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他者との精神的なつながりを大事にする


 日本で最初に流行ったSNSと言えばmixiだろう。mixiが登場したのは2004年で、自分も以前は使っていた。今でもアカウントは残っているが、パスワードを失念してしまい、登録に使ったのが現在既に使用していない携帯電話キャリアメールアドレスなので、ログインできないまま放置している。なので今のmixiの状況はよく知らないが、サービスが始まった当時のmixiは、他にもあった日記サイトと大して変わらなかった。


 当時はWeblog/ブログサービスが登場した時期でもあった(Bloggerのサービス開始が1999年、Movable Typeのリリースが2001年、WordPressは2003年、アメーバブログは2004年、)。ブログは本来ウェブサイトの更新を簡便化するシステムという側面が強いものだが、当時日本ではブログ=Web日記とほぼ解釈されていた。mixiのサービス内容も日記主体だったものの、当初のmixiは招待制で、他のWeb日記/ブログサービスとは異なり比較的クローズドな性質だった。それが人気を博した理由だったのかもしれない。
 どのSNSにも言えることだが、サービス開始当初は比較的牧歌的な雰囲気が見られるが、運営が利益を上げる為に拡大路線に向かうにつれて「2ちゃんねる化」が見え始める。顔や素性が見え難い登録者が増えるのに比例して、所謂荒らしと呼ばれるような類の暴言を投稿する者が現れ始める。そしてそんな空気感に嫌気がさしたアーリーアダプター達が新たなSNSへ移行する、というような流れが2000年代以降続いているように思う。
 日本ではツイッターの人気が今も高いが、世界的には、若年層の多くはInstagramの方
を利用しているようだし、もうそろそろ次のSNSが登場するような気もするが、全世代的・全世界的に見れば、日本では既にあまり人気があるとは言えない状況のFacebookの人気もまだまだ高いようで、もう少し今の状況が続くのかもしれない。

 自分がmixiを利用していた当時、自分のマイミクシィ(友人)の関係性を蜘蛛の巣状に可視化するmixiGraphなるツールがあった。まだあるのかな?と思って調べたところ、今も提供されているようだ。


他のSNSでも似たツールがあるのか気になって調べてみると、ツイッター版のTwitterGraphもあったようだが、配布元らしきURLへ飛ぶと別のサイトへリダイレクトしてしまう。TwitterGraphの方は既に提供が終わっているようだ。

 自分にとってツイッターやインスタグラムのフォロー/フォロワー関係は、興味のある人が一方的にフォローするものと認識しており、友人という意識は殆どないのだが、フォローしてくれた人をフォローし返すことを意味するフォローバックという言葉があるように、利用者の中にはそこに友人/知り合いというニュアンスを感じている人もいる。mixiやFacebookでは明確に友人の概念が導入されており、投稿の公開範囲などにも「友人の友人まで」のような条件があったりする。
 前述のmixiGraphでその繋がりを見ていると、自分の知らない人とも友達の友達だったりするのがよく分かった。しかも、その友達の友達、の友達に、自分の友達が複数いたりすることも分かる。


図にするとこんな感じだ。Aさんは自分の直接的な友人/知り合いではないが、こうなるともう全く無関係な人とも思えない。では、自分とAさんの共通の知り合いが複数でなく、1人だった場合はどうだろうか。それでも結局友達の友達であり、全く無関係な人とは言えないと自分は感じる。では友達の友達の友達はどうだろうか。関係性は薄いが、そんな関係の人と、それをきっかけに仲良くなるケースが自分は非常に多い。
 例えば、友達と言える関係性にある女性がいる。彼女は、自分がクラブに入り浸っていた当時に、自分が連れていった女の子をナンパした奴の元彼女だった。まず自分がそのナンパしてきた奴と仲良くなり、その流れでそいつの元彼女だった女性とも仲良くなった。今は自分が連れて行った女の子やナンパしてきた奴との付き合いは殆どなくなっており、この登場人物の中では最も遠い関係性だった女性との付き合いが残っている。

 人によって知り合いとか友人などの定義はことなるだろうが、人の繋がりとはそんな風に広がるものであり、そんな風に考えれば、世界中の誰もが、自分にとって全くの他人じゃない。関係性を辿れば、確実に何かしらの繋がりがある筈だ。


 昨日はM-1グランプリが放送されていた。自分はあまり興味がなく見ていなかったが、今年はミルクボーイというコンビが優勝したそうだ。


コラムニスト・犬山 紙子さんによる、これに関連するツイートがタイムラインに流れてきた。


彼女のツイートで引用されている、「ミルクボーイの筋肉の方、私の大学の時の友達の義理の弟。すごく遠いですが面白かったし高得点も納得です!」というツイートは、彼女の夫である劔 樹人さんによるものだ。
 確かに「大学の時の友達の義理の弟」は、関係性として近いとは言えない。マンガなどでも、関係性が薄いのに関係者かのように振舞う人に「弟の友達のいとこの上司の連れ合いの実家の三軒隣に住んでいる人」などと言わせるネタをたまに見かける。犬山さんのこのツイートに対して、劔さんは「友だちが喜んでると思ったら嬉しいでしょうが!」とリプライしており、そこに更に「夫婦漫才w」という別の人からのツッコミと言うべきリプライがある。実際のところは定かでないが、自分には他愛もない微笑ましいやり取りに見えた。

 しかし一方で、犬山さんのように、そのような薄い関係性であっても「それはもう他人」とは言いたくない、とも感じた。
 「芸能人や有名人になると途端に親戚が増える」のような話もしばしば耳にする。薄い関係性なのにあたかも「親密だろ?」と、その関係を恣意的に利用してくる人や、例えば桜を見る会の問題で話題に上ったジャパンライフのように、首相を始めとした政治家らとの関係性を強調して、優良誤認を誘発しようとするような者もいるだろうから、場合によっては「それはもう他人」と言うべき場合もあるだろう。
 しかし前述のように、考え様によっては、
世界中の誰もが自分にとって全くの他人ではなく、関係性を辿れば、確実に何かしらの繋がりがある
とも捉えることが出来る。勿論世の中には知り合いや親戚・家族に対しても冷たい人、攻撃を向ける人というのは存在するのだが、多くの人は家族や親戚・友人には親近感を持っているだろうし、知り合いというだけでも「無碍には出来ない」という感覚が増すはずだ。凄くクサい表現で言えば、
世界は一家、人類は皆兄弟(by 笹川 良一)
みたいなことだ。そんな風に考えられる人が増えれば、他人事な人、冷たい人、攻撃的な人は減るんじゃないだろうか。


トップ画像は、Gerd AltmannによるPixabayからの画像 と、Gerd AltmannによるPixabayからの画像 を組み合わせて加工した。

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