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1月, 2017の投稿を表示しています
 

視聴者の意見

 テレビ番組の中にはツイッターで視聴者の意見を募集し、放送中に画面に表示するものがある。東京MXのモーニングCROSSもその1つなのだが、今朝、カナダでモスクが襲撃され死者が出たというニュースを取り上げたことを受けた「カナダでもイスラム系テロか、トランプの入国厳格化にも頷ける」という趣旨のツイートが表示されていた。ツイートなので細かい趣旨がどうなのか分かりづらいが、おそらくカナダでイスラム教施設が襲撃されたことを、イスラム過激派がテロを行ったと勘違い(もしくは勘違いを装ったイスラム差別)してトランプ大統領の政策に賛成するという趣旨で書かれたツイートだと思われる。明らかに間違った情報に基づいたツイートをテレビで放送してしまうのはどうなのだろうか。その後そのことについて番組内で認識が間違っているおそれがあるという注釈がされることもなかった。

生活保護

 厚生労働省が「なぜ外国人に生活保護を適用するのか、生活に困窮する外国人は母国で保護するべきではないのか」という一般市民からの質問に対して、人道上の観点から行っているという回答をウェブサイトに掲載したことが話題になっている。個人的には「なぜ外国人に生活保護を適用するのか」という質問自体が無意味に感じられる。

差別表現

 Make America great again. 元々はレーガン大統領が使用した選挙スローガンで、トランプ大統領も選挙戦から掲げているスローガンだ。文面だけを見れば愛国心に溢れるスローガンと肯定的に受け取ることもできるが、彼の言動を見ていると、アメリカは今まで偉大な国じゃなかったのかとか、彼の言うアメリカとは彼を支持するアメリカ白人だけなのか?とか揚げ足を取りたくなってしまう。  メキシコ国境に壁を作るという公約は好ましいとは到底思えないが、100歩譲ればまだ容認できる。しかしその建設費をメキシコに払わせると言っているのは横暴だとしか思えない。メキシコを日本に置き換えてみると、隣の大国・中国が東シナ海を警備するための警備艇の購入費を日本に全額負担させると言っているような状況だろう。他国に対して横暴な政策を押し付けることがアメリカ人にとってgreat/偉大なことにだったのかとも言いたくなってしまう。このようなことから、Make America great again.というスローガン自体が嫌悪される言葉となり、更に事情が悪化すればMake ___ great again.が差別的表現とされてしまうかもしれない。実際、自分は先週の会見で小池都知事がこのスローガンを引用し、Make Tokyo great again. と言ったのを聞いて、彼女に全く悪意がないことも分かっているが、少し嫌な気分になった。今はまだそこまで気にならないが、___ファーストに対しても同じような感覚を感じてしまいそうな気がする。

メディアの信頼度

 人間の活動する範囲が広がった現代では、生きていく上で実際に自分の目の届く範囲だけでなく、もっと広く情勢を知ることが不可欠だ。しかし一人でその必要な情報を自らの目や耳で直に仕入れることはおよそ不可能で、メディアを通じた伝聞という手段を使わないわけにはいかない。  現在の主要なメディアには新聞や雑誌(出版物)、ラジオやテレビ(放送)、ウェブサイトやSNS(インターネット)などがある。新聞などの出版物は社会に登場した時期が最も古く、新しいメディアに比べるとやや劣勢になりつつあるとも言えるが、その歴史分だけの権威をまだまだ持っている。テレビを中心とした放送メディアは、放送の登場前のNo.1メディアだった新聞よりも即時性に優れ、基本的に受け手が払うコストが低く、音声や動画を使用できるため直感的に理解しやすいなどの点から、徐々にその立場が新聞と入れ替わり、直近50年間で最も影響力のあるメディアである。90年代から一般化したネットメディアは、新聞やテレビよりも情報を発信するのに必要なコストが低く、誰でも情報を提供する側になりやすく、双方向性もあり議論を生みやすい。その点から新聞やテレビ局もウェブサイトを作ったり、情報提供元になるなど既存メディアを取り込みつつ徐々に勢力を伸ばし、No.1メディアの座をテレビから奪うのは時間の問題とも言われている。

児童ポルノ

 とある写真を参考に作成したCGを裁判所が児童ポルノと認定する判決を出した。その元になった写真や作成されたCGを実際に見たわけではないので詳細はわからないが、児童ポルノの定義やなぜ規制が必要なのかということから考えると、果たしてCGを児童ポルノに認定する必要性はあるのかに疑問を感じた。

憲法改正

 日本維新の会・片山代表が昨日の国会で「憲法改正し、教育の無償化を」と発言し、安部総理も前向きの返答をした。現政権になってから、改憲に前向きな勢力が憲法改正に意欲をみせているが、教育の無償化を行うためには憲法改正が必ず必要なのだろうか。それもと憲法を改正するために、教育の無償化という悪く言えば撒餌をしているのだろうか。

第三者

 所謂”横浜市における原発いじめ”の件で、被害者児童が加害者児童たちにおよそ150万円分の遊興費を支払ったことを、市の教育長が第三者委員会の調査に基づいて「いじめとは認められない」としたということが話題になった。感情論だけでこの件を見てしまうことはよくないが、小中学生が1回あたり5-10万円・計150万円を友達のために支払ったということが、お金持ちの子供ならありえるのかもしれないが、この件の背景を考慮してもいじめではないという判断をさせる調査をした人たちが、加害児童らの将来を憂慮した上での判断だったとしても、果たして”第三者”と言えるのだろうか。

テレビCM

 以前に比べて通販系健康関連食品のテレビコマーシャルが多くなった。独立系局やCS局を中心にキー局でも深夜帯には放送されている。中には怪しい雰囲気が漂っているものもある。しかしコマーシャルが増えているということは、確実に商売として成り立っているということで、買う人がいるんだなぁ…と複雑な感覚に陥る。

押し迫る

 あるテレビ番組のナレーションで「2016年も押し迫った」という表現をしていた。少し引っかかったので、押し迫るの使い方を調べてみると、”押し迫る”には”押し迫る”と”押し詰まる”のどちらが正しいのか、またはその違いは?なんて話題もあるようだがそれは置いておくとして、押し迫るには 暮れも押し迫る 今年も押し迫る 試験が押し迫る  などの使用例が挙げられていた。「2016年も押し迫る」は「今年も押し迫る」と同じ使い方なのだが、”押し迫る”のイメージとは合わないように感じる。

言葉選び

 日本語の乱れなんてことがしばしば言われる。乱れかどうかはわからないが言葉は時代とともに変化するもので、このような話題は現代特有のものではなく清少納言の枕草子にも、所謂、若者言葉を嘆くという話がでてくる。ある時点では間違いだったり、嫌悪の対象だった表現が時代を経ると徐々にそんな感覚が薄まり、時には正しいとさえされるようになることもある。辞書を引いても「転じて―」などと、意味が足されたり変わったりしたものがよくある。言語表現にも絶対的・永続的に正しいといえるものはないのかもしれない。

自国第一

 とうとうトランプ氏がアメリカ大統領に就任した。既存の政治家とのしがらみがなく変革に期待できるという意見もあるが、暴言や差別的な主張などを繰り返しアメリカにとどまらず世界を危機的な状況に陥れかねないという声も多い。  メキシコ国境に壁を作るや、イスラム教徒の入国禁止など多くの問題発言が報道されているが、個人的に最も違和感を覚えるのは”アメリカ第一主義”を大々的に掲げている点である。現在アメリカは名実ともに世界で一番他国への影響力の強い国の一つである。軍事力も世界一だし、経済規模でも世界一であることは間違いない。そんな既に一番とも言える国が自国第一主義を声高らかに唱えてよいのだろうか。「自分たちが幸せになるためなら、他人を不幸にしてしまっても気にしない」と言っているように聞こえる。

SNS

 バラエティ番組やスポーツ新聞の記事などで、SNSの煩わしさを叫んでいるのをたまに見かける。いいね をするのが面倒だとか、何を食べたとか、どこへ行ったとか、どうしようもないオナニー的な投稿がムカつくだの見たくないだのといった内容がほとんど。そういう主張を見ると心が狭いな、ストレスがたまっているんだなと思う。

動物愛護

 アメリカの老舗サーカス団が経営不振で解散するという。その要因のひとつに象に曲芸をさせるのは虐待だという動物愛護団体などの批判を受けて、動物の出演を取りやめたということもあるらしい。果たして動物に曲芸をさせることは虐待なのだろうか。動物に曲芸をさせることが全て虐待であるならば、水族館などでのイルカショーも、競馬で馬に鞭を振るうことも、極端に言えば犬にお手をさせることも、というか犬や猫を飼うことさえも虐待なんじゃないか?と個人的には思う。もちろんそのサーカス団が動物に対してどのような対応をしていたのかは細かくはわからないが、単に”動物に曲芸をさせる”だけでは虐待とは言えないのではないだろうか。

歴史観

 APAホテルが南京大虐殺や慰安婦を否定する内容の、代表者の執筆本をホテル内に置いていることが話題になっている。中国のSNSである女性が「そのような本を置くのは自由だが、彼(執筆者であるAPAホテルの代表者)は、中国や韓国の宿泊客からも金をもらっている」と主張したそうだ。中国人や韓国人のおかげで儲かっているのだから配慮しろということだろうか。

潔癖症

 潔癖症にも様々な度合いがあるだろうが、バラエティ番組などで面白おかしく、肯定的にも感じられるイメージでとりあげることが最近多いのには、やや疑問を感じる。清潔感の問題などで他人を自分の部屋に入れたくないなどはまだマシ。一番滑稽に見えるのは、他人の握ったおにぎりなど、自分や家族の作った料理や既製品以外を食べたくないなどと、恥ずかしげもなく公言していることだ。

クルマ離れ

 若者のクルマ離れと言われて久しい。個人的な感覚だが、90年代は半分以上の男子学生が自分のクルマを持っていた。女子学生も一定数は自分用のクルマを持っていたので少なくとも全体の50%くらいが専用のクルマを持っていたのではないだろうか。神奈川で学生時代を過ごした自分の感覚がこれくらいなので日本全体では所有率はもっと高かったかもしれない。

共謀罪

 いわゆる共謀罪法案が国会で審議されそうだが、法案の内容によっては国家権力による監視を不当に強めすぎることが懸念されている。肯定派が慎重派に対して「後ろめたいことがあるから反対なんでしょ?」と意見するのをたまに目にする。これはあまりに短絡的な考え方ではないだろうか。犯罪とは言えない行為での不当逮捕は隣国では現実に起きている。過去の日本でもそれは体制への反対行為・反論を封じ込めるのに利用され、軍国主義や戦争に向かってしまった原因の1つだった。

過剰な自粛

 犯罪や不倫など著名人のイメージ的によろしくない事柄(以下、事件と表現)が明るみになると、彼らが絡んだテレビ番組の放映を取りやめたり、それまでに発売した過去のCDを撤去したり、自粛することが当たり前になりつつある。悪いイメージのとばっちりを受けたくないというのは理解できなくもないし、社会的制裁を与えるという意味もあるのかもしれないが、過敏に反応しすぎではないだろうか。

テレビ番組の画面

 テレビ番組の画面が汚い。著作権絡みの邪魔で主張しすぎのウォーターマーク。個人情報保護やスポンサーへの配慮などが理由と思われる盛大なぼかし。過剰で余計な演出にしか見えない常に表示される字幕テロップ。クレーマー対策だろうが馬鹿馬鹿しくて興ざめする注意書き。編集技術が進んで簡単になったことで本当に必要なのか?と思うような画面表示が増えた。どれも元々は必要なものだったのかもしれないが、これだけ増えすぎると、制作側がスポンサーや一部のクレーマーのほうだけ向いて「ちゃんとやってます」アピールをしている、もしくは技術的に出来るからやりたいだけの自己満足、のようにも見える。全部が全部必要ないと全否定するつもりはないが、わざとらしさを減らしてもう少し画面をスッキリさせて欲しい。