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9月, 2018の投稿を表示しています
 

スタンフォード監獄実験と弁護士への不当懲戒請求

 2001年(日本では翌2002年)に公開された「 es(エス) 」という映画がある。それはドイツの映画で、タイトルになっているesとは、ドイツ語で「それは」という意味なのだそう。ただ、この場合は精神分析学の用語で「 深層心理中の無意識の部分」の事のようだ。自分はこれまでにこの映画を何度か見ているが、公開直後に 渋谷の映画館で 初めて見た時は相当衝撃を受けた。  ドイツのある大学で、被験者が模擬刑務所で看守と囚人に分かれそれぞれの役割を演じながら2週間過ごすという設定で、実験の中で看守と囚人が対立を始めた結果、看守役らが暴走し始め、暴力的で凄惨な事件に至るという内容の映画で、全くのノンフィクションではなく、映画ならではの演出も含まれていたとは言え、過去にあった実際の実験・事件がモチーフになっていた映画だったからだ。

選挙をめぐる無責任な言説等について

 現在(9/29正午頃)沖縄を台風が直撃している。幸か不幸か明日の沖縄県知事選の投開票日の直撃だけは免れたが、停電等の被害は既に出ているようで、少なからず知事選にも影響が出るのではないかと心配になる。しかし沖縄県知事選について、台風の影響以上に気になるのは、選挙期間中のさまざまな不適切な選挙運動や、公職選挙法に抵触する恐れのある言説がネット上で広がっている事の影響だ。このようなことに関しては、 9/22の投稿 でも「誰に投票したかを撮影して報告させている企業がある」との指摘があることに触れたが、その後も別の事案が報道されている。

裁量労働制と長時間労働

 三菱電機で2014-17年の間に、5件の労災認定事案が発生し、内2人は自殺、別の3人は脳梗塞、くも膜下出血、精神疾患を患っているそうだ。しかも自殺者1人を含むこの内の3人は、裁量労働制の労働者だったことが伝えられている( 毎日新聞の記事 )。この件は、今朝のMXテレビ・ モーニングCROSS でも取り上げていた。それに対する視聴者ツイートの中に、 裁量労働制が問題じゃなくて、過労死するほど長時間働くことにストップがかからないのが問題なんじゃない? #クロス — Nobuaki Tobari (@richard_nt) 2018年9月27日 という主張があって驚いた。確かに、自殺や疾患が引き起こされた直接的な原因は長時間労働であることに違いはない。しかし、5件の内3人の労働者が裁量労働制で働いていたのだから、裁量労働制が長時間労働を悪化させた恐れは否めない。言い換えればその間に因果性は無くとも相関性がある恐れは充分にあると言えるだろう。

自由な自己主張は常に責任を伴う

 ツイッターの構造上の問題点に関して、このブログでは文字数制限をしばしば指摘してきた。厳密にはツイッターだけではなく、ラインのようなチャット系文字コミュニケーションや、古くは2ちゃんねる改め5ちゃんねるのようなネット掲示板上での文字コミュニケーションの影響もあるだろうが、文字数制限が言葉足らずの主張を促進している側面が確実にあると考える。言葉足らずの主張をしておきながら、いざ不適切な点を指摘されると、やれ「誤解」だの「勝手な解釈」だのとする者が決して少なくない状況をとても憂慮する。  このような状況を更に悪化させているのは、まともな演説や主張が出来ない政治家が、所謂失言(個人的には失言ではなく、単に本音が溢れ出ただけだと思う)についての釈明する際に、責任逃れの常套句のように「誤解を招いた」と謝罪していることだと考える。

新潮45休刊表明と、民放連の憲法改正CM方針に感じる事

 大きな波紋を呼んでいる新潮45、LGBTへの偏見の問題について、新潮社が当該誌の休刊を発表した。これについて「言論弾圧」だの「言論統制」だのと不見識な主張をあちらこちらで見かけるが、黒人の権利をこれまで一方的に抑圧してきた歴史を考慮もせず、場合によっては「黒人によって白人社会が脅かされている」などと、差別を無理やり正当化しようとする白人至上主義者の発想と大差なく、強い嫌悪感を抱く。そもそも 言論弾圧も言論統制も、政府や有力な政治勢力等が権力を背景に、強権的に言論・表現の自由を一方的に抑圧する行為 を指す。民間から噴出した不適切な行為への批判や抗議行動に「言論弾圧」「言論統制」とレッテルを貼るのは、それ自体が言論・表現の自由を不当に抑制しようとする言説である恐れがある。新しく覚えた言葉を兎に角使ってみたい子供のように、意味を歪曲するのは止めた方がいい。評論家や何かしらの専門家を自称する者は尚更だ。

テレビとアーカイブ、ネットで引用しやすい仕組みの必要性

 この投稿は昨日宣言した通りその続きだが、昨日の投稿「 「人に優しくするのは損じゃない」という声は、届いて欲しい人に届くか 」とは、内容的には殆ど関連性がない全く別の話題だ。  昨日の投稿では、同性愛者であることを公言している弁護士・南 和行さんが、MXテレビ・ モーニングCROSS で語った話に対する個人的な感想・受け止めを書いた。それを説明するのに、番組の当該部分で南さんが何を語ったのかは非常に重要で、読む人に何が語られたのかを把握した上で投稿を読んで貰いたかったし、その前提がなければ私が書いたものを読んでも「私の勝手な解釈」と受け取られかねないし、本当は番組の当該部分の映像をそっくりそのまま個人的にアップしたいぐらいの気分だったが、流石にそれは色々と問題があるだろうから、スクリーンショットと当該部分の文字おこしを投稿に添えた。 要するに番組の当該部分を、必要性に応じて引用したと自分は思っている。

「人に優しくするのは損じゃない」という声は、届いて欲しい人に届くか

 今朝のMXテレビ・モーニングCROSSには同性愛者であることを公言している弁護士・南 和行さんがコメンテーターとして出演していた。同番組では、その日のコメンテーターの3人がそれぞれテーマを選んで問題提起をしたり、そのテーマへの受け止めを披露したりするオピニオンクロスというコーナーがあるのだが、南さんのオピニオンは新潮45が7月に掲載した杉田氏の差別的な主張や、今月発売の10月号に掲載した「そんなにおかしいか「杉田水脈」論文」という更に酷い内容の企画を前提にした 「人に優しくするのは損じゃない」という話だった。この件については、このブログで自分も複数回、何がどう不適切なのかを書いたし、そのような視点での主張は既にあちらこちらでされている。南さんが今日披露した視点はそれらとは少し異なり、ザックリ言えば、杉田氏や新潮45の企画に乗った人達のような主張に対して、どのような態度で接するべきなのか、というような視点を含む話だった。

責任の伴わない「自由」の危険性

 沖縄・読谷村で9/7の夜に、 酒に酔った米陸軍の兵士が上半身裸で村民宅に無断で侵入するという事件 が起きた( 毎日新聞の記事 )。この時在宅していた高校2年生の長女は、生後5か月の妹を連れて窓から裸足で逃げ出したそうだ。米兵がどんな目的で不法侵入を犯したのかは明らかにされていないが、場合によっては傷害・強姦、最悪の場合”致死”なんてことにもなっていたかもしれないと思え、ゾッとさせられる。しかし一方で、どこか「またか」程度にしか思えず驚いていない自分もいる。そんな自分の感覚にも嫌悪を感じてしまう。  沖縄だけで考えても、不法侵入や傷害事件・強制わいせつ事件を起こすのは米兵だけではないだろう。日本全体で考えたら確実に日本人起こす事件の方が多いはずだ。しかしそれは米兵に限った話ではなく、他の外国人にも言えることで、特に一部の人々が強烈に嫌悪している韓国・中国人でも同じことだ。所謂嫌韓・嫌中論者たちは、一部の不良外国人が起こす事件を見て、まるで全ての外国人、特に韓国人・中国人が犯罪者・不良かのように論じるが、彼らは何故米軍・米兵を同じ様なスタンスで批判をしないのだろうか。勿論一部の外国人・米兵の行いだけを見て、全ての外国人・米兵にレッテルを貼るのは確実に不適切だが、出自・所属等でそのレッテルを貼るか否かを変えるようでは、その論の乱暴さはさらに際立つことになる。

ロシアでの選挙不正、他人事ではない

 「 ロシア極東の知事選、不正相次ぎ初の「無効」に 再選挙へ 」AFPが伝えた、日本人にも馴染みのあるロシア極東の都市・ウラジオストクを首府とする沿海地方の知事選で、 プーチン大統領が支持する候補者に有利になるような不正が発覚し、選挙委員会が知事選の結果を無効とする判断を下した という記事の見出しだ。記事によれば、選挙結果が無効とされたのはロシア現代史上初めてだそうだが、自分の記憶の限り日本でもそんな話を聞いた事はない(実際のところは、調べていないので定かではない)。恐らくこの記事を読んでも多くの日本人は「日本では起こり得ない話」とか、対岸の火事程度にしか感じないだろうし、事実この件は全然話題になっていない。しかし自分は、そんな風にこの件を捉えていたら足元をすくわれかねないと感じる。

馬鹿げた話にも付き合わなければならない、というジレンマ

  9/19の投稿 でも書いた、新潮45の「 そんなにおかしいか「杉田水脈」論文 」という酷いと言わざるを得ない内容の企画に関連して、アベマTVの番組・AbemaPrimeでは19日の放送で即座に、その企画でコラムを書いた内の1人・小川榮太郎さんを呼んで話を聞いていた。その様子はアベマTVのブログ・AbemaTimesでも「 「じっくり文章を読んでくれれば対話点は見つかる」杉田水脈議員"擁護"を「新潮45」に寄稿した小川榮太郎氏が生出演で語ったこと 」という見出しで記事化もしている。  自分は記事だけでなく実際に番組も視聴したが、実際に彼がしゃべっているのを目の当たりにすると、活字でそれを読むよりはるかに醜悪さが際立ち、視聴に使っていたタブレットの画面をかち割りたくなるような衝動に駆られた。ハッキリ言って”さん”という敬称を付けることすらしたくない気分だ。杉田氏にしろ小川榮太郎にしろ、勿論他の、新潮45の馬鹿げた企画に論を書いた者全てに言えることだが、異性愛が正常で同性愛は異常という感覚を前提に、無理矢理それを正当化しようとしているとしか言いようがない。 現在この国では、憲法に「基本的人権の尊重」「法の下の平等」が規定されている が、どうやら彼らはそのことを知らないようで、同じ国に住む者として恥ずかしいことこの上ない。

滲み出る嘘、整合性のない話恥じない安倍自民総裁

 実質的に日本の首相を選ぶことになる、自民党総裁選の結果が今日判明する。自民党の総裁選なので当然と言えば当然だが、実質的に首相を選らぶと言っても多くの国民には投票の権利はなく、自民党の国会議員と党員の投票だけで決まる。選挙制度については時事通信が 解説記事 を掲載しているので、詳しくはそちらを参照して欲しい。  今日投票が行われるのは国会議員の票だけで、党員票は既に昨日投票が締め切られている。なのに何故か昨日、立候補している2人が、安倍氏は秋葉原、石破氏は渋谷と街頭で最後のお願いたる演説を行ったそうだ。これは一体誰に向けた最後のお願いなのだろうか。一般国民ははなから投票権などないし、一般党員についてもこの日が投票日だった。しかし演説は夕方以降も行われていたようで、 なんで翌日に投票する国会議員票の為にわざわざ街頭演説する必要があるのか不思議だ 。勿論総裁選の為だけに演説を行ったわけではないだろうが、このタイミングでそれぞれの陣営の総力を結集した演説会を開くなんてのは、個人的にはパフォーマンス染みているとしか思えなかった。

再燃する杉田LGBT差別発言、新潮社と自民党の共通点

 7月、自民党杉田議員が書いた「LGBTは子供を産まないので生産性がない」という旨のコラムを、 新潮45 が掲載して大きな波紋を呼んだ。この件については、掲載から約2カ月経つ今もまだまだ注目が集まっているような状況で、例えば、BuzzFeed Japanは9/18にも「 言葉には副作用があることをわすれないで 杉田水脈発言で傷つくがん患者たち 」という記事を掲載しているし、これまでもしばしば関連記事の掲載を続けている。また、 昨日の投稿 で取り上げた自民党総裁選に関する討論会でも話題の一つになっていた。  この話題について、9/16に朝日新聞が掲載した記事「杉田水脈氏への批判は「 見当外れ」 新潮45が掲載へ 」を見て自分の目を疑った。9/18発売の新潮45 10月号が「 そんなにおかしいか「杉田水脈」論文 」という企画を掲載するというのだ。杉田氏は自身のコラムに「LGBT支援の度が過ぎる」というタイトルを掲げていたが、自分は、   (新潮45は)杉田水脈支援の度が過ぎる としか思えなかった。

報ステ・News23での、自民総裁候補2人の討論を見て思う

 昨夜はテレビ朝日・ 報道ステーション 、TBS・ News23 と、民放夜のニュース2番組で、自民党総裁選を戦う安倍氏と石破氏の討論が放送された。これまでにも、この総裁選に関する2人の討論企画はいくつかあったが、最盛期に比べればネットに押され気味とは言え、それでもまだまだ相応の影響力を持つ民放局の企画だったことや、放送された時間帯、そして総裁選期間中最後の討論企画だったことを考えると注目度はかなり高かったのだろう。現に放送直後から関連ワードがツイッターのトレンドに幾つも入っていたし、この投稿を書いている放送翌日の昼頃になってもまだ、自分のタイムラインには関連するツイートが多く表示されている。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

刺青問題・偏見に迎合する観光施設

 先月(2018年8月)、タレントのりゅうちぇるさんが家族の名前の刺青を入れていることについて、彼に対して主にネット上で多くの人が批判したことで、刺青に対する嫌悪や偏見、差別に対して注目が集まった。ただ、その件でその手の話が盛り上がったわけではなく、何年も前から刺青に対する偏見に関する議論はあったし、自分もりゅうちぇるさんの件に注目が集まる以前から、 ルールの本質 (2018.4.4) 刺青・喫煙・多様性 (2018.6.4) 独り歩きし始める規則 (2018.7.14) りゅうちぇる刺青批判・「怖い」だけで排除しようとすることの恐ろしさ (2018.8.25) など、複数回このブログで取り上げている。だからこれから書くことは重複も多いかもしれない。しかし、おかしいと思ったことには「おかしい」と言い続けることが重要だと考えるので、何度でも同じことを書こうと思う。

パワハラといじめと劣悪な労働環境

 今年の3月頃、レスリング協会でのパワハラ、日大アメフト部での悪質タックルの指示が表面化した。その後ボクシング・体操・ウェイトリフティングなどの協会内でもパワハラがあったことが明るみになり、個人的には セクハラ問題同様、スポーツ界パワハラ問題でもMeTooムーブメントと似た動きが起きている と感じている。これらの問題の大きな転機だったのは、監督に悪質タックルを命じられて、と言うか実質的には強要されて実行してしまった選手が、自分の行為を恥じつつも、あのプレーにどんな背景があったのかを記者会見で詳細に語ったことだと感じる。記者会見に臨むのにはかなり勇気がいることだっただろう。彼のあの行動があったから問題が有耶無耶になることもなかったのだろうし、それがその後、各スポーツ界で似たような話があることが明るみになることのきっかけになったのだろうし、また、体操の宮川選手にも会見に臨む勇気を与えたと思う。このような動きが、未だにスポーツ界に根強く残る我慢根性を必要以上に求める風潮が、少しでも改善することのきっかけになって欲しい。

「尊い犠牲の上に、現在の平和がある」という首相の発言に感じる強烈な違和感

 9/11に開幕した東方経済フォーラムに出席する為に、安倍首相は今週、ロシア・ウラジオストクを訪れていた。ロシアのプーチン大統領が突然、 一切の前提条件抜きにして年末までに平和条約を結ぼう と提案したことに大きな注目が集まり、苦笑いすることしかできなかった安倍首相に対して、様々な見解が示されている。それでも安倍首相は帰国後の今日・午前の自民総裁選に関する討論会で、「 地球儀を俯瞰する外交で存在感を取り戻した 」と、その成果を強調したそうだ。現政権下では北方領土問題に関しても、北朝鮮の拉致問題に関しても大した進展がない。勿論その前民の主党政権も自民政権でもこれらの問題には、小泉政権以降殆ど進展がないが、安倍首相は一体何をもって成果だと考えているのだろうか。もし万が一アメリカとの関係維持・強化が成果だと思っているのだとしたら、そんなのは成果でもなんでもなく既定路線の単なる継承に過ぎない。  安倍首相は、頼みの綱の経済面でも都合の良い数字を強調するだけで、物価上昇率の目標が達成できていないこと・可処分所得の減少等都合の悪い、というか改善が必要な問題点にはあまり触れない。外交に関しても同様で、耳障りのよい言葉を支持者向けに発信しているようにしか見えない。彼に現状を適切に認識する能力が本当にあるのか疑問だ。あると言うのなら、是非言動でそれを示して欲しい。

全米オープン決勝に絡むいくつかの差別案件について

 9/9、大坂 なおみ選手が、彼女自身の憧れの選手だったという、セリーナ ウィリアムズ選手を破り全米オープンで優勝を果たした。この件については「快挙」として伝えられ、一部の報道では「 日本人初のグランドスラム優勝 」という見出し・フレーズが使われていた。しかし日本のテニス界には、グランドスラム車いす部門で、シングルス・ダブルスを合わせて42回の優勝を誇る国枝 慎吾選手がいる。自分は この見出し・フレーズに無意識の障害者差別を感じてしまった 。  日本人の一部に、ダルビッシュ選手やオコエ選手、ケンブリッジ 飛鳥選手など、純粋なネイティブジャパニーズではないスポーツ選手が活躍すると「日本人ではない」などと言いだす人がいる。彼らは確かに所謂純粋なネイティブジャパニーズではないかもしれないが、日本国籍を持つ日本人であることには何の疑いもない。彼らに対して「日本人ではない」と言うのは、見た目や出自(転校生等)でいじめを行う小学生レベルの行為ではないのか。  大坂選手に対しても同様の心無い指摘があったようだが、一方で彼女の全米オープン優勝に対して「日本人初のグランドスラム優勝」という表現を、テレビや新聞など大手メディアが懸念もなく用いたのを目の当たりにすると、見た目や出自に関してだけでなく、障害者・性別・その他もろもろ、差別や偏見に関する日本人の認識はまだまだ高いとは言えず、前段のような事を言い出す人が一定数いることは、容認など到底できないものの、ある意味では必然なのかもしれないと感じる。

エクストリーム修復の是非

 スペインで15世紀のマリア像がド派手に修復されたと話題になり、複数のメディアが伝えている(例: 時事通信の記事 )。スペインでのこの手の修復は今回が初めてではなく、2012年にキリストの肖像画が、称して元とは似ても似つかない状態に修復されてしまったことが話題になったあたりから、 スペインのエクストリーム修復四天王 pic.twitter.com/mGDhZnZP7G — いきうめ (@dilettante_k) 2018年9月10日 このツイートが紹介しているように数件起こっている。2012年のキリスト肖像画の街では、これが話題になったことで寧ろ観光客が増えたそうで、今回も2匹目のどじょうを狙っているのではないか?という見方もあるようだ。

期待に欠ける2人の総裁候補

 実質的に総理大臣を選ぶ与党の総裁選が始まった。実際には「始まった」と言っても、数か月前から総裁選に向けた動きは公然と行われ、また報じられており、厳密には、公示を受けて「本格的に総裁選が始まった」と言うのが正確だ。立候補したのは現職の安倍氏と、対抗の石破氏だけだ。公示前から安倍氏を支持する国会議員は7割とも伝えられており、出来レースなんてことを言う人たちもいる。本人らは公示前から方針・姿勢を示しているのだし、総裁選がなかろうがどちらに考えが近いのかということは、国会議員なら意識もするだろうから、公示前に支持表明があってもおかしくはないのだろうだ、論戦も何もないのに支持が固まっているのも変だとも感じる。  9/6に北海道で大きな地震が起きたことを受け、石破氏は総裁選の延期も検討するべきではないかと訴えていたが、結局延期ではなく、予定通り公示は行うものの最初の週末は震災対応の為選挙活動を自粛するということになり、昨日が公示後の本格的な選挙戦の初日で、二人の候補者が初めて揃う立ち会い演説会が行われた。

宗教とは何か

 マレーシアの同性愛者の女性2人へ、イスラム法に反した罪による鞭打ちの公開処刑が実施されたと、BuzzFeed Japanが「 同性愛の罪で逮捕された2人の女性へ下されたのはむち打ち刑だった 」という記事で伝えた。   宗教とは一体何のために存在するのだろうか 。様々な見解が存在するのだろうが、自然の驚異などへの絶望感を緩和する為や、人間が人間に対して行う理不尽な行為を抑制したり、理不尽な行為を受けた者の救済がその大きな目的なのではないだろうか。言い換えれば、全ての人、少なくともその宗教を信じる人全てを救済する、若しくは幸せをもたらすことがそれぞれの宗教の存在意義ではないのか。と自分は考える。  果たして同性愛を罪とする宗教上の規制は誰かを幸せにするだろうか。自分には、誰かを不幸にすることはあっても、誰かを幸せにすることはないように思える。それとも、そんなしきたりであっても、守らない者・教えに反した者は救済する必要がない、幸せにする対象ではないということなのだろうか。誰かを傷つけたり不幸にしたりするわけではない行為を理由として、考え方の異なる一部の人を排除しようとすることが、宗教によって肯定されることに矛盾を感じてしまう。

安倍晋三は独裁者なのか

 昨日・9/8の朝、ツイッターのトレンドワードの上位に # 安倍晋三は独裁者 というハッシュタグがあった。確かに、今月行われる総裁選に関しても「 現職がいるのに総裁選に出るというのは、現職に辞めろと迫るのと同じ 」と言ってみたり( 産経新聞の記事 )、本人は「 (報復人事は)一切ない 」と言っているものの( 毎日新聞の記事 )、7月後半まで岸田氏が総裁選出馬を検討していたことに対して、党内には「 今さら、安倍さんを支持と言っても遅い 」というような声もあるようだし( 日テレNEWS24の記事 )、「正直、公正」というスローガンを掲げて出馬を表明した石破氏に対して「 個人攻撃は控えて 」という批判が起きたり( 毎日新聞の記事 )、独裁国家的な指導者個人を過剰に崇拝する風潮が垣間見え、あながち間違いとも言えないと感じる。  最初の安倍氏自身の発言以外は、「自民党内の一部の行き過ぎた声であって、安倍氏の意向ではない」と見ることもできる。しかし、現在の安倍氏は党総裁であり、現首相でもある。ならばそんな声が出ないようにもっと不快感を示してもいいようにも思うが、彼がそういう態度を示したという話はマスコミからも、積極的な彼の支持者らからも全く聞こえてこない。それでは自民党内が安倍氏を中心に、独裁のような状態に向かっているという懸念が生じても仕方がないように思う。

先進国と後進国

 「先進国」という言葉がある。 Wikipedia によるとその定義にはいくつかあるようだが、多くの日本語話者が、 先進国という言葉から連想するのは、経済的な豊かさを有する民主的で平等な成熟した社会を実現している国 、だろう。先進国の対になる表現に「後進国」という表現がある。自分は必ずしもそうは思わないが、一部でこの表現は差別的とか蔑視に基づいた表現と認識する人もいるようだ。類義語に発展途上国・開発途上国などの表現もあるが、それらも後進国同様悪いイメージを連想する人がいるようで、少しニュアンスは異なるというのが実情なのだろうが、最近は比較的ポジティブな表現「新興国」が用いられる場面も多い。  しかし、この投稿では先進国の対義語として「後進国」という表現を敢えて用いることにする。多くの日本語話者が、 後進国という表現から連想するのは、経済的に豊かとは言えない、若しくは民主的で平等な状況が実現していない未成熟な社会情勢の国 、だろうと推測する。

想定外

 9/6の早朝に北海道で震度7の大きな地震が起きた。当初震度6強との発表だったが、気象庁はその後、その震度を7に修正して「 平成30年北海道胆振東部地震 」と呼ぶことを発表した( tenki.jpの記事 )。この地震の影響で北海道全域で停電が発生。1日経った現在、復旧は進み始め、一部では停電が解消しているようだが、まだまだ停電している地域の方が多い。完全に復旧するまでは1週間程度かかる見通しだそうだ。  この停電によって、現在運転を停止している北海道の泊原発でも外部からの電源供給が失われたそうだが、使用済み燃料プールにある核燃料の冷却に必要な電力は、非常用ディーゼル発電機を起動して電気を供給したそうだ。朝日新聞の記事「 外部電源喪失の泊原発、電気供給が復旧 北海道電力 」によると、発電機の燃料は少なくとも7日分は確保していたらしい。この記事を見ると、不測の事態への備えはそれなりに機能しているようにも感じる。

国旗国歌 ≠ 国そのもの

 ナイキがNFL・サンフランシスコ 49ersの元クォーターバックだった選手・コリン キャパニックさんを広告に起用したことが注目されている。その理由は、彼が2016年8月に、警察官が抵抗していない黒人に不必要に暴力を加え死に至らしめる事件や、安易に射殺するような事件が頻発したことを踏まえて、「 黒人・有色人種への差別がまかり通る国に敬意は払えない 」とし、試合前の国歌斉唱時に跪いて規律を拒否し、政府の対応への不満や社会情勢への抗議の意を示したからだ。この行為は他の選手や他のプロスポーツや選手にも波及し、黒人選手を中心に同じ行動をする選手が現れ、決して小さくないムーブメントとなった。要するに彼はこのムーブメントの象徴的な存在だから注目が集まっているのだろう。

日本は労働環境で優等生?

 自民党の総裁選が目前に迫り、出馬を表明した石破氏、安倍氏は共に支持集めに力を入れているようだ。NHKの報道によると、安倍首相は9/3に東京・立川で開かれた支援者集会にて「 世界で台頭する保護主義に対抗するためにも、日本が主導して、国際社会における労働や環境などのルールづくりに取り組む考えを示した 」そうだ。どうも彼は「日本主導」が好き、というか拘りすぎる傾向があるように思う。マレーシアやコスタリカが中心となって国連で提案した核禁止条約を反対票を投じ、核拡散防止条約を提案したり、今年のG7でも海洋プラスチック憲章に署名せず、国際的に批判を浴びると、2019年に大阪で開催予定のG20で、海洋プラスチックごみを世界全体で除去する戦略の構築を提案すると表明したり、全てが全て間違いではないのだろうが、「日本主導」が目的化しているのではないか。というか、杉田何某かの言葉を借りれば「日本主導の政治利用の度が過ぎる」のではないだろうか。

教科書持ち帰り問題について

 昨今、学習指導要領の改訂などによる影響もあり、教科書が以前より厚く重たくなり、その重さは、BuzzFeed Japanの記事「 文科省「置き勉」を認める通知へ 3割の子どもが「ランドセルで痛み」も 」によると、40年で約2倍になっているそうだ。現在多くの学校で、宿題や家庭での予習復習の為に教科書を毎日持ち運ぶことを推奨しているようだが、持ち運びの負担が大きいとの声を受けて、文科省が方向転換を促したというのが当該記事の趣旨だ。  この話についてはいろいろな視点からの主張が飛び交っている。例えば、この教科書を毎日持ち運ぶことを推奨する学校の方針は、ブラック校則と似たようなもの、という視点がある。教科書の使用頻度が最も高い場所は学校なのに、毎日持ち帰ることに意義が本当にあるのか、宿題予習復習の為に必要な教科書だけ持ち帰ればよいのではないか、というような話や、少なくとも小学校では、そもそも教科書を使うような学習は学校で行えばよい、宿題も必要ないし予習復習をしなくとも学習効果のある授業が行われるべき、なんて話もある。これらの話には違和感を感じるところもあるものの、考え方として圧倒的に何かがおかしいとも思えず、児童全員に教科書の毎日の持ち運びを推奨(半ば強制)する必要はないのかな?とも考えさせられる。

曲解

沖縄は、今の場所に基地があると周りの住民があぶないから移転しようとしてるのに、反対する人ってそこらへんどーでもいい人? #クロス — らむねこ (@ramito) 2018年9月2日  今朝のMXテレビ・ モーニングCROSS を見ていて画面に表示されたこの視聴者ツイートに強い違和感を覚えた。沖縄県が辺野古埋め立て承認撤回したことに関するツイートなのだが、自分の目には、歪んだ・歪曲した解釈、所謂「曲解」にしか思えなかった。まず「沖縄は」という括りの大きすぎる主語だ。沖縄と一口に言ってもおよそ142万人もの人がいる。いろいろな考え方の人がいる。沖縄にも「とりあえずどこでもいいから普天間から移転」と思っている人もいれば、「最低限でも沖縄県外に移転」と考えている人もいるし、「移転じゃなくて廃止を望む」人もいるだろう。番組MCの堀 潤さんがしばしば主張している「 主語が大きすぎる話 」という問題を孕んだツイートだ。

いじめとは思わなかった、差別でなく区別と言い張る、などの詭弁

 「 友人を橋から15メートル下の川へ突き落とした少女 あまりに無謀な危険行為に検察は起訴することを決めた 」、アメリカ・ワシントン州のある10代数人のグループが、橋の上からおよそ15m下の川へ飛び込む遊びをしていた。その中の1人だったジョーダンさんが飛び込むのをためらっていたところ、グループの中の別の1人がジョーダンさんを思いっきり突き落とした。不意に突き落とされたジョーダンさんは水面に叩きつけられ、肺の破裂・肋骨6本を骨折という大けがを負った、という事件についてのBuzzFeed Japan記事の見出しだ。突き落とされる様子はグループの誰かが撮影していたのか、記事にも引用されている。それを見る限り、かなり突然、しかも強い憎しみか悪意を疑うほどの強さで突き飛ばされている。しかし記事によれば、突き落としたテイラーさんは  彼女は飛び込みたがっていて、怖がっていた。私に押してと頼んできたんです。どんなことが起こりうるか想像していませんでした  彼女を傷つける気なんて全然なかった。誰かを傷つけようとしたことなんてありません などと主張しているそうだ。

募るサマータイム導入検討への疑問

 オリンピックの猛暑対策として、実行委員会 会長の森 喜朗氏がサマータイム導入なんてことを言いだした件について、 8/8の投稿 で取り上げた。そこでも紹介したように、安倍首相は「内閣としても検討する」とし、「 サマータイム導入は国民の評価が高いと聞いている 」とも発言したとNHKが報じた(当該記事は既に削除・または非公開になっているが、この台詞で検索すれば当時の放送のスクリーンショットがヒットする)。しかし、自分が知る限り、サマータイム導入に前向きな人よりも、懸念を感じている人の方が確実に多い。それはネット上でもそう思えるし、自分の周りにも前向きな人は殆どいない。自分の周りだけに特殊性がある恐れもあるものの、メディア報道等を見てもその疑いが強いとは思えない。首相は一体誰から何を聞いたのだろうか。それとも彼が「国民」と言っている人達は、世間一般の「国民」の定義とは違う、特定の人達だけのことなのだろうか。