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希望のない希望の党と絶望的な民進党


 新聞各紙面、テレビ各局の報道系・ワイドショー系番組は、9/17に首相の衆院解散方針が報道されて以来、衆院解散・総選挙関連の話題で持ちきりだ。選挙を意識して注目を集めたい政治家達や、他のメディアよりも視聴率や発行部数を伸ばしたいメディアの思惑が重なり、次々と新しい情報が出てくるような状況で、一言でいうなら”ひっちゃかめっちゃか”な状況。与党の自民がひっちゃかめっちゃかなのは昨日の投稿で書いた通りだが、野党側も同じように、というか寧ろそれ以上にひっちゃかめっちゃかだ。そうなった最も大きな要因は、小池氏が国政新党・希望の党の代表に就任すると表明したことにあるだろう。そしてこの希望の党自体もその他以上にひっちゃかめっちゃかな印象が強い。

 
 都知事選から小池氏を応援し、共に自民党を離れた若狭議員を中心に無党派の議員や一部の民進党から鞍替えを表明した議院らが近々新党を結成する方向の動きは、それ以前から既にあったものの、首相が衆院解散を検討していることが明るみになった9/17の時点では、まだまだ準備が進んでいるとは思えず、彼らの準備が進む前に選挙を済ませてしまおうという作戦に安倍自民党が打って出た印象が強かった。しかし9/25の安倍首相による衆院解散の正式な表明会見に被せるように、新党の結成・小池氏の代表就任を発表したことで、一気に新党・希望の党と小池氏は今回の選挙選での存在感を増すことに成功した。同じようなタイミングで自民党の現職副大臣が離党して合流したり、新たに民進離党者が出て希望の党に合流の意向を表明したり、さらにはこれまで自民党・安倍政権の下部組織だとしか思えなかった保守政党の元代表が合流したことも存在感を増大させた要因だろう。
 しかし、新党が結成直後だという事を差し引いて考えても、希望の党が一体どんな体制を目指し、どんな政策を訴えていくのかが全然見えてこない。そして参加者もこれまでの経歴を考えれば決してまとまりがあるとは思えない。党の方針が明確に打ち出された上で人が集まっているなら、全ての参加者がこれまでの政治感をある程度改め、小池氏の政治感に共感し集まっているとも考えられるかもしれないが、現在の状況では単に当選に有利に働く選択肢を、政策に関する考えを後回しにして選んだようにしか見えない。果たしてこれで本当に国民の支持が得られるのだろうか。一部のメディアの調査では自民に次ぐ支持を既に得ているという話もあるので、それなり、或いは自民に対抗しうる程度、場合によっては僅差ながら政権交代に至るなんて可能性もあるかもしれないが、その後適切な党運営が可能なのかは現時点では大きな疑問だ。
 
 更に滑稽なのは民進党で、前原代表は次の選挙では民進党として公認を出すことはせず、民進党の立候補者は希望の党に公認を申請してもらうこととし、民進党は希望の党を全力で支援するなどという方針を打ち出している。一部のメディアはこれについて、”事実上の合流”と評しているし、自分もその側面がとても強いように思う。これについて前原氏は「どんな手段を使っても、安倍政権を止めなければならない」として、「名を捨てて実を取る」ことも必要なのだなどと訴えている。
 確かに現在の小選挙区制主体の制度下では野党候補の一本化が図られる必要性は大いにあるし、アメリカなどのような2大政党制を目指すなら、ある程度は共同戦線を張る野党の中で政策に関する妥協は必要かもしれない。現に現在の与党の自民党内だって憲法改正感などは決して一枚岩でないし、防衛・原発・経済に関する考え方も人それぞれ差がある。自民と連立を組んでいる公明党だって自民党内以上に差があることは事実だ。そう考えれば非自民勢力がある程度の政治感の差を乗り越えて協力することが絶対的に間違いだとも言えないようにも思えるし、前原氏もそんなことを念頭に置いた上で「名を捨てて実を取る」という表現を用いたとも理解出来る。
 しかし希望の党の代表である小池氏は、安保関連・憲法改正などについて一致している者だけを受け入れるとし、民進党全部を受け入れるつもりはさらさらないと言っている。先に民進を離党し希望の党の立ち上げに関った細野議員は自分も民進党時代に大臣という職を務めたことは棚に上げ「三権の長の経験者は(希望の党への参加・公認申請)を遠慮頂きたい」というような旨の発言をしている。そして個人的には希望の党の小池氏の政治感は安保にしろ改憲にしろ安倍首相と大差ないように思えるし、先月の関東大震災に関連して虐殺された朝鮮人への追悼文掲出の取り止めなどを考えれば、大差ないどころか更に好ましくない人物なのではないかという懸念さえ感じてしまう。要するに現安倍政権と希望の党は似たもの同士にしか見えない。「どんな手段を使っても、安倍政権を止めなければならない」としているのに、協力する相手が安倍政権と似たような勢力ならば、一体何の為に安倍政権を止めようとしているのだろうか。それでは、これまで安倍政権支援者らを中心に民進党を揶揄する際に主張されていた”反対の為の反対しかしていない”とか”反対ばかりで政策の主張がない”という話が正しかったことを証明することにもなりかねない。
 要するに前原氏は「名(民進党という看板)を捨てて(でも)実(自分達の政策を実現する道)を取る」と言っているのだろうが、自分には「名(今まで掲げてきた民進党の政治的なポリシー)を捨てて実(当選して議席だけは確保する道)を取る」と言っていたように見えてしまった。
 
 このように与野党共にあまりにも政局重視で、それを正当化するためにとって付けたような政策を掲げているだけの、国民にとっては惨憺たる状況が現在はあまりにも蔓延しすぎているように思える。確かにまだ実質的な選挙選が始まったに過ぎず、どの党も明確な選挙公約は発表していないので今後の動向を注意深く見守る必要性があることは間違いない。そして野党らがこんなにしっちゃかめっちゃかになるような状況を作ったのは、政局重視で唐突に衆院解散に踏み切った安倍首相であることも間違いない。しかしそれでも解散に大義がないと豪語していた野党ら、特に民進党はポリシーを捨て議席確保に走っている姿勢の一体どこに大義があるのかは大きな疑問だ。
 こんな状況では与野党関係なく政治全体への不信感が高まるだけにしか思えない。と言ってもそんな最低な選択肢の中から最もマシな選択肢を国民は選ばなくてはならない。とても頭の痛い状況である。自分にとっては、これまでで最も絶望感の強い選挙になると感じている。

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