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3月, 2021の投稿を表示しています
 

口調警察大臣の下では、労働環境改善は実現しない

  トーンポリシング とは、発言の内容ではなく、発せられた際の口調や論調を非難することによって、当該発言の妥当性を損なう目的で行われる、論点のすり替えの方法である( トーン・ポリシング - Wikipedia )。 2020年6/3の投稿 で取り上げた、つるの 剛/今野 英明が、差別反対等を訴えるなら「普通の声で言え」としたことなどは、その典型的な例だ。

時短ビデオ登場から30年、今や早送り再生が当たり前に

 音楽メディアと言えば、1980年代中盤まではレコードで、それから2000年代まではCD、そしてそれ以降は物理メディアとしてCDは残っているものの、物理メディアに縛られないデジタルデータ配信が主流になった。ただ面白いのは、2020年1-6月期のレコードの売上高が、1980年代以降で初めてCDを上回ったそうだ( 米レコード販売がCD抜く 20年1~6月、1980年代以来初: 日本経済新聞 )。

言葉に血を通わせ実態との整合性を図る、保つのが政治の役割

 カバチタレというマンガを今読んでいる。カバチタレは行政書士を目指す男が主人公のマンガだ。最初は行政書士の補助者として実務に携わり、続編では試験に受かり行政書士として活動をする。作中では、行政書士は弁護士よりも庶民的で身近な法律家として描かれていて、実際に誰にでも巻き込まれる恐れのあるトラブルが題材になることが多い( カバチタレ! - Wikipedia )。

嘘吐きで卑怯で姑息な印象操作

  嘘吐きで卑怯で姑息 。根拠なく誰かをそう呼ぶことは明らかに中傷である。しかし、実際に嘘吐きで卑怯で姑息な人間を、その様に評する場合は中傷でなく批判であろう。一国の宰相でありながら国会で118回以上にも及ぶ虚偽答弁を繰り返し、その嘘が吐き通せなくなると途端に「秘書を信じて発言しただけ」と責任転嫁し、自分は何食わぬ顔で国会議員を続ける者を、嘘吐きで卑怯で姑息と呼んでも問題はないだろう。

日本の人権意識は1990年以前のまま。時代遅れである

 1862年に奴隷解放宣言がされてから約160年経っても、1950-60年代の公民権運動の結果、職場、公共施設、連邦から助成金を得る機関、選挙人登録における差別と、分離教育を禁じる1964年公民権法が制定されてから約60年経っても尚、 アメリカには人種差別が根強く残っている 。それどころか、ほんの4年前、アメリカでは人種差別を否定しない大統領が選ばれた。

はりぼてJapan

 コロナ危機で世界中のクラブが営業できない状態になり、その影響で毎週末、いや、個人的な配信を含めたら毎日のようにDJミックスがライブ配信されるようになった。自宅にはプロジェクターがあり、ワイヤレスイヤホンをつければ、自分の部屋がクラブのような環境になる。

No gender equality in Japan

  昨日の投稿 を書いた後に、取り上げた報道ステーションCMのURLをクリックしたら、投稿を書いている間に削除されていた。今回は削除した旨の釈明・謝罪が出されていたが、昨今大手メディアも、記事内容や見出しの表現を批判されると、訂正した旨も示さずにシレっと書き換えたり削除したりする。当該CMは削除が事前に予想できたので、昨日の投稿にはアーカイブを残しておいた。

深刻な報道機関・メディアの劣化

  テレビに関わっている人程、関わりが深ければ深い程、おかしなことを言う確率が高くなる 。と最近強く感じている。テレビが軒並み報道機関とは言えないような状況なのに報道機関のふりをしていて、その組織から仕事を貰う為には、そのような実状から目を背けるか、若しくはそれを肯定しなくてはならないだろうから、そうなるのは当然かもしれない。  中にはそれでも一線を引いている人もいるが、そんなのは少数派だ。

スポーツ ≠ 健全

 非肉体労働を生業にしていると運動不足になりやすい。運動不足が慢性化すれば大抵不健康な状態になる。肉体的だけでなく精神的にもそうなりやすい。運動不足でも精神的には健康な人もいないわけではないだろうが、やはり 適度に体を動かすことは、肉体的だけでなく精神的な健康の為にも必要 だ。

ただただ自分の欲望を満たす為に他人を傷つける人が確実にいる

 自身で暴力的な行為に及ぶか、嫌がらせを行うかは別として、 他人が苦痛を受けたり、不快な状況になることを認識することで快楽を得る 性質を持ち合わせている人は決して少なくない。でなければイジメやセクハラ/パワハラなどが社会問題になるようなことはないだろうし、「他人の不幸は蜜の味」という言い回しが存在することもないだろう。

Don't Say You Don't Remember 記憶がないと言わないで

 本日の投稿は、作成したプロモーションビデオをもって代えさせていただきます。

汚職の横行は乱世に陥る理由の一つ

 三国志にハマる多くの人の入り口は、横山 光輝のマンガだろう。自分も小学生の頃に読んだ。しかし、テレビゲーム第一世代と言っても過言ではない自分の世代では、ファミコンから三国志に入った人も少なくない。今、三国志のゲームと言えば、最も有名なのはコーエーテクモだろう。テレビゲーム以前から続く同社のシミュレーションゲームシリーズは昨年14作目が発売された( 三國志シリーズ - Wikipedia )。

ショックを受けた

 どうやら日本政府は、新型コロナウイルスの感染者数が再び増加に転じているのに、オリンピック・聖火リレーやりたさで緊急事態宣言を解除するようだ。朝日新聞は「 菅首相、21日宣言解除を表明 5本柱で「再拡大防ぐ」 」などと報じているが、 5つの柱とやらには目新しさも具体性も感じられない 。

感謝知らずの女ならぬ、恩知らずの日本

 母親が好きだったので、幼い頃家ではよく井上 陽水のレコードがかかっていた。井上 陽水は特徴的な歌唱も多く、氷の世界のサビ・「 こ・お・り・の・せ・か・ヒィー!! 」などは子供心にも印象的で、弟と真似して歌っていた記憶がある。

わーわーわーわー!聞こえなーい!

 相手が自分にとって都合の悪いことを言おうとする場面で、「 わーわーわーわー!聞こえなーい! 」と無意味なことを叫んでかき消そうとしたり、耳を塞いで相手の声を聞こえないようにする表現は、マンガなどでしばしば目にする。ドラマ・おっさんずラブでも、吉田 鋼太郎演じる黒澤 武蔵がそれをやる場面があった( 「おっさんずラブ」第3の男・眞島秀和の介入で荒れる相関図。捨てられた子犬のような林遣都に来た限界 - エキサイトニュース(3/9) )。

お答えをお答えを控える。ひひひひ控える控える

 サンプラーという電子音楽機器がある。8-16個程度のパッド(ボタン)を備え、それぞれに任意の音を割り当てて、それぞれのパッドを押すと登録されている音が再生される装置だ。ドラムの音を各パッドに割り当てて、電子ドラムのように使うことも出来るし、サウンドエフェクト/効果音を割り当てて、パーティやイベントなどを盛り上げる際にも用いられたりする( サンプラー - Wikipedia )。

見てみろ、この慌てぶりをRemix

 本日の投稿は、作成したプロモーションビデオをもって代えさせていただきます。

合理性追求は絶対的に正しいわけではない

 日本語の「合理性」や「合理的」には、2つのニュアンスがある。1つは整合性と同じ様に、道理や論理的に筋道が通っていること示す場合に用いられる合理性、もう1つは生産性や能率的と同じ様に、無駄がない・効率がよいことを示す合理性だ( 合理的とは - コトバンク )。前者の追求は基本的に概ね正しいが、後者はその追求が常に正しいとは限らない。

癒着でないとて、関連事業者と会食を繰り返せば、即ち癒着なり

 バカをバカと呼ぶことは決して侮辱でも中傷でもない。それは概ね妥当な評価だ。しかしバカに当たるか否かの判断、バカの定義は難しく、言い換えれば、バカと呼んだことが侮辱・中傷に当たらないことを明確に示すことも難しい。だから節度ある人は、基本的に公に他人をバカ呼ばわりしない。李下に冠を正さず、とはそういうことだ。

大友克洋がAKIRAで描いたのは、2020東京五輪だけじゃない

 2020東京五輪招致、そしてそれが予定通りに開催されなかったことが、見事に劇中の設定と同じであることで知られる、大友 克洋のマンガ/アニメ映画・AKIRA。3巻の巻末にある次巻の予告ページでは、劇中で発行されている体裁の新聞がコラージュされていて、その中に「WHO、伝染病対策を非難」という見出しがあり、コロナ危機をも言い当てていた?という話も話題になったことは記憶に新しい。

困っている人を見て見ぬふりする政府

 今年もまた3/11がやってきた。3/11が9/1日以上に大きな意味を持つようになって以来、今年で10回目である。厳密にテレビの番組数や放送時間、新聞記事の数を調べたわけではないが、時の経過と共に、3/11とその前後に、地震や原発事故を振り返る報道の量は減っているように感じるが、今年は10年というある種の区切りだからか、直前の2/13に再び、福島県沖を震源としたM7.3の地震が発生したからか、関連報道の減少傾向に歯止めがかかっているようにも思う。

ブルーハーツの青空が古びないことのまずさ

生まれた所や皮膚や目の色で いったいこの僕の 何がわかるというのだろう。 1988年11/23にリリースされた、THE BLUE HEARTSのアルバム・TRAIN-TRAINの11曲目「青空」の歌詞にある一節だ。この曲は翌1989年6月にシングルとしてもリリースされた( 青空 (THE BLUE HEARTSの曲) - Wikipedia / The Blue Hearts – 青空 / 平成のブルース (1989, Vinyl) - Discogs )。

万人の平等を求める先駆者になるか、時代遅れになるか。どちらを選ぶ?

 現在は、家庭用オーディオ事業はオンキョーの傘下となり、柱の一つだったDJ機器分野もノーリツグループとなっており、本体に残っているのは主にカーエレクトロニクス事業と業務用音響機器だけになってしまったが、自分が10代までを過ごした1990年代頃、既にカーオーディオブランドのカロッツェリアでカーナビの展開も始めていたが、パイオニアと言えば日本を代表する音響メーカーの1つだった( パイオニア株式会社 / パイオニア - Wikipedia )。

100点を取れないなら、勉強しても無駄なのか

  All-or-nothing という表現は、失敗すれば全てを失うと背水の陣で臨む固い決意を示す場合のように、どちらかと言えばポジティブなニュアンスで用いられる場合もあれば、100%成功しないと意味がないと捉えてしまうような、融通の利かない様子を示すネガティブな意味合いで用いられる場合もある。

どんな法律にも抜け穴がある

 2017年、性犯罪に関する刑法が改正された。改正は1907年の制定以降初めてで、110年ぶりのことだった。改正によって強姦罪は強制性交等罪に名称が変更され、法定刑は3年以上の有期懲役から5年以上に引き上げられ、改正以前、被害者は女性だけを対象としていたが、性別不問となって男性も含められ、また非親告罪となった( 強制性交等罪 - Wikipedia )。

部下に真っ黒な労働環境を強いる政府の働き方改革って何?

 以前勤めていた零細企業で、銀行融資を受けやすくする為か、急に銀行引退したおっさんが取締役になった。馬鹿げた高給ではなかったようだが、それでも、週2-3日、3-4時間事務所に来て新聞を読んでいるだけで、自分と同じかそれ以上に金を貰う人の存在には、モチベーションを著しく削がれた。

誤り・過ちを反省出来ない国

 ニュージーランドのアーダーン首相は2/14、同国で最も大きな都市・オークランドで、新型コロナウイルスの感染者が3名確認されたことを受けて、オークランド市を3日間ロックダウンする措置を講じた。首相は措置について「感染力の強い変異株だった場合に備えた措置で、厳重に注意して行動する必要がある」と説明した( NZ首相、最大都市オークランドをロックダウン 感染者3人確認で 写真3枚 国際ニュース:AFPBB News )。

奥歯に物が挟まっているような

  オブラートに包む という、遠回しな言い方をすることを指す慣用表現に、 2/28の投稿 で触れた。今日のトップ画像で表現したのは、同種の慣用表現「 奥歯に物が挟まる 」だ。奥歯に物が挟まるも、相手に遠慮したり裏に何か事情があって、思うことをはっきり言えない様子を指す、「オブラートに包む」と似たニュアンスの表現である( 奥歯に物が挟まるとは - コトバンク )。

SDGs/持続可能な開発目標 という看板の裏側にある欺瞞

 2011年(東日本大震災の被災3県・岩手/宮城/福島は2012年)に地上アナログ放送が停波するまで、1952年に発売された日本初の家庭用テレビでも一応番組を見ることは出来た。つまり、最長でおよそ60年間、画質等を度外視したら機器を使うことができた。

男性至上主義国家として世界の中心で輝く日本

 世界の真ん中で輝く日本、日本は世界の中心で輝いている、と馬鹿みたいに繰り返した安倍という首相がいた。WEF:世界経済フォーラムが発表した2019年のグローバル・ジェンダー・ギャップ指数で、日本は調査対象153カ国中121位、過去最低の順位を記録したのに、一体何を言ってるんだ?という話を、 2020年1/26の投稿 で書いた。

選択的別姓反対議員ではなく、同姓強制議員

 相変わらず「夫婦同姓でないと家族の絆が…」「夫婦同姓は日本の伝統」なんてことを言っている人がいる。近代以前から別姓が一般的な国もあるし、近代以降別姓が選べるようになった国もある。それらの地域では家族の絆が薄い・失なわれていると言える明確な根拠を誰も示せない。近代以前、日本の庶民はそもそも姓を名乗ることが許されていなかったのに、何が伝統なのか。近代以前の大半が姓を持たなかった日本では、家族に絆がなかったのか。