スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

10月, 2020の投稿を表示しています
 

いろいろ言われているけど実際に会ってみるといい人、は至極当然の話

 記者クラブの記者が言うには、大阪市長で維新代表の松井は「街角で取材するとすごく人気がある」のだそうだ。この話は、大阪市廃止/特別区設置(維新曰く大阪都構想)の是非を問う住民投票を目前にした、弁護士の南 和行さんの ツイート による。南さんが勘違いされないように、南さんのその直前のツイートも掲載しておく。

見ればすぐに分かる色も合ってない素人塗装のような話

 ディスカバリーチャンネルでは、 ファストアンドラウド を始めとして、アメリカのカーカスタムショップ系リアリティーショーが幾つか放送されている。大抵旧車をベース車両として購入し、レストアやカスタムを施して売却し利益を上げるという筋書きだが、しばしば一見程度が良さそうな車両を調達したら中身はボロボロだった、という回が出てくる。最早定番のネタと言っても過言ではない。

価値観の違いを認めることが出来ない政権

  価値観とは、似たような趣味趣向を持つ人でも微妙に異なるもの だ。自分は模型やジオラマの展示会をたまに見に行く。最近は別の趣味を主に楽しんでいるので自分で製作することはほぼないが、精巧に作られたミニチュアを見るのはとてもワクワクする。誰でも、所謂男性的な側面のある人なら特に、少なからずそんな感覚を持っているのではないだろうか。

総理大臣は法を超越した存在ではない

  Above the law という表現がある。読んで字のごとく法を超越した(存在)という意味だ。「刑事ニコ/法の死角」という邦題で公開された、1988年に公開されたスティーブン セガール主演の映画も、原題は Above the law だった。刑事ニコには、ベトナムで行われるCIAによる人道無視の拷問や、シカゴ市警の刑事としてニコが逮捕した密売人が、 証人保護プログラム適用者だとしてFBIによって釈放されるなど、Above the law の要素が複数組み込まれていた。

日本に蔓延る無理解、視野狭窄、短絡的思考、偏見、人種・民族差別

 無理解、視野狭窄、短絡的思考、偏見、人種・民族差別。SNSを使っていると、そんなものが日本の社会には今も根強く渦巻いている、と殆ど毎日のように思い知らされる。勿論誰にでも少なからず偏見はある。感情こそ人間の人間たる要素の一つで、人間に感情がある限り偏見を根絶するなんて不可能だ。但し、だからどんな偏見も許されるという話では断じてない。 誰もが「自分にも偏見はある」ことを認識して、それと向き合い上手く付き合うことが重要 だ。

無関心は無責任と同義

 「 核兵器をもたず、つくらず、もちこませず 」は、米ソ冷戦と各国の核開発競争、日米安保などを背景にして、1967年に首相の佐藤 栄作が示した 非核三原則 である。1976年の核拡散防止条約採決に際しては「非核三原則が国是として確立されている」という表現を含む附帯決議が、1978年には「非核三原則を国是として堅持する我が国」という表現を含む決議も国会で採択されている。

収入減に苦しむ非正規労働者を「見えないくん」扱い

 いじめの手法にはいろいろとある。典型的で傍目にも分かりやすいのは暴力や暴言等を浴びせる手法だ。だが「何もしない」という手法もある。一人でも成立するケースはあるが、多くの場合多数が「何もしない」にという行為に加担することで成立する。 「見えないくん」などと称して、例えばクラス全体がある一人、又は少人数のグループを一斉に無視し、対象をいないものとして振舞う という手法の、排除型いじめの一種だ。

休みが増えればその分非正規雇用労働者の収入は減る

 昨夜のDommuneでは「AEQUITAS & SUPER DOMMUNE Presents『WORKING CLASS REUNION』」と題し、新型コロナウイルス感染拡大が収まらない中で、雇用や労働条件、労働環境といった、特に非正規雇用労働者をめぐる状況が悪化の一途を辿っていることや、そんな状況での労働組合の存在意義、自己責任論が如何に健全な社会を壊すかなどについて語られていた。

口約束よりも、しっかりと契約書を通して契約するのが一般的です

 2月に注目が集まった東京高検 黒川弘務検事長の定年延長問題に関する国会での議論の中で、法務大臣の口から「 口頭決裁 」という言葉が飛び出した。口頭決裁とは意思決定を口頭で行うことを意味しているが、従来からあったとは言い難い表現で、この時生まれた言葉と言っても過言ではない。

発言の整合性に欠ける、首相を始めとした自民党関係者たち

 ブーメランとは、狩猟やスポーツに使われる棍棒の一種で、日本語では特に投げた後にある程度の距離を飛行した後に、回転方向と同じ向きの弧を描いて手元に戻ってくるタイプのことを指す( ブーメラン - Wikipedia )。スラングとしては、 過去の発言と矛盾した言動をしていることが発覚した人物等に対しても使われる表現 だ( ブーメラン効果#ブーメラン(インターネットスラング)-Wikipedia )。

価値観の押し付け反対

 「体を見せ物にしながらフェミニストを名乗るのはおかしい」という非難が、上半身にボレロだけを羽織り、胸の谷間を露わにした写真を インタビュー記事 で披露したエマ ワトソンさんに浴びせられたのは2017年のことだった。 フェミニズム とは女性解放思想と翻訳されるが、 性差別に影響されず万人が平等な権利を行使できる社会の実現を目的とする思想・運動 のことである( フェミニズム - Wikipedia )。

小6レベルの歴史を知らない高学歴インフルエンサー

 ○○大学生 / ○○大学出身です。と言う時に○○大学が東大や慶応・早稲田など有名大学だと、取り敢えず「へーすごいじゃん」という反応を示す人が日本には多い。果たして 有名大学に入学 / 有名大学を卒業 は手放しで有難がるべきような要素なのか 。韓国や中国など、東アジアには日本以外にも学歴を偏重する国や社会が多い。

保護と称して機会を奪うことの不合理

 自分が小学生の頃よく遊んだ実家近くの小さな児童公園は、数年前に姿が大きく変わった。その公園にはトップ画像のようなブランコ、幹を足場のようにして上に上がれる藤棚とその下に砂場があった。どれも自分もよく遊んだ遊具だ。藤棚は遊具じゃないような気もするが、その下が砂場なのでよく飛び降りる遊びをしてた自分にとって、あの藤棚は遊具だった。しかしどれも数年前に公園から姿を消した。

固定概念に捉われず新しい発想で

  Think different. は、Windows95のヒットによって劣勢となりつつあったアップルが、1997年より展開した広告キャンペーンのスローガンである。同時期にスティーブ ジョブズが同社に復帰し、翌年・1998年には最初のiMacをリリースしている。つまりこの広告キャンペーンは、ジョブスやiMacと並ぶアップル復権の立役者の1つと言えるだろう。

嘘に塗れた政府と与党から目を背ければ、いずれ国は亡ぶ

 都合のよいことばかりに目を向け、注目し、そして強調し、都合の悪いことには目を向けず、そして目に入っても無視する姿勢のことを、自分が好きな馬に有利なデータばかりに、というか、好きな馬に有利なデータ”だけ”に注目する井崎 脩五郎さんの競馬予想に似ていることから、 8/12の投稿 で 井崎式競馬予想 と表現した。

弔意と葬式代をかつあげする政府と与党

  かつあげ 。脅しをかけて金品を巻き上げる行為のこと。暴力や相手弱みをついて脅迫することで、金銭その他の財物を脅し取ることを恐喝と言い、かつあげとはほぼ同義である。ゆすりたかりなどもニュアンスはほぼ同じだ。明確な区別があるわけではないが、個人的にはかつあげと言うと未成年者の不良、所謂ヤンキーなどが恐喝を行う場合に用いられる、と認識している。

スガーリンポスターにまつわるあれこれ

 日本学術会議が会員に推薦した学者105名の内、政権批判などを行ってきた6名の任命を、推薦者を形式的に任命してきた前例を一方的に覆して拒否し、それに対する批判が高まると後だしジャンケンの如く、そもそも政府が勧告に必要な要請を行っていないのに「法律に基づく政府への勧告が2010年8月から行われていない」などとして、行政改革と称して日本学術会議の運営の在り方や組織全体の見直しを言いだした現首相の菅は、一部で スガーリン と呼ばれ始めた。

自由民主党ならぬ羊頭狗肉党

 野田 聖子には心底がっかりさせられた。たった 3日前の投稿 で書いた、野田 聖子は男女平等を望んている風だが、表向きそう装っているだけではないのか、という懸念を、短期間で、まさにそうだと自ら実証してみせたからだ。トップ画像はハフポストが掲載した記事からの抜粋であるが、野田は、 杉田の性暴力被害者に関する「女性はいくらでもウソをつける」という発言は本人の言葉使いの問題 、だと言っている。

画一的の象徴・制服は、主体性の低さの原因にもなっているのではないか

 性差別的なドレスコードへの抗議や、ジェンダー平等と性的マイノリティの権利尊重などを訴える為に、男子生徒がスカートを履いて登校している、とハフポストが報じている。但しこれは日本ではなくカナダでの話だ。制服がない学校でも、女子生徒の肌の露出等に関して男子生徒のそれよりも過剰に指導がなされる事への抗議として、同じ様な抗議行動あったとしばしば報じられるが、それも欧米での話で、日本でのそのような話は記憶にない。

小さくなくてよかったね。

  小さくなくてよかったね 。と言うと大概の男性は、自分のアレは”小さくない”ではなく”大きい”と言われた、と拡大解釈するそうだ。以前付き合っていた風俗で働いていた経験のあるコが言っていた。男同士の与太話で股間のことが話題になることはよくある。あいつのアレは小さい、かぶってるなどの揶揄は定番ネタで、未だにバラエティー番組でもそんなやりとりを目にする。

クオータ制は歪みが出る?

 ソーシャル ディストーションは、1980年にデビューしたカリフォルニア出身のパンクバンドだ。 オフスプリングやランシド、NOFX、オフスプリング、ペニーワイズなど、日本で90年代にメロコアと呼ばれた世代のパンクバンドにも、大きな影響を与えたバンドである( Social Distortion | Epitaph Records )。

対応を政治的カード化して、困っている人を軽んじ出し渋る自民政権

  交渉カードを切る 、という表現がある。外交やビジネスなど交渉の場面で、交渉をトランプなど カードゲームに見立てて、 自分の要求や主張を通したり、交渉相手を牽制する為の切り札となる要素を交渉カードと呼び、タイミングを見計らってその要素を露出させるなどすることを意味する。

人種差別はダメ ということを認めたがらない人達

 今年の5月にジョージ フロイドさんが警察官による暴力で不当に扱われ死亡したことによって。警察官の人種差別的な扱いの被害を受ける、場合によっては殺される黒人が余りにも多いことに対する抗議・ #BlackLivesMatter が米国で盛り上がった。しかしそれでも、その後も同様の件が何度も報じられる。

自民党にあらずんば日本人にあらず

 平安時代中期に勢力を拡大した藤原氏。その栄華を象徴するのが、藤原 道長が晩年に読んだとされる和歌「 この世をば わが世とぞ思ふ 望月の かけたることも なしと思へば 」だ。現代語に訳すと「この世はまさに自分の為にあるようなものだ。満月のように満ち足りていて足りないものなど何もない」という意味である。

彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

 直近では 6/13の投稿 など、もう何度もこのブログで取り上げているAC:公共広告機構のCM「知らんぷりより、ちょっとの勇気」。日本人の殆どは、そのCMが言っているように「いじめを傍観してはならない」と教えられてきたはずだ。もっと言えば「いじめを傍観するのはいじめに加担するも同然」とすら教えられてきたのではないだろうか。

日本の社会を蝕む虚偽情報の発信源は…

 それ以前からネット上には真偽の定かではないいかがわしい情報も多かったが、 フェイクニュース という表現の認知が飛躍的に進んだのは2016年の米大統領選だった。その最も象徴的な出来事の1つが、民主党のヒラリー・クリントン候補陣営の関係者が人身売買や児童性的虐待に関与している虚偽情報が広まった、所謂「ピザゲート」だ( ピザゲート - Wikipedia )。

杉田を放置した結果、自民党議員が同じことを繰り返す

 自民党の国会議員 杉田 水脈がまたしても蔑視発言をしたことを、 9/30の投稿 で取り上げた。そこでも書いたが、 自民党は杉田の蔑視や中傷発言について、これまで処分らしい処分をしてこなかった 。今回の性的暴行を受けた女性全般、というか女性全般への蔑視についても、自民党の参院幹事長世耕は、「今回が最後だ。何回も繰り返している、次は絶対に認めない」と述べた。つまりまたしても処分しないということだ。

声を上げられる時に声を上げておかないと…

 岡崎 京子作のマンガ「ヘルタースケルター」の主人公は、人気モデルになる為に、そしてその人気を維持する為に、全身を作り変えるほど危険な美容整形手術を繰り返していた。しかしその副作用とモデル業のストレスによって次第に心身を病んでいくことになる。  トップ画像は蜷川 実花監督による映画版の、整形のシーンと顔が崩れるシーンである( ヘルタースケルター (漫画) - Wikipedia )。

この国を、壊し抜く。

 2017年の衆院選で自民党は「この国を、守り抜く。」をスローガンに掲げた。しかしそれから3年の間に何があっただろうか。2019年、ロシア側の態度硬化に伴い、自民党政権は北方領土について 「日本固有の領土」という表現を止めた 。そして2020年、世界中で新型ウイルスが広がったが、既に抑え込みに成功した地域がある一方、 日本では新規感染者が減らない 。比較的感染者数が少ないアジアの中では中国に次ぐ感染者数で、このままいけば中国の感染者数を抜く勢いだ。因みに中国の人口は日本の少なくとも10倍である。

give up on one's life / 自分の人生などもうどうでもいい

 人間の心はそれ程強くない。結構簡単に折れる。中にはそうではない人もいるが、多くの人の心が折れないのは、折れないであろう環境に運よく恵まれているだけで、その人の精神が強靭だからではない。そんなことも理解出来ずに「○○は甘え」みたいなことを平気で言う人がいる。

白人至上主義を否定しないトランプ、所属議員の蔑視を否定しない自民党

 ドイツのことわざに「 Lügen haben kurze Beine 」というのがある。英語に直訳すると「Lies have short legs」だが、英語でこれに相当するのは「 a lie has no legs 」だそうだ。日本語に直訳するとドイツ語版は「嘘は足が短い」、英語版は「嘘には足がない」で、「嘘の脚は短いので速くは逃げられず、すぐに足がつく(または、嘘には足がないので逃げられない)」の意であり、つまり「 嘘は程なくばれる 」という教訓を示す慣用表現だ。