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4月, 2020の投稿を表示しています
 

下手の考え休むに似たり総理大臣

  下手の考え休むに似たり という寛容表現がある。読んで字のごとくで、 下手の考え休むに似たり(ヘタノカンガエヤスムニニタリ)とは - コトバンク では、 良い知恵もなしに考えても、いたずらに時間を費やすばかりで、何の効果もない 、と解説している。能力も準備もなしに思案しても結局結果には繋がらない。それは休んでいるのと同然だ、ということである。

「素人は黙ってろ」は信頼を失う台詞

 「音楽家が政治に口をだすな」「芸人風情は黙ってろ」「芸術家は芸術だけやってろ」のような話に対する当事者たちの反論を、このところよく目にする。ただ逆に「文句があるなら国会議員になってから言え」のようなことを言う芸人もいた( 4/20の投稿 )。

自由と権利の軽視

 日本は戦後、大日本帝国憲法を、国の主体を国民一人一人とする民主主義的な日本国憲法に改めた。日本国憲法3章11条には次のように書かれている。 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

責任転嫁して憎悪を煽る行政と加担するメディア

  スケープゴート 。古代ユダヤ教において贖罪のために野に放たれた山羊のこと。 生贄 の意味もある言葉だ。現在は主に、 民衆の不満や怒りの解消の為に、いわれのない攻撃の標的とされてしまう者・集団・民族 などのことを指す。第一次世界大戦の敗戦や世界恐慌などによって高まっていたドイツ国民の不満の矛先を、ナチがユダヤ人へ責任転嫁して向かわせ、憎悪を煽り、それによって政治的な基盤を確立したことは典型的なスケープゴートの例だ。ナチはしかも実際に虐殺まで行った。

自宅から中継で会見することすら出来ない担当大臣

 先月の中旬ころから末にかけて、「 人の密集を避ける為に外出を自粛して 」と呼びかけている側の、政府や自治体の会見や国会、閣議、専門家の会議が、通常通り人が密集しており全く説得力がない、という話が広がり、そのように批判されて初めてそれらに、人の間に一定の距離を置く対応が見え始めた。それと同時期かやや後追い気味に、テレビの生放送番組でも同種の対応が始まった。その時点で自分は「 政府もメディアも緊張感がない 」「 自分達は感染しないと思っている他人事感が如実に現れている 」と思っていた。

過去に学ばなければ、過ちを繰り返すことになる

  要請と強制の違いを理解できない大人が政治をやっているのが、この国の現実 だ。そんなことは、警察、特に警視庁が、任意である筈の職務質問/持ち物検査への対応を、数人で取り囲むなどして、物理的且つ実質的に強要してくることが横行している時点で既に明らかだったし、「募る」と「募集」の意味が同じであることを理解できない男が、首相の座に7年以上も居座っていることを考えれば、この国の権力が平然と詭弁を弄することは、分かりきっていたことでもある。

政府関係者すらも信用していないアベノマスク

 自分の人生の中で不良品の象徴的な存在が2つある。一つは2000年代に存在したEXEMODEというデジタル家電ブランドで、もう一つは、トップ画像にもした、ドコモが1997年に発売した携帯電話・N203だ。あくまでも個人的な見解であり、それらの製品が総じて不良品/欠陥品だったのかは定かでない。

「誤解を招いた」の大半は不誠実の証

  全ての「誤解を招いた」が嘘だとは言わない。だが、政治家のそれは99%嘘である 。この数年、政治家が発言を問題視されたり批判されたりした際に、かなりの高確率で用いられるのがこの「誤解を招いた」だ。あまりにも誤用が多く、もうこの表現は「私は不誠実である」と言っているにも等しいものに成り下がってしまった。

自粛要請・時短営業が、逆に密集に繋がっている恐れ

  錯綜 、物事が複雑に入り組んでいること。入り交じって混乱すること( 錯綜(サクソウ)とは - コトバンク )。まさに今の日本の状況を示すのに最適な表現ではないだろうか。「全国民に布マスクを配れば、不安はパッと消えますから」という目論見で、466億円もの予算をかけて、何人家族だろうが1世帯2枚が各世帯に配られることになった、鼻を隠すと顎が出るサイズの布マスク。結局これが更に不安を煽ることになっている。

感染すると攻撃的になるウイルスの蔓延

 西村新型コロナ担当大臣や大阪の吉村知事が「 休業要請を無視して営業を続ける店舗名を公表する 」と言い出している。要請とはあくまでも「お願い」であり強制ではないはずだ。要請を無視する店を公表するというのは「要請に従わないと晒し者にするぞ」という脅しであり、忖度させよう、実質的に強制使用という意図が溢れており、最早 国や自治体が脅迫行為を公然と行っている としか思えない。

アベノマスクにまつわるあれこれ

 「 文句が止まらない方は、落ち着いたら選挙に立候補して国会議員になって総理大臣になればいい 」と、お笑い芸人・サンドウィッチマン 伊達 みきおさんがブログへ投稿したことが話題になっている。これは 4/8の投稿 の中にある一節だ。自分が最初にこの話を目にした時、もしかしたら字面とは違う意図の話の一部か?と信じられない気持ちだったが、この文章の意図は文字通りのものだった。

安倍話法の家元と継承者

 昨日・2020年4/18は未明から昼過ぎにかけてかなり強い雨が降り続けた( 東京都の過去の雨雲の動き(2020年04月18日) - 日本気象協会 tenki.jp )。東京の西側では1日の降水量が100mm程度もあった。東京の平年4月の降水量はおよそ120mmなので、1ヶ月分弱の雨が1日、というか約半日で降った。

日本の過去の栄光は、最早売り切れ状態

 80-90年代、日本は世界に冠たる経済大国で、東アジア一の優等生と認識されていた。90年代は韓国や台湾も経済発展に向かっていた時期だが、当時はまだ両地域製の製品は信頼性に乏しく、安さだけが売りだった。

宗教や信仰との付き合い方

  自分には宗教を信仰する気が殆どない 。あくまでも「殆どない」であって、全くないわけではない。 昨日の投稿 で書いた「嘘をついたら地獄で閻魔様に舌を抜かれる」という話も、そんなことがあるわけない、と思ってはいるものの、そのような戒めの必要性はどことなく感じている。だから、宗教を信仰する気は殆どないが、かと言って全くないわけではない。

妥当性の検証も批判もないのは「報道」でなく「広報」

 「 嘘をついたら地獄で閻魔様に舌を抜かれる 」と、子どもの頃祖母によく言われた。閻魔大王は、生前の行いによって死んだ者を地獄行きにするか天国へ行かせるかを、地獄の入り口で裁く存在として、日本ではよく描かれる。日本では仏教信仰の要素として存在する閻魔だが、 閻魔 - Wikipedia によると、そのルーツは仏教以前から存在しているようだ。ヒンドゥー教にも似た存在・ヤマラージャという神がいるらしい。

公的抑圧・日に日に高まる1938-41感

 YMOと言えば日本、いや世界的にも有名なテクノポップバンドで、エレクトリック系ミュージックを語る上で避けては通れない存在だ( イエロー・マジック・オーケストラ - Wikipedia )。自分はテクノやハウスなどのエレクトリック系ミュージックを好む人間だが、YMOリアルタイム世代ではない。小学校の運動会のBGMなどでライディーンが流れていた記憶はあるが、それがYMOの曲であることを知るのは10年くらい後のことだ。

強まるメディアの政府への迎合傾向

 太平洋戦争で日本が敗退を重ねるようになる転換点は、開戦・真珠湾攻撃からたった半年足らず後のミッドウェー海戦だった(真珠湾攻撃は1941年12/8、ミッドウェー海戦は1942年6/5)。今日のトップ画像はその戦果を報じた朝日新聞の記事である。実際は米側の損害よりも日本側の損害の方が甚大であったにもかかわらず( ミッドウェー海戦#損害 -Wikipedia )、記事はまるで日本側が勝利したかのような内容だ。

意向に沿わない声は「右から来たものを左へ受け流す」政治

 2006-07年に、ムーディー勝山さんという芸人の「 右から来たものを左へ受け流す 」というネタが一世を風靡した。1980年まで一般的だった所謂昭和のムード歌謡風の、中身の殆どない歌詞の歌をただただ歌うというネタだった。「 ムーディ勝山#持ち歌 - Wikipedia 」を見ると、他にも似たネタが複数存在するようだが、お笑いにそれ程強い興味があるわけではない自分が覚えているのは、「右から来たものを左へ受け流すの歌」だけで、他はどれも内容が連想できなかった。

コロナ疲れではなく、まともじゃない人達への対処疲れ

 もう何週間も、テレビのニュースや情報番組が新型コロナウイルス感染拡大に関する話に終始している状況が続いている。政府や首長らの緊張感の感じられない後手後手以下の対応など、報じられている内容だけでなく、他人事のような報じ方・番組作りにも、 とてもイライラさせられる為、テレビのニュースや情報番組は殆ど見なくなった 。

医療崩壊云々以前に行政崩壊している恐れの方が高い

 昨日、一応国と合意したという体裁ではあるが、国の消極性に業を煮やした都知事が、独自の休業要請を出した。 昨日の投稿 でも触れたように、一部に都知事の姿勢を評価する向きもあるが、個人的な評価は限定的なものでしかない。感染拡大を抑える為に他者との接触を極力避ける為の対応ということは勿論理解出来る。だが、一応要請に伴う休業への支援策にも触れられてはいたものの、国同様に、都が発表した支援策も未だに具体性を欠いている。

焼け石に水、暖簾に腕押し

 干ばつによる水不足が深刻化している時に、「少しでも水を貯めよう!」とどれだけバケツを並べようが、雨が降らないなら全く無意味だ。「世帯に何人いようが関係なく各世帯に布マスク2枚を配布」や、直近の資金繰りが厳しく廃業の危機に晒されている者も多いのに、「年末までの間に今までと比べて収入が半減していれば助成金給付」なんて話は、そんな 焼け石に水 の最たる例だろう。

バカも休み休みYeah

  オースティンパワーズ は、マイク マイヤーズが脚本・主演を務めた1997年のコメディ映画で、計3本のシリーズ化もされた人気作である。どれも007シリーズのパロディで、2作目/3作目のサブタイトルには007のサブタイトルをもじったものが付けられている。英語圏のコメディなので直接的であまりにも馬鹿馬鹿しいネタが多く、日本では好き嫌いがかなり分かれる( オースティン・パワーズ - Wikipedia )。

日本=高速を逆走する恐れのある高齢者が運転するバス

  これまでと何も変わらない「緊急事態」 を安倍首相が昨日宣言した。何も変わらない、に関しては 4/6の投稿 で既に指摘している。昨夜それに関する首相による記者会見、というか実質的には単なる原稿の朗読会が再び催された。もう見るのも嫌なくらいなのだが、批判をするには見ないわけにはいかない。  酔ってもいないしトリップするような薬物もやっていないが、自分には、朗読会で喋る我が国の首相がトップ画像のように見えて仕方がなかった。

不安が不安を呼び、怒りに変わる

 「 「酒・SNS・緊急時」人の本性を暴き出すもの 」というタイトルの投稿を3/5に書いた。その3つの中の1つ、 緊急時にこそ人の本性が露わになる 、ということを強く実感したのは、東日本大震災と福島原発事故だった。自分が目の当たりにしたのは、当時の上司の支離滅裂さだった。

「政府や首相は最大限の努力をしている、批判するな」は最早緩やかな自殺行為

 自動車のドアは基本的に進行方向側にヒンジが付いていて、逆側が開くようになっている。しかし1960年代以前のクルマには逆向きにドアが付いている車種が結構あった。日本車では、この方式のドアを採用している車種の代表的な例として、日本での自動車普及に大きな役割を果たした大衆車/軽自動車初期の傑作の1つ、スバル 360がある( スバル・360 - Wikipedia )。

新型ウイルスよりも怖い「自己責任論」という病

 本来自発的に取り止めることが自粛なのに、他者にそれを促される・要請されるという、 日本語的に矛盾した「自粛を要請」 を求める発信している政府や自治体に対して、日頃から中国語やハングル表記を目の敵にしているような( ローソンの牛乳パックに中国語とハングルが併記される→「ここまでくると気持ち悪い」「日本人が分かりづらくなってる」 - Togetter )、日本語至上主義の自称・愛国者達が、何も言わないのはとても不思議だ。  勿論皮肉であり何も不思議ではない。彼らには日本語を正しく理解することすら出来ない者が多く、槍玉にあげたいものをあげている、というだけのことである。

大人を「立っただけ」で褒めるのは馬鹿げている

 もし 食事が白米だけだったら多くの人が物足りなさを感じる筈 だ。「白米だけ」でなくみそ汁とお新香が付いていても、やはり多くの人が物足りなさを感じるだろう。殆どの人が1品だけでもおかずが欲しいを思う筈だ。  だが、 その食事が5日ぶりの食事だったらどうだろうか 。多分、充実したおかずの食事を毎食とり続ける中での白米だけの食事とは比べものにならない程の幸福感を、白米だけの食事から感じることになるだろう。みそ汁やお新香が付いていたら、その有難がたさはさらに倍増するはずだ。このように同じ白米だけの食事でも、状況によってその印象は大きく変化する。

最早デバッグでは対応しきれないバグ塗れの国

 未だに「Youtuberは簡単にガッボリ稼げる気楽な稼業」だと思っている人が少なくない。但し、それはYoutube普及以前、というかWeb普及以前から、テレビタレントは楽して稼げる気楽な稼業だと思っていた人が多いのと何も変わらない。今じゃ小学生のやりたい職業ランキングの上位に、Youtuberが入るのも珍しくもなんともないが、大人ですらそんな風なYoutuber感を持っていのるのだから、多くの子どもたちは同様のYoutuber感を持っているのだろう。実際は見えてる部分以外に何倍もの労力が必要で、その労力をかければ必ずお金につながるという保証などどこにもないのに。

今、最も重要なのは「信頼性」

 この画像は、スペインのカタルーニャ地方の伝統的なパフォーマンス・Castellだ。カステイとは英語の Castle/キャッスルに当たる、つまり城を意味するカタルーニャ語だが、この伝統的なパフォーマンスを指す場合、日本では「人間の塔」と呼んでいる( 人間の塔 - Wikipedia )。日本の学校で行われてきた、というか今も行われている組体操にも似たカステイだが、その規模は組体操の比ではなく高さは10mを超える。カステイに限らずサーカスなどこの種のパフォーマンスは、経験や技術だけでなく 互いの信頼 なくして成立させることはできない。

感染症対策よりも補償よりも、オリンピックが最優先

 トップ画像は、今や誰もが知っていると言っても過言でないくらい話題になった、というか、なってしまった映画「 AKIRA 」の1カットだ( 『AKIRA』4Kリマスター 公式サイト )。同作品の中では現実と同様に2020年に再び東京オリンピックが開催される予定になっていたが、ストーリー展開上開催することが出来なくなってしまう。また、原作マンガ3巻の巻末にある4巻の予告ページに新聞を模したコラージュ部分があるのだが、その架空の記事の中に「WHO、伝染病対策を非難」という見出しがあったことも話題になった( 漫画「AKIRA」が新型コロナを予言!?ネット民が震える怖い噂の種明かし | 情報戦の裏側 | ダイヤモンド・オンライン )。