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11月, 2019の投稿を表示しています
 

販売終了を匂わせて購買心を煽る企業は…

 牛丼チェーンの松屋が、11/27に「オリジナルカレーの販売を終了する」とツイートしたことが話題になった。自分は松屋のカレーも、肯定的に語る人が多いCoCo壱番屋のカレーも、絶対食べたくないとは思わないが積極的に選択する程美味しいと思ったこともないし、なんならコンビニのカレーやレトルトの方が美味しいと思っているので全然残念さはなかったが、SNS上には終売を惜しむ声が相応に投稿されていた。  しかし松屋は、翌日の11/28 10:00に、「オリジナルカレー」の終売共に、これまで期間限定で販売していた新メニュー「創業ビーフカレー」をレギュラーメニュー化すると発表した。「松屋のカレーがなくならなくて良かった」という声も多いが、個人的には 「購買心を煽るのに終売を利用した」、大袈裟に言えば「終売詐欺」 じゃないか?とも感じられる。

桜を見る会は「政権が変わる程のことではない」という話の脆さ加減

 新聞読み比べ芸人・プチ鹿島さんが書いた「 「桜を見る会」は“小事”か“天下の一大事”か問題 ヒントは11月13日の“あっさり中止”にあった | 文春オンライン 」という見出しの記事が今朝掲載された。この記事は 桜を見る会は「小さなこと」なのだろうか。 という書き出しで始まる。 中盤では政府が「ウィンウィン」だとする日米貿易協定に触れ、「桜を見る会は小さなこと」と言う保守派の新聞こそ、 桜の説明ができないのにトランプ相手に交渉できるわけがない、桜を見る会の説明からやり直せ! と指摘するべきなのではないか?とし、「態度や振る舞いはすべてつながっている、そこに「小事」も「大事」も関係ない」という表現もあるが、最終的には 決して小さなことではないと思う。 と締め括っている。

中韓をナチュラルに見下している日本人もまだまだ少なくない

 ダイハツが ’19 東京モーターショーへ、市販予定の新型コンパクトSUVとして出品したモデルは( 【東京モーターショー 2019】ダイハツ、市販予定の新型コンパクトSUVを展示中 )、その後すぐに、1980年代にも同社がSUV(当時はRV、又はライトクロカンなどと呼んでいた)に用いていた車名「ロッキー」の名称で発売された( DNGA第2弾となる新型コンパクトSUV「ロッキー」を発売 - 20191105-1.pdf )。ダイハツの新モデルは大概トヨタ版も共に発売されるのだが、ロッキーもトヨタ版・ライズが同時に発表された( TOYOTA、新型車ライズを発売 | トヨタ | グローバルニュースルーム | トヨタ自動車株式会社 公式企業サイト )。  発表説明会も同時に行われた( ダイハツ「ロッキー」とトヨタ「ライズ」の細部を解説! 2台並んで展示された説明会レポート - Car Watch )この2台の差は、フロント周りとホイールのデザインぐらいだろうか。サイド・リア・インテリアは殆ど共通だ。

キャリーラムと安倍晋三の類似点

 6月に始まった香港の民主化デモ。日本の一部のメディアは「暴徒化するデモ隊」というニュアンスで報じることがあるが、自分の目には、暴徒化しているのはどう見ても警察にしか見えない。デモ隊だけでなくメディアにも放水・催涙弾・暴力を容赦なく向け、催涙弾の水平射撃を平気で行うようになっただけでなく、既に実弾が何度も市民でもあるデモ隊に向けられ、逮捕された女性からは性暴行を受けたという声も上がっている。デモ隊による暴力や破壊行為だって決して褒められたものではないが、 寧ろ警察による暴力の方が深刻なのではないか。デモ隊の暴力や破壊はそのカウンターなのではないか。  香港の状況を自国に置き換えて考えてみるといい。「警察が取材するメディアにまで暴力を向け、中には失明した外国記者までいる」なんてことが許容できるだろうか。自分にはそれだけでも到底許容できない。他のことも言わずもがなである。

タブーを増やすな!

 「 「ナチスの囚人服に似ている」批判を受けて約20万円の服が販売停止に。スペインの高級ブランド・ロエベ | ハフポスト 」という記事を昨日読んだ。見出し通りの内容で、スペインの高級ファッションブランド・ロエベがラインナップしていた白黒ストライプのパジャマのようなデザインの上下セットアップが、「ナチスの強制収容所の収監者が着用させられた囚人服にしか見えない」という指摘を受けた。ロエベは関連性を否定したものの、商品を取り下げ謝罪したようだ。  この指摘をした ダイエット・プラダ は、主にファッション系の模倣などの問題点を指摘しているインスタグラムアカウントらしい。確かに、 この指摘をした投稿 に添えられている比較画像を見ると両者は似ている。当該商品を見てナチスの囚人服を連想する人もいるだろう。しかし、 連想させるだけで不適当と言えるだろうか 。他にも何か、ロエベがナチスを肯定ないし容認していると強く感じられる要素があるなら話も分からないでもない。しかし、この商品だけを以て不適当とするのは、言い掛かり感が強い。少なくとも自分はそう感じる。

GSOMIA失効回避につけ上がる一部の日本人の大人げのなさ

 日本が韓国に対して、安全保障上の懸念を理由に輸出優遇措置の撤回を行った影響で、韓国側が日本との間に結んでいるGSOMIA・軍事情報包括保護協定( Wikipedia )の破棄を示唆したのは8月のことだった( 8/2の投稿 )。その後韓国は破棄を正式に決定した( 8/23の投稿 )。  協定の破棄、というか失効が成立する11/23を目前に、ハフポストは「 GSOMIAどうなる? 23日午前0時に失効。日米韓は駆け引きも、世論は「破棄やむなし」 」という記事を掲載していた。この記事を読んでいてふと頭に浮かんできたのは、以前から関係はあまりよくはなかったが、 日本の現政権が韓国に対して強硬な姿勢を示し始めたのは、 安倍氏が北朝鮮への圧力一辺倒の姿勢を米大統領に合わせて変えてからで、中国朝鮮を蔑む傾向のある彼らの積極支持者を鑑みて、北朝鮮への強硬姿勢を緩めた代わりに韓国へ強硬な態度を取り始めたのではないか? という推測だ。  因みに安倍氏の北朝鮮に対する態度が変わったきっかけは、間違いなく2018年6月の米朝首脳会談だが、よりそれが鮮明になったのは、2018年まで毎年国連人権委員会へ提出してきた対北朝鮮非難決議案を、2019年は取り止めると発表した3月頃のように感じる( 北朝鮮非難決議案の提出をとりやめ決定=菅官房長官 - ロイター )。

嘘や強引な主張が推し通せる今の日本は、果たして先進国か

  「日本は先進国」と多くの日本人は信じて疑わない。果たして本当にそうだろうか 。この数年で、日本は嘘や強引な主張を押し通すことが出来る国になってしまった。その主たる要因は現政権にある。しかし、その政権を長い間容認してきたのは紛れもなく日本の有権者だ。全ての有権者でないにせよ、多くの有権者が与党に投票、若しくは投票しないことによって、現政権を容認してきたというのが実状である。日本では一応民主主義的な選挙制度が実施されているので、そうでなければ政権は続かない。  しかもこのところ話題になっている桜を見る会の問題についても、当初「政治家は招待者選定に関与していない」「問題はない」という見解を示していた首相や官房長官が、今では首相や官邸だけでなく、与党政治家も招待者の選定に関与していたこと、反省すべき点があったことを認めている、つまり首相や官房長官らがあからさまに事実と異なる主張をしていたのに、つまり嘘をついていた( 11/22の投稿 )にも関わらず、未だに「些末な問題だ」とか「もっと別の議論をしろ」なんて言っている人がいる。

自国民すら欺いていた戦中日本なら…

 テレビ朝日は今朝「 令和元年度文化庁芸術祭参加作品 「史実を刻む~語り継ぐ“戦争と性暴力"~」 」を放送した。終戦により軍が撤退したことによって満州に取り残された開拓団の、若い女性が強いられた「ソ連兵への性接待」に関する内容で、日曜早朝4:30から同局が放送している30分枠のドキュメンタリー番組・ テレメンタリー で、2019年8/25に放送された同名回の1時間枠バージョンだった。30分版は Abemaビデオ で見ることができる。  開拓とは名ばかりで、日本が一方的に満州国を建国し、現地住民が開墾した土地を安い価格で立ち退かせていたこと、その所為で敗戦後、開拓団として移民した日本人が中国人からの暴力に晒されたこと、その暴力抑止をソ連軍に依頼する見返りに若い女性が差し出された、ということを紹介し、彼女らは帰国後日本でも汚れた者のように扱われたことにも触れていた。

分別ある大人なら飲食しなくても会費は払う

 所謂結婚適齢期を過ぎた為、この頃は招待状が届くことも殆どなくなった結婚式。自分は結婚式に必要性を感じない性質で、そもそも結婚式にはなるべく招待されたくないので好都合だ。お金を使うならもっと他のことに使った方が、本人らにとっても自分にとっても有意義だと感じてしまう。  「自分にとって」は別として、本人たち、特に多くの新婦は結婚式をしたくて開いているだろうから、そんな話は余計なお世話なのだろう。クルマが趣味の自分が、純正品でも充分に機能を果たすのに、見た目に拘って自分好みのホイールとタイヤに交換することや、基本的に日常使い上のメリットは少なく、寧ろ気を遣う場面が増えるだけの車高を低くする行為も、興味のない人にとっては「もっと有意義なことに金を使ったほうがいいのに」だろう。

情けは人の為ならず

 「 情けは人の為ならず 」とは、「他人に情けを掛けておけば、つまり思いやりの心を持って接していれば、それが巡り巡って自分にも良い報いとして返ってくる。だから積極的に他人に情けを掛けなさい」ということを示す慣用表現である( 情けは人の為ならず - Wikipedia )。しばしば「 親切にするのはその人のためにならないから非情になるべきだ」という意味だと認識している人に出くわすが、「 「情けは人のためならず」の意味 文化庁 | 文化庁月報 | 連載 「言葉のQ&A」 」によると、2012年の調査で60代以下の全ての年代で誤認が上回っている。Wikipediaにも、要出展の指摘があるので真偽の程は定かでないが、1960年代には既に誤認が広がっていたという話が紹介されている。

何事についても「ものは言い様」な側面がある

 原宿は今や世界的にも有名な日本のポップカルチャー、特にカワイイ文化の発信源である。1990年代に人気を博したアメリカのパンクバンド・No doubt のボーカルとしても知られる女性シンガー・グウェン ステファニーさんのソロデビューアルバムには、Harajuku Girls という曲があり、彼女のバックダンサーチームの名称も原宿ガールズだった( Wikipedia )。しかも駅の反対側には明治神宮があり、ポップとトラディショナルの共存もまた、外国人らを惹きつける理由の1つなのかもしれない。  自分が初めて原宿を訪れたのは中学生の時だった。当時はまたカワイイ文化の発信地というよりも、タレントがこぞってショップを出す場所みたいな雰囲気だった( 平成初期に大流行した原宿のタレントショップは今、どうなってるのか!? :: デイリーポータルZ )。神奈川県に住んでいたので田園都市線で渋谷に出て、普通なら山手線に乗り換えて1駅なのだが、中学生だった自分たちは少しでもお金を節約する為に、渋谷から所謂ファイヤー通り( Wikipedia )を歩いて原宿へ向かった為、原宿駅を始めて利用するのはそれからもう少し経ってからだ。

外務省と米国メディア、情報力が高いのはどっち?

 日本の外務省は英語表記を「 Ministry of Foreign Affairs 」としている。韓国・中国・台湾・シンガポールなども同じく外交に関する中央官庁をそう表現しているのだが、興味深いことに、同じアジアでもおよそ90年もの間イギリスによって支配され、また国内に多数の言語が存在している為に今も英語が公用語の1つになっているインドでは、「 Ministry of External Affairs 」としている。因みにインドと同じく英国から独立したオーストラリアでは「 Department of Foreign Affairs and Trade (外交貿易省)」で、英語の母国・イギリスでは「 Foreign and Commonwealth Office (外務・英連邦省)」だ。もう一つの英語圏の大国・アメリカでは「 United States Department of State (合衆国国務省)」だ。元は「Ministry of Foreign Affairs」だったそうだが、設立直後に内政機能も付加され「Department of State」と改称し、後に内政機能は別の組織に移管したが名前だけが残っているらしい( Wikipedia:アメリカ合衆国国務省#歴史 )。結果的にかもしれないが、英語を公用語とする国と非公用語の国(シンガポールでは、英語は公用語の1つではある)で英語表記が異なっているのが面白い。  先週末に「 日本政府や外務省には充分な情報収集力があるのだろうか? 」という疑問を感じる事案があった。

世論調査・世論誘導

 統計や調査について少しでもかじったことがある人ならば、設問文に不備があれば適切な調査結果が得られないことは知っているだろう。「平易な表現を使う」「1つの設問で複数の内容を問わない」「選択項目に重複や漏れ生じさせない」なども重要だが、一番肝心なのは「 答えを誘導するようなことを設問に書かない 」だ。  例えば、政党別の支持率調査をする場合は、単に「あなたはどの党を支持しますか?」と問うべきで、「自民党による現政権は子育て支援政策を進めています。あなたはどの党を支持しますか?」と聞いてはならない。支持政党がハッキリしている回答者に大きな影響はないが、そうではない人が「自民党は子育て支援策をやってるのか、じゃあ」と、自民党と回答することを促す恐れがあるからだ。勿論逆に「共産党は自民党政権の不適切な政策を追求しています。あなたはどの党を支持しますか?」と聞くのも、同じ理由で妥当ではない。

ビジネス現場で「分からない」は禁句

 どんな職業・職種であっても 「記録を残しておく」ということはとても重要 で、顧客の信頼を獲得するのに最も有効な手段の一つである。特に営業職やそれに類する職種であれば、顧客の要求に最大限答える為に記録は命綱でもある。仕事の出来る人ほど過去の記録を「そんなこともすぐに分かるのか!」というくらい残している。逆に言えば、何を聞いても「記録がないから分からない・対応できない」と言う営業マンからはどんどん顧客が離れる。  自分はクルマに乗ったりいじったりするのが趣味だが、これまでにどんな作業をしたか記録していない業者に自分のクルマを任せたいとは思わない。趣味だろうが趣味でなかろうが、整備記録をつけない業者はあり得ない。また、建築関連の仕事に就いて初めての現場管理の初日、一切メモも写真も残していなかったことを指導役の先輩にこっぴどく叱られた経験がある。「施主に何か聞かれた時に対応する術を持っておかなかれば次の発注を貰えなくなるが、お前はその責任をとることができるのか?」と。つまり、 多くのビジネス現場で「記録がないから分からない」は概ね禁句 である。重要な顧客に対しては特に。

カルト宗教ならぬカルト政党によるカルト政治

 「 カルト 」と言うと、現在の日本では概ねカルト宗教のことを指す。しかし、 Wikipedia:カルト#語源 によると、カルト/Cultとは「崇拝」「礼拝」を意味するラテン語 ・cultus から派生した言葉だそうで、元来は否定的・批判的なニュアンスを持たない宗教用語だったらしい。日本でも、一部で熱狂的支持を受けた映画を「カルトムービー」と呼んだり、且つてフジテレビが放送した、サブカルチャー系のマニアックなテーマを取り上げたクイズ番組「カルトQ」など、否定的な意味を込めずにカルトという言葉を用いる場合もある。

さようなら、モーニングCROSS。今までありがとう。

 MXテレビの朝の報道系番組で、ジャーナリストの堀 潤さんがMCを務めている モーニングCROSS 。以前はこの番組で放送されたことについて、ちょくちょくこのブログに書いたりもしていたが、ここ最近は同番組のことを取り上げる気分にはなれなくなっていた。その転機は今年の5月頃だった。  5/21の投稿「 MXテレビ・モーニングクロスは信用に足る番組か 」で書いたように、同番組は、放送中に視聴者がハッシュタグ・ #クロス で呟いたツイートを画面に表示している。しばしば誤った内容のツイートや、差別や偏見を助長する内容のツイートも表示され、そんなツイートへの番組内での注釈が充分とは決して言えない為、「 結果的に番組が誤った情報を拡散したり、差別や偏見を助長することになる 」と、これまでも 何度もこのブログに書いて 、その都度リンクを当該タグや 番組アカウント ・ 堀 潤さんのアカウント へのリプライとしてツイートしたり、番組Webサイトへ直接意見として投稿したりもしてきたのだが、何年も改善の様子がない為「無駄なことをしている」気分になった。

頭隠して尻隠さず政権

 「 頭隠して尻隠さず 」という慣用表現がある。一部を隠して全部を隠したつもりでいることや、その状態の滑稽さを表現する場合に用いる表現だ。 頭隠して尻隠さず - 故事ことわざ辞典 では、「雉(きじ)は、追われると草むらの中に頭を突っ込んで隠れたつもりでいるが、尾は丸見えになっていることから」「江戸いろはかるたの一つ」とその由来を解説している。  英語にも同じニュアンスの慣用表現があり、「 Ostrich Policy 」或いは単に「ostrich」と言ったりするそうだ。オストリッチとはダチョウのことで、「Ostrich Policy」は直訳するとダチョウの政策だが「ダチョウのやること」ぐらいの意味合いだろう。日本のキジの話同様に「ダチョウは砂に頭をうずめただけで、体丸出しなのに見つからないと思っている」というのがその由来だそうだ。キジとダチョウは違えど同じく鳥に由来しているのが面白い。これ以外でも鳥は、「3歩いたら忘れる」など考え足らずの象徴として用いられる。カラスのようにとても賢い鳥もいるのに。

置いてけぼり・他人事・無関心

 置き去りにすることを「 置いてけぼり 」にするとも言う。この表現は江戸時代の落語の怪談噺、その名も「置行堀」( Wikipedia )に由来するそうだ。置行堀は魚がよく釣れるお堀なのだが、魚釣りをしているとどこからともなく「置いていけ、置いていけ」という声が聞こえてくるという話だ。自分はアニメ「まんが日本昔話」でこの話を知ったように記憶している。

「花見」を口実にした、税金で行う支持者接待の会

 日本で「花」と単に言う場合、文脈上特に説明などがなければ基本的には桜を指す。平安時代・900年代に編纂された古今和歌集に、既に桜を指す「花」という表現が見られる。因みに、奈良時代・700年代後半に成立したとされている、日本最古の歌集・万葉集の歌の中には、「花」という表現で梅を指す場合も少なくないそうだ。Wikipediaの サクラ#歴史 の項では、万葉集では、中国文化の影響からか、梅の歌118首に対し桜の歌は44首に過ぎなかったが、平安時代に国風文化が育つに連れて徐々に桜の人気が高まり、「花」は桜を指すようになった、と解説している。  つまり、 日本人にとっての桜は、国を象徴する存在の1つである 、と言えるだろう。

日光東照宮の三猿と秩父神社の三猿の違い

  日光東照宮 にある神厩舎の装飾の1つとして有名な三猿(見ざる/見猿・聞かざる/聞か猿・言わざる/言わ猿)。三猿については、中国の思想家・孔子の教えをまとめた書物・論語の中にある、「非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿言、 非礼勿動」(礼にあらざれば視るなかれ、礼にあらざれば聴くなかれ、礼にあらざれば言うなかれ、礼にあらざればおこなうなかれ)という一節に由来するという説もあれば、インドのラーマーヤナ説話をその起源とする説などもあるようだ( 三猿 - Wikipedia )。起源は何であれ、「 余計なことは見ない、聞かない、言わない 」そういうことを慎めば人生を幸福に送ることができる、とする教えを象徴していることに違いはないようだ。

裸の王様を船長にしていたら、その船は沈んでしまう

 適切な指摘でも自分に都合が悪ければ片っ端から排除し、周りをYESマンの太鼓持ちばかりにしている裸の王様を船長にしていたら、その船は沈んでしまう。裸の王様とその子分の船乗り達は自分達の部屋や食事を豪華にして、それを賄う為に航行に必要な道具を次から次へと売り払ったり、壊したり捨てたりしている。やりたい放題だ。

首相が3日で2度も、1年に26回も不適切発言を繰り返す国

 「 仏の顔も三度まで 」ということわざがある。舐めた真似を3度もされたら、いくら心の広い仏様でも腹を立てるという話に由来する、慈悲深い人でも無法なことをたびたびされると怒ることを表現したことわざだ( 仏の顔も三度(ホトケノカオモサンド)とは - コトバンク )。自分は子供の頃、ある時母に叱られた後に、祖父にこの言葉を教えられた。祖父は「仏様なら3回までは大目に見てくれるが、普通の人はそうはいかない。同じ失敗を2度すれば大抵の人は怒る」と言っていた。同じ注意を受けるような失敗は繰り返えさないようにするのが利口だ、という話だった。  仏様と言えば大抵柔和な顔をしているが、明王のように憤怒相の仏様もいる( 明王 - Wikipedia )。自分は全く信心深くない為、詳しい話はわからないが、間違いを許す柔和な心だけでなく、間違いを正すのには怒りも必要だ、ということかもしれない。

100回分使用できる量の所持=販売目的 と言えるか

 先日実家に帰った際に通っていた小学校に行ってみた。懐かしいという印象よりも、まず「え?こんなに狭かったっけ?」という印象が湧いた。単に自分が大きくなっただけだが、小学生の頃は活動範囲が狭かったこともあって、小学校の校庭や校舎が大きく感じられたのだろう。一人で鹿児島の指宿までクルマで行った時は、凄く遠くに来た感があった。小学生当時の自分からしたらそれはもう大冒険レベルだろう。しかし世界地図で見ればホンの少しの距離にしか見えない。太陽系全体と比較してみたら、移動した内に入らない点のような距離に過ぎない。 比較とは何と比べるかで印象が大きく変わる 。何かを比較するときは、適切な対象と比較することがとても重要だ。

他人にはヤジを飛ばすなと言うのに自分はヤジを飛ばし、指摘されるとしどろもどろになってしまう男

 日本は議員内閣制であり、立法府の多数派である与党のトップが行政府の長・内閣総理大臣を兼ねる仕組みなので、与党の議員らによる行政府への追求が甘くなりがちなのはある程度仕方がない。仕方がないで済ませば三権分立の形骸化を認めることになるので、本来は仕方がないなんて言うべきではないのかもしれなし、改善の余地もあるだろうが、それでも現状ではやはり「ある程度」は仕方ない。   およそ8カ月ぶりとなる予算委員会が11/6に衆議院で開かれた 。かなり久しぶりの開催だったし、台風被害への対応より組閣が優先されたり、消費税増税が実施されたり、立て続けに大臣が辞職したり、表現の自由の抑圧が著しく懸念される事案が複数あったり、いい加減な大学入試制度の延期があったりしたので、どんなことが取り上げられるのか興味があり、流石に数時間分の審議に全てくまなく目を通す余裕はないが、掻い摘まみつつ一応全体に目を通した。ハッキリ言って与党議員は政権の太鼓持ちでしかなくなっている。「ある程度」ではなく、行政府を監視するという立法府の役目を「全く」果たせていない。

性的・エロに関する価値観は人それぞれだから…

 少し前に、 日本赤十字社が献血を呼びかけるためにweb漫画とコラボで作成したポスターにネット上で注目が集まっていた ( 「宇崎ちゃん」献血ポスターはなぜ問題か…「女性差別」から考える(牟田 和恵) | 現代ビジネス | 講談社 )。誰だったかは失念したが、ある女性が「このポスターに起用されたのがルパン三世の峰不二子だったらどう感じるか」という疑問を呈していた。「なる程、そう考えると当該ポスターだけを否定するのはどうか…?」という気もしたが、当該ポスターに用いられたキャラクターは、一応大学2年生という設定のようだが、中学生と言っても通じるような童顔にアンバランスな程大きなバストが組み合わされており、しかも過度に胸を強調するアングルで描かれたカットが使用されている。性的・エロに関する価値観は人それぞれだろうが、個人的には献血啓蒙のポスターには向かないイラストだと考える。

炎上あれこれ

 沖縄・首里城で火災が起きたのは10/31の未明だった。 11/1の投稿 では、その原因については、センシティブだからか、警察や消防から予測すら示されていないこと、それに関するデマが飛び交っていることについて書いた。今日・11/5の時点では、外部からの侵入の形跡がないこと、警察が電気設備を調べていることなどが既に伝えられているが( 首里城火災、ショートの可能性も捜査 「分電盤」か 焦げた電気設備を回収 | 沖縄タイムス+プラス ニュース | 沖縄タイムス+プラス )、果たしてこの話はいつの時点で浮上していたのだろうか。

レジ袋削減に関連して

 最近レジ袋の提供を有料化しているスーパーマーケットも多い。しかし、まだまだ無償の店もある。ディスカウントストアのドン・キホーテをよく利用するが、自分がよく行く店では未だに、「そんなにいらねぇよ!」という枚数を会計の際に買い物かごに入れてくる。最近は断るようにしているが、計画的な来店でなく咄嗟に立ち寄って鞄を持っていない場合などに、会計後ビニール袋に商品を入れると、大抵使った分と同数の袋が余る。重たいと破けるから2重にしろということなのか、「足りねぇよ!」というクレームへの対策なのかは分からないが、ほぼ確実に余る。そうやって余った袋が、その袋がパンパンになるくらい家に溜まっている。しばしば使っているが全然減らない。

文化・文明・現代的

 11/3は祝日で、文化の日ということになっている。 Wikipedia:文化の日 によると、 11/3が文化の日になったのは1948年からで、1946年11/3に日本国憲法が公布されたことに由来する祝日 らしい。Wikipediaでは「日本国憲法が平和と文化を重視している」ので文化の日とした、と説明されている。因みに、日本国憲法が施行された日・5/3は憲法記念日になっている。  但し11/3は戦前も、明治天皇の誕生日に由来する天長節/明治節という祝日だった。便宜上文化の日は明治天皇の誕生日とは無関係とされているが、日本国憲法の公布を天長節/明治節だった11/3に合わせたという話もある。また、近年一部で、文化の日を明治の日に改称しようという動きもあるようだが( 「明治の日」集会で露見した民進党の“バラバラ感” 自民・古屋圭司氏が民進・鷲尾英一郎氏にチクリと放った一言とは…(1/2ページ) - 産経ニュース )、現憲法に因んだ祝日をわざわざ明治天皇由来に変えるのには、戦前回帰的なニュアンスを強く感じるので止めてもらいたい。

強きに屈し弱きを軽んじる

 石川五右衛門は義賊として有名だ。「天下の大泥棒」とも呼ばれるが、彼が盗みの対象にするのは権力者や富を独占する商人で、盗み出した金品を貧しい庶民に振りまくヒーローとして語り継がれ、「 強きを挫き弱きを助く大盗賊 」とも称される。彼は浄瑠璃や歌舞伎、浮世絵などの題材に多く取り上げられ、近代以降は度々映画が製作されている。マンガ/アニメのルパン三世には彼の子孫という設定のキャラクターが登場し、「がんばれゴエモン」シリーズを始めとしたテレビゲームにもなっている( Wikipedia:石川五右衛門 )。

象徴的建造物の火災に乗じたレッテル貼り

 1933年2/27の夜に発生した ドイツ国会議事堂放火事件 ( Wikipedia )。オランダ人でオランダ共産党員のマリヌス ファン デア ルッベが犯人とされ、ヒトラー率いるナチ党が「共産主義者による反乱計画の一端」であると主張し、緊急大統領令を制定した。その大統領令によって3000人以上の共産党員・ドイツ社会民主党員が逮捕拘束され、ナチ党以外の政治勢力は力を奪われ、悪名高い全権委任法が成立することになる。  ヴァイマル憲法に規定された国家緊急権を、国会議事堂放火は共産主義者の陰謀であると煽って濫用し、その状況下で全権委任法を成立させることで、最終的にヴァイマル憲法に縛られない無制限の立法権をヒトラー政権は手に入れている。つまりドイツ国会議事堂放火事件は、ヒトラー率いるナチ党の独裁確立の大きな足掛かりになった。