スキップしてメイン コンテンツに移動
 

失言と驕りと難民


 今村復興大臣が4/25に行った講演の中で、震災の被害について「これはまだ東北で、あっちの方だったから良かった。これがもっと首都圏に近かったりすると、莫大な、甚大な被害があったと思う」という誤解を招く恐れが非常に強い発言をしたことで、大臣を辞任することになった。この件については多くのメディアが報じており、そのいくつかから推察するに、今村氏の発言は、決して”震災が東北で起こってよかった”と言ったのではないと思えるので、この件だけであれば辞任に値するような失言ではないと考えられる。しかし昨年末に被災地産品への風評被害について、生産者に責任があると言っていると思われかねないような「生産者の努力が必要だ」という発言をしたり、4/4の会見で自主避難者に対して「本人の責任」「裁判でも何でもやればいい」など、およそ復興大臣の発言とは思えない被災者に対する配慮を欠いた表現を複数回している為、しかも4/4の件に関しては質問をした記者に対して激昂し、高圧的な態度を示すという嬉しくないオマケまで付いているので、この件で辞任に至るのも仕方がないというか、当然だとしか思えない。個人的には大臣だけでなく、国会議員としても適正があると思えないので、大臣の辞任だけでなく議員辞職をするべきだと思う。不倫・ストーカー認定・重婚疑惑など女性問題で議員辞職も必要という声もある中川議員よりも個人的には許容し難い。



 閣僚の失言が頻発・多発している安倍内閣だが、例えば、今村大臣が復興関連ではなく自分の担当外の他の分野について見識が低いような失言をしていたのだったら、それでも政治家としては適正が低いと思われるだろうが、百歩譲って”専門分野ではないのだから知識・知見が完璧でなくても仕方がない”と思えたかもしれない。しかし未だに10万人以上の避難者がおり、まだまだ道半ばどころか、原発事故の影響が大きすぎて1/3まで進んだかもわからない復興を統括する大臣にこんな人が就いている、総理が選んでいるのを”仕方ない”で片付けられるはずがない。前述のような発言を連発する今村氏が被災地・被災者に対する配慮・思いやりに欠ける人だったというのは、多くの人の共通認識だろう。配慮や思いやりというのは”配慮しろ・思いやりを持て”と強制されるべきものではない。強制すると森友学園問題のような”忖度”問題を生み出す恐れもある。だから個人的には今村氏に復興大臣なんだから被災地・被災者への配慮をしろと言いたくない。そもそもそういう人物を復興担当大臣という職に据えたこと自体が間違いだったということだろう。

 また、自民党・二階幹事長が、今村氏の辞任について「人の頭をたたいて、血を出したっていう話じゃない。言葉の誤解があった場合、いちいち首を取るまで張り切っていかなくてもいいんじゃないか」、「政治家の話をマスコミが余すところなく記録をとって、一行悪いところがあったら『すぐ首を取れ』と。何ちゅうことか。それの方(マスコミ)の首、取った方がいいぐらい。そんな人は初めから排除して、入れないようにしなきゃダメ」などと、今村氏を擁護しメディアが彼を辞任に追い込んだというような非難と思える発言をした。4/25の「東北でよかった」発言だけで辞任する事態になったのであれば二階氏の言い分も理解できるかもしれないが、これまでの経緯を考えれば彼の主張は到底理解できるものではない。”自分たちに都合の悪いことを書くメディアは排除”したいと世界最大の軍事大国の大統領や、世界最大の国土を持つ国の大統領、もしくは人口世界一の国の指導部が言うようなことを言っている自分の愚かさに気がついて欲しい。二階氏の発言からも、少なくとも今年に入ってからの閣僚の失言が各個人の問題ではなく、内閣や党執行部などに強権的な”俺たちが絶対的に正義で、意にそぐわないものは認めない”という発想が蔓延していることを示しているように感じる。

 ヨーロッパで中東・北アフリカからの難民が社会問題になっているが、日本はその問題で最も深刻なシリアからの難民もほとんど受け入れておらず、難民問題についてまるで対岸の火事かのような感覚を持っている日本人がほとんどだと思う。しかし復興大臣だった今村氏の態度や、原発事故から避難している福島県出身者に対するいじめや差別的扱いなどが複数話題になっていることを考えれば、それはある意味で日本国内の難民問題なんじゃないかと思えてきた。国内でさえ震災・原発事故避難者に対して冷たい人がこんなに多いのだから、もし今後北朝鮮が国としての機能を失うような事態になり難民が多く発生し、日本が現在のヨーロッパと同じような状況になったときに、日本人は彼らに対して人道的な対応をすることが出来るのかが心配だ。「日本人は外国人(観光客)に親切」とされているがもしかするとそれは幻想に過ぎないのかもしれない。

このブログの人気の投稿

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。

同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる

 攻殻機動隊、特に押井 守監督の映画2本が好きで、これまでにも何度かこのブログでは台詞などを引用したり紹介したりしている( 攻殻機動隊 - 独見と偏談 )。今日触れるのはトップ画像の通り、「 戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死 」という台詞だ。