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「お答えを控える」を多用し、公文書を公開しない、そもそも残さない政権が支持される、という「悪夢」


 「お答えは控える」は、安倍首相や官房長官、そして彼らによって選ばれた大臣、そのサポート役の官僚らが、都合の悪い質問をされた際に用いる常套句と化している。最早説明責任を全く無視し、放棄していると言っても過言ではない状態だ。 そうやって聞かれたことに向き合わないくせに、会見や答弁の場を設けた回数や時間などを根拠に「充分に説明している」と、本人たちだけでなく、本来行政を監視する立場である筈の与党までもがそう言っているのだから更に性質が悪い。投げかけられた質問に向き合わずに答弁や説明を拒んでいたら、何度会見を行おうが、どれだけ議論の時間を設けようが説明責任を果たしたことにはならない
 従って、しばしば耳にする「いつまで○○をやってるんだ」という批判も、全く合理性に欠けている。答えるべき・説明するべきことを充分に答えて・説明していないのだから、答えるまで・説明するまで追求されて当然である。


 首相や官房長官は「お答えを控える」理由として、しばしば「仮定の問題であること」を挙げる。直近で言えば「菅官房長官、昭恵氏巡る支出に「仮定の質問答えない」:朝日新聞デジタル」がその例だ。安倍氏に関しても、例えば「仮定の質問に答えないとする安倍総理の基本姿勢に関する質問主意書」など、「仮定の質問には答えかねる」は枚挙に暇がない。
 国会の主な役割は立法である。政府は行政機関として、政策の立案と実行、そしてそれに必要な法律の提案を行う。法律の多くは将来起きる事態を想定して検討され、必要に応じて新たに設けられたり、既存の法が改正されたりする。仮定の話に答えられない者には、殆どの立法・改正は不可能だし、政策の実行も出来ない。つまり仮定の話を「仮定の話だから」という理由で退ける者は、国会議員の役割を果たすことができない。仮定の下で立法・政策立案して実行することに関わる大臣や官僚も同じだ。

 この部分を書くにあたって、googleで「仮定の質問」で検索し、3ページ目までにヒットしたページを確認してみたが、仮定の質問に答えないことの合理性について書かれたページはなかった。厳密に言えば「逃げ口上「仮定の質問には答えられない」の不思議 | 専門分野と弁護士費用の疑問に答えます」に、
「仮定の質問には答えられない」という常套句をむやみに使用する人々の中には,意見や推測の陳述を求める質問を禁止する訴訟(証人尋問)上の原則があらゆる議論の大原則であるかのように勘違いしている人も少なくないのではないかと思います。ディベートの指南書などには,仮定の質問は許されないのが常識であるかのように書かれているものがあるらしいですが,これを聞きかじって,その理由も考えず,あらゆる議論で「仮定の質問は許されないのが常識である」と勘違いしているのかもしれません。彼らは,「自分は議論の大原則を知っているぞ」,「あなた(質問者)は非常識だ」とばかりに,自信満々に「仮定の質問には答えられない」などと返答します。しかし,事実の存否やその内容自体ではなく,一定の事実(仮定的事実を含む)を前提としてそれに対する見解を問われている場合に,仮定の質問と回答拒絶との間には何の論理性もなく,仮定の質問であることを理由に回答を拒絶する合理性・正当性は全くないと思います。
とあり、訴訟・証人尋問に関しては、意見や推測を求めるような、根拠に乏しい仮定を前提にした質問が禁止されているそうだが、政治家が推測に基づいた意見を求められることはある意味当然のことであり、証人尋問の原則は、政治上の議論に必ずしも適用されるものではない、ということも書かれている。



 「「お答え控える」安倍政権の答弁、「悪夢の民主党政権」の4倍 12年105回が19年420回に - 毎日新聞」によると、その見出しの通り、安倍氏がしばしば「悪夢」だとする民主党政権最後の首相・野田氏(2012年)の4倍も、安倍氏は質問に対して「お答えを控える」という答弁をしているとのことだ。民主党政権期が本当に悪夢だったのかについて、経済的な面からの考察を12/17の投稿で書き、経済的な面で見れば
悪夢の民主党政権ではなく、悪夢のリーマンショックと震災
が実態であると結論付けた。 この毎日新聞の記事からも、安倍氏が言う「悪夢の民主党政権」とは、彼による印象操作の疑いが強く、単に「民主党政権期は、自民党が野党だったという意味で党や私(安倍氏)にとって悪夢だった」という話を、あたかも「民主党政権は悪政のかぎりを尽くした」 かのように誇張していると言わざるを得ない。「悪夢」なのは、寧ろそのような誇張を悪びれずに行う者による政治だし、都合の悪い質問に答えず、データや文書の捏造や隠蔽が頻繁に発覚している安倍自民政権の方だろう。


 昨日のMXテレビ・田村淳の訊きたい放題の視聴者投票のテーマは「今年の安倍政権 あなたの評価は?」だった。あくまでテレビ番組の視聴者投票であり、世論調査ほど正確に状況を反映しているとは言えないが、結果は

  1. 優 906pt
  2. 良 1129pt
  3. 可 2435pt
  4. 不可 9866pt
だった。不可が圧倒的な多さで、それ以外の3項目の合計よりも多い。民主党政権が「悪夢」だったと仮定しても、現政権もそれに負けず劣らず「悪夢」なのではないか。というより、すぐにバレるような嘘を公然とついたり、捏造や隠蔽が頻発する現政権の方が圧倒的に「悪夢」である。 何故なら、そんな政権の政策など何一つ信用することができないし、諸外国からみた場合の日本の信頼性も低下するからだ。

 同番組の解説VTRでは、今年の政権の動向について次のよう様にまとめていた。


今年の動向というよりも、今年の下半期の動向と言った方が正確な紹介の仕方のようにも見えるが、言い方を変えれば、下半期だけでもこれだけの批判される要因があるということでもある。また、桜を見る会の問題に関して、名簿や明細・領収所が全く出てこないことに関連して、

  • 森友学園「財務省理財局による決裁文書改ざん」
  • 加計学園「柳瀬首相秘書官面会記録」
  • 防衛省「南スーダン・サマワ日報隠ぺい問題」
  • 厚労省「働き方改革 裁量労働制データ捏造」
を、安倍政権の主な文書管理問題として挙げていた。
 これを受けた、この日のコメンテーターだった首都大学東京大学院教授で憲法学者の木村 草太さんが示した見解が興味深い。


木村さんは大学院教授であることから、安倍政権を学生に、そして政権を評価する立場の市民などを担当教員に例え、「安倍政権は文書やデータなどを提出しないので、レポートを提出しない、試験を受けない学生のようなもの」とし、「レポートが提出されなければ必然的に不可となる」と述べた。また不可は不可でも、頑張って提出物を仕上げ、試験を受けた上での不可ではなく、評価不能という最低レベルの不可であると強調し、そんな状況なら落第して当然なのに、「その落第必死の学生が「問題はない」と言っているという、よく分からない状況だ」と、更に批判に拍車をかけた。

 別のコメンテーター、文筆家の古谷 経衡さんによる現政権への評価も否定的な内容だった。


古谷さんは経済的な面から話を展開し始めた。消費税増税の悪手加減を述べた後、安倍政権は”経済のアベ”と、デフレ脱却/2年で2%の物価上昇を掲げて支持を得たにもかかわらず、7年が経過した今もその目標は達成できていないことを指摘した。更に、2%の物価上昇が達成出来ずに”外交のアベ”と看板を掛け変えたが、北方領土は2島返還さえ遠のいたことも指摘。MCの田村 淳さんが「失業率と株価は改善した」と述べると、「失業率の改善は確かだが、労働人口が減少傾向にあり、安倍政権以前から改善の傾向にあった」と応じた。株価について古谷さんは「僕は株を持ってないので恩恵がない」と述べただけだったが、株価についても、日銀が株を多く買っている側面があり、官製相場/官製バブルなどの指摘もある。

 3人目のコメンテーター、社会問題を取り上げたスタディツアーを展開しているリディラバの代表・安部 敏樹さんは、番組がVTRで指摘した災害対応のマズさについては、「官邸が動いても実際にその効果があったかは分からず、担当部署が適切に動いていればそれ程問題があったとは言い難い」としつつも、やはり公文書の扱いに関しては「公文書を残さない傾向が広がっており、文書に残さなければ後に検証することもままならないので、ちゃんとして欲しい」という旨の発言をしていた。


 このように、首相を始めとした政府の関係者が、頻発に「お答えを控える」を連発して都合の悪い質問に答えないだけでなく、都合の悪い文書はそもそも作らない風潮になっていることは確実であり、もうそれだけで確実にアウトなのだが、それでもまだ現政権の支持率が4割もあるのがこの国の現状である。
 この国は民主主義国家のはずだが、この状況を見れば、
日本の有権者は民主主義を放棄しかけている
と言わざるを得ない。民主党政権とか自民党政権とか関係なしに、この国の「悪夢」は有権者が民主主義を放棄しかけていることに他ならない。

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