。しかしイタリアでも2016年に、結婚に準ずる権利認める 同性カップル権利法が成立している為(ハフポスト「イタリア、結婚に準ずる権利認める 同性カップル権利法が成立」)、国単位で同性婚若しくは準ずる制度が設けられていないのは日本だけだ。
 5/25の投稿でも書いたが、5/17に台湾で、アジアで初めて「同性カップルが結婚する権利を保障する法案」が可決された(BuzzFeed Japan)。台湾がアジア初ということはつまり、日本もアジア初になることができたのに機会を逸したということだ。先進7か国の中で、同性婚制度がないのは日本だけなのだが、果たして本当に日本は「先進国」なのだろうか。


  1/15の投稿「スケートボードの五輪種目化、同性婚の法制化の類似点」や2018年12/15の投稿「自民党は「少子化を解決する気も多様性を尊重する気もない」」など、このブログでは何度も、多様性を尊重し性的少数者が少しでも住みやすい国・生きやすい社会を実現する為の近道こそが同性婚の制度化だと指摘してきた。同性婚が法で認められていないことで、同性愛は異常かのような偏見に晒されやすくなってしまう側面が確実にある。法制度で認める事こそが権利の尊重の第一歩だ。権利が認めらない状況は、多様性を尊重するという話に確実に反する。
 自民党総裁でもある安倍首相は2018年8月に、杉田議員の「LGBTは生産性がない」という旨の差別的な発言に関して、
 人権が尊重され、多様性が尊重される社会を目指すのは当然だ。これは政府、与党の方針でもある
と述べている。杉田氏の発言を問題視し、多様性を尊重、少数派の権利を確保するつもりが安倍氏に本当にあったのなら、同性婚の法制化を直ちに自民党や関係各所へ指示しても良さそうなものだが、法案を提出したのは彼の所属する自民党からでも、彼が束ねている政府内の関係省庁からでもなく、前述の通り野党議員らだった。この事には矛盾を感じざるを得ないし、台湾に先を越されてアジアNo.1の先進国かどうか怪しくなった日本全体と同様に、野党に法案提出で先を越された首相や自民党が、本当に「人権が尊重され、多様性が尊重される社会を目指す方針」なのかについても疑わざるを得ない。


 立民・共産・社民の3党は、同性婚を認める内容の民法改正案(婚姻平等法案)を6/3に国会へ提出したことについては、BuzzFeed Japanだけでなく、通信社・新聞各社等それなりに多くのメディアがこれを伝えている。しかし、自分が知る限りでは、この件はあまりテレビでは取り上げられていないように思う。昨日自分がBuzzFeed Japanの記事を見た時点、18:45頃の時点では、この件を取り上げていた在京キー局は、
だけだった。
 この投稿を書くタイミングで再確認すると、
と、日本テレビ以外は当該案件を一応報じているのだが、昨日は元農林水産事務次官が息子を刺殺した件で容疑者が、5/28に起きた川崎殺傷事件(5/29の投稿)や、その報道等の影響で息子の殺害を決意したともとれる供述をしているという話(時事通信「「長男、危害加えるかも」=小学校めぐり騒音トラブル-元農水次官、川崎事件念頭に」)が注目を集めたこともあり、立民・共産・社民の3党は、同性婚を認める内容の民法改正案(婚姻平等法案)を6/3に国会へ提出したことは、テレビでは殆ど取り上げられていなかったように見えた。

 自分はこの1か月だけでも、
など、最近のメディアによる報道、特にテレビ各局の報道への違和感について書いてきた。NHKに関しては、昨年来複数回にわたって特に政治分野に関連する報道に対して不信を主張してきた。しかし一方で、
 各報道機関で方針や傾向が異なっているにもかかわらず、メディアと一括りにしたり「テレビはー」と一括りにして論じるのは適切とは言えないのではないか
ということも何度か書いてきた。
 しかし最近は、果たして今もそう言えるかについて自信がなくなっている。野党側が何度も開催を要求している衆参両院の予算委員会について、6/4の時点で衆院は90日以上、参院でも60日以上も与党が拒否し開催されていないのに、そのことに触れるメディアはあまりにも少ない。特にテレビに関しては皆無に等しい。昨年のゴールデンウイーク明けに、森友学園、加計学園、防衛省日報、福田財務事務次官セクハラ等の各種問題への政府与党の対応の悪さを理由に野党側が審議拒否をした際は、一部の政府与党積極支持者らが「野党は○○連休」と揶揄したことを、メディア・テレビ各局も取り上げていたのにだ。そんなことを勘案すれば

 NHKだけでなく、テレビ局の報道はどこもバランス感覚を逸している、テレビ局は報道のような何かをしているだけで、厳密には報道機関と言えなくなっているのではないか


と、一括りにして論じることにも相応の妥当性があるのではないだろうか。前述の予算委員会の話以外にもそう思えることはある。
 一部の政権支持者らは何かにつけ「野党は反対しかしない」「対案をだせ」などと主張する。彼らの認識はほぼ誤りと言って間違いないのだが、ネットの台頭によって相対的に影響力が下がっているとはいえ、中高年を中心にまだまだ決して影響力が小さくなったとは言えないテレビ各局が、立民・共産・社民の3党は、同性婚を認める内容の民法改正案(婚姻平等法案)を6/3に国会へ提出したことなど、与党に対して反対の意を唱えるだけでなく、独自法案の立案もしていることなどを適切に伝えなければ、一部の者が誤認を流布するのも、それを事実だと誤認してしまう者が更に現れるのもそれ程不自然なことでないかもしれない。
 他にも、立民・国民・共産・社民各党は参院選に向けて改選1人の選挙区での候補一本化で合意したこと(時事通信「参院選1人区、30で一本化=不信任案・衆院選準備も連携-4野党」)に関してはテレビ各局を含めて相応の数のメディアが伝えていたが、
立民・国民・共産・社民ら野党5会派が、戦闘機F-35購入6兆円の見直し、最低時給1500円の実現など共通政策を掲げること(Yahoo!ニュース個人「F35爆買い6兆円見直し、最低時給1500円etc―マスコミが報じない野党「共通政策」」)については殆ど報じられていない。例によってテレビに関しては皆無に等しい。これでは野党は選挙の為だけに力を結集しているように、つまり議員という立場の維持に躍起になっているだけ、のような印象を誘発しかねない。
 相応の影響力を持つメディアが野党の掲げる政策等に殆ど触れず、一部の政権与党積極支持者らが「野党は反対しかしない」「対案をだせ」などと主張すれば、各種世論調査で支持率が50%を超え「他よりよさそう」という支持理由が最も多くなるのも無理はないのではないか。政治報道をするのも世論調査を行っているのも報道各社なので、自分にはある種のマッチポンプによって、結果的に現政権与党に与する報道が行われているように思えてならない。
 一応付け加えておくと、メディアにそんな風に取り上げられるような形式でのアピールしかしない野党各党のメディア戦略は、お世辞にも充分とは言えない。4/10の投稿「「安倍政治を終わらせる」というスローガンのダメさ加減」でも書いたように、野党各党がアピール下手で、5/3の投稿「「#自民党2019」プロジェクトのキナ臭さ」で書いたように、与党・自民党が、内容の良し悪しは別として、野党よりメディア戦略に長けていることは紛れもない事実だ。


 他のメディアもそうだったが、特にテレビ各局は新元号の発表や新天皇の即位などであからさまにお祭り騒ぎを演出していた(5/2の投稿「「令和最初の」にはたった1日でもうウンザリ」)。 それは政府が演出したトランプ歓迎ムードに関しても同様だった(5/26の投稿「トランプ歓迎に疑問を持たないメディア、そして国民」)。
 このような事を勘案すると、既に日本の報道・特にテレビは、戦中の大本営発表をそのまま垂れ流した、というより寧ろ率先して忖度した内容の報道を行った、当時の新聞・ラジオと同じ様な状況に片足を突っ込んでいるように思える。果たしてそれはまともな民主国家のメディアと言えるだろうか。「中国や北朝鮮の国営メディアと同じ」というのは言い過ぎかもしれないが、既にそんな状況が目前に迫っているのではないか。
 こう書けば、「お前みたいに政府に批判的なブログ投稿が書ける状況で何を言っているんだ?」と思う者、反論する者が必ずいる。これも既に何度も指摘していることだが、万が一そんな状況になってからでは、何もかももう遅いとしか言いようがない。そうならないように、この手の投稿が書けるうちに指摘し、絶対にそうならないようにする必要がある。
 政府、もしくは中国のような社会を望む誰かが裏で手を回しているので、今のような状況になってしまっているなんて自分も全く思っていない。危惧しているのは、社会全体にその手の忖度が蔓延し、政府批判等の自粛を国民やメディアが自ら勝手に始めることだ。




 ここからはあくまでも余談だが、戦前の日本やドイツの過ちを教訓にすれば、それがどんなに深刻なことか分かるはずなのだが、人間とは、有史以来ずっと戦争・殺し合いを続けてきた過去に学ばない生き物で、惨劇の経験者が寿命等によって減ると、再び同じ様な事を繰り返す。今世の中の動向を見れば、日本だけでなく欧米、そしてアジアでも、20世紀前半に起きた惨劇が再び起きかねないのではないか、と懸念されるような状況がいくつもある。
  この100年で世界の人口は爆発的に増えたし、地球の環境も大きく変わった、というか人間が大きく変えたとも言える。こんなことはあまり言いたくないが、人間が過去に学ばず憎しみ合い、その結果として殺し合うのは、人間があまりにも増え過ぎないように組み込まれたある種の本能・プログラムなのかもしれない。

このブログの人気の投稿

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。