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10月, 2019の投稿を表示しています
 

炎上する官邸に忖度する報道

 朝食を食べながらツイッターのタイムラインを開くと「 首里城で火災 」という投稿が幾つもあった。中には画像や動画が添えられた投稿もあったが、最初は「映画か何かのプロモーション映像が流出したんじゃないか?」とか、「質の悪いいたずらにみんなが騙されているんじゃないか?」などとも思ったが、質は落ちたと言えども流石にそんな話に騙されないであろう報道機関による投稿もあり、反応の多さもあって、それは事実なのだと認識し、何とも言えない悲しい気分になった。火災の原因についてはまだ報道されていないようだが、沖縄県民が普天間基地の辺野古移設反対の意思を示していることについて、一部の人達が侮蔑的な態度を示している現状があり、最悪の事態が頭をよぎる。そうでないことを祈りたい。もし最悪の事態だったとしたらその影響は計り知れない。

適材適所という詭弁

 「 適材適所 」。新たな閣僚を選んだ際の首相や、閣僚の不適切な言動について指摘された際に首相や官房長官が、まるで定型句のように繰り返す、最早中身のなくなりつつある表現である。厳しく言えば、彼らの言う「適材適所」は「彼らにとって都合よく動くという意味の適材を、都合の悪い話が漏れないような彼らにとっての適所に据えた」という意味であって、国民にとっての適所適所ではなく、寧ろ非適材非適所の意であることも多い。というか、彼らがこの言葉を用いる場合は「適所適材かどうか怪しい」と言っても過言ではない。適材適所の人選の筈なのに、首相や官房長官が適材適所だと言っていたのに、現政権でこれまで一体何人の閣僚が辞職するに至っただろうか。

「伝統」を胡散臭いものにしようとするのは止めてくれ

 あなたは「 伝統 」という言葉からどんなイメージを連想するだろうか。個人的には「伝統」にあまりよいイメージを抱けないが、多くの人は概ね肯定的に受け止めるのではないか?と想像する。 コトバンク:デジタル大辞泉 では「 規範的なものとして古くから受け継がれてきた事柄。また、それらを受け伝えること 」と定義している。確かに必要な規範だから長く受け継がれていることも少なくないないのだが、逆に、伝統だからという口実によって、決して現在の価値観としては好ましくないのに続けられてしまっていることもある。例えば教師が存在意義を明確に説明できない所謂ブラック校則などはその典型的な例だ。自分にとっては、後者のケースのように「伝統だから、しきたりだから」と押し付けられる不合理なことが多く感じられる為、「伝統」によいイメージも抱けない。

東京モーターショーから考える日本の現状

 この10年で自宅周辺から多くの本屋とCD/レコード店とビデオレンタル店が姿を消した。本屋はクルマで20分程度のショッピングモールにテナントとして辛うじて1軒残っているが、CD/レコード店とビデオレンタル店は壊滅状態と言ってもよい。自分も、音楽のデジタル配信が一般化して以降はCDで購入することは殆どなくなり、CD/レコード店に寄っても、レコードでしか手に入らない音源を買う以外は、ジャケットを眺めたり試聴するだけになっていたし、2012年頃に大ヒットゾンビドラマ・ウォーキングデッド見たさでHuluを契約してからは、ビデオ店には全く行かなくなった。

日本人がノーベル賞を逃しました

 ダイナマイトの発明者として知られるアルフレッド ノーベルの遺言によって、1901年に始まったノーベル賞。物理学、化学、生理学・医学、文学、平和と経済学の各分野で功績を残した人物などに贈られる( Wikipedia:ノーベル賞 )。このところ受賞者発表の時期になると日本では毎年のように、村上 春樹さんが文学賞を受賞するかどうか、ということが取り沙汰されるのだが、今年の文学賞受賞者発表後に 共同通信が配信した速報 に対する批判が高まった。その理由は、「 ノーベル文学賞は外国人に 」という見出しで、  スウェーデン・アカデミーが10日発表した2018年、19年のノーベル文学賞受賞者は、いずれも日本人ではなかった。 と、誰が受賞したのかについて言及せず、 日本人、というか村上さんの受賞が今年も叶わなかった、ということだけを伝えたからだ。「 【速報】村上春樹さん、ノーベル文学賞受賞ならず | ハフポスト 」など、他のメディアにも似たような傾向はみられる。因みに2019年の文学賞はオーストリア出身の現代作家・ペーター ハントケさんが受賞した。また、賞選考関係者のレイプ疑惑や、発表前に外部に情報が漏洩した疑いが発覚したのを理由に、発表が見送られた2018年度の分として、ポーランドの小説家・オルガ トカルチュクさんの受賞も発表された。

形骸化する法の下の平等 (差別のない状態)

 国外から見て、日本の国旗がこんな風に見えていないかとても心配だ。来年は東京オリンピックが開催されるそうで、平年以上に国外からの注目も集まる、というか既に集まっている。そんな中で、 10/14の投稿 でも書いたように、まさにオリンピック開催都市である東京の台東区で、 大きな被害を出した台風が直撃する中でホームレスが避難所の利用を断られる 、ということが起きた。ナチとは差別の対象とした者が異なるが、公的な機関、役人が差別を平然と行ったという点では差がない。更に今の日本では、政権批判をする者を警察が排除する事案も複数起きているし、政権に都合の悪い表現活動を強引に抑圧する動きも確実にある。

今必要なのは「継続は力なり」ではなく「諦めが肝心」

 雨が集まり川となり、川は長い時間をかけて大地を浸食し、人間が到底超えられないような断崖を作ったりする。「 継続は力なり 」はお説教などでしばしば用いられる慣用表現だ。この表現の意図することはいくつかあるようだが、「 「継続は力なり」とは?意味や使い方をご紹介 | コトバの意味辞典 」では、続けることの重要性、たゆまず、くじけずに続けていくことの大切さ、を示す表現だと説明している。似たような表現は英語にもあるようだが、この続けることの重要性を説く表現は日本人の好物のようにも感じる。何故なら「 石の上にも三年 」、辛抱していればやがては成功する、忍耐が大切( 石の上にも三年(イシノウエニモサンネン)とは - コトバンク )という、それ以上に「耐え忍んで続けることが重要」という意味合いを強調した表現もあるからだ。

容疑者か否かの境界

 しばしば話題になるメディアにおける「容疑者」という呼称。直近で言えば、 4/21の投稿 、 5/10の投稿 、 5/13の投稿 でも取り上げた、池袋で乗用車を暴走させ、親子2人が死亡、8人が怪我をするという事故を起こした当事者を、メディアがなんと呼称したかで「容疑者」という呼称に再び注目が集まっていた。  ハフポストは当時「 池袋の母娘の死亡事故、メディアが「容疑者」と報じない理由とは? 」という記事を掲載している。その記事では「 容疑者という呼称は、逮捕や指名手配された場合に使用される 」と説明されており、同様の記述が Wikipedia:被疑者#「容疑者」の語について にもある。概ねこのような基準で、メディアが「容疑者」という表現を用いていることに間違いはなさそうだ。

2019年のハロウィーンを前に。渋谷区の対応の妥当性

 10/31は ハロウィーン だ。今年・2019年の10/31は木曜日なので、盛り上がりを見せるのはこの週末10/25-27にかけてだろう。この数年、日本ではハロウィーンがクリスマス以上の盛り上がりを見せるようになっている。  1990年代から定着し始め、現在では日本文化の一つと言えるようになった、コスプレとの親和性の高さもその一因かもしれない。クリスマスにもサンタクロースやトナカイのコスプレをした人は見かけるが、ハロウィーンでは仮装テーマが限定されない。本来は子供がお菓子をせがむ為にお化けに扮するという体裁で、ゾンビ風などの仮装が人気ではあるものの、幾つかの理由から最近は何でもアリになっている。  また、日本ではクリスマスが恋人と過ごす日的に認識されているのに対して、ハロウィーンには盆踊りのようなお祭りとして認識されている感があり、花見や夏祭り同様何か理由をつけて騒ぎたい人達が参加しやすいのもその理由なのかもしれない。

民主主義を壊すのは、恣意的に権力を使う政治家ではなく有権者の無関心

 今年のNHK大河ドラマ・ いだてん 東京オリムピック噺 。2020年東京オリンピック前年に「大会を盛り上げよう」という趣旨で、前回の東京オリンピックを題材にしたドラマをNHKが放送するのは、ある意味では自然なのだが、誘致に関する裏金疑惑、国立競技場建て替えやエンブレム盗作騒動、復興五輪・コンパクト五輪・アスリートファーストなど羊頭狗肉のスローガンが掲げられていたこと、首相が誘致活動の中でついた「福島原発事故はアンダーコントロール」という嘘、あまりにも商業主義的な傾向、この上なく杜撰な猛暑対策など、オリンピック自体の意義が疑わしい状況にあって、東京オリンピックを題材としたドラマをNHKが放送することは、昨今のNHK報道が政府広報化していることなども勘案すると、都合の悪いことから注目を逸らし、オリンピック開催を美化して宣伝する行為という印象が強く、言い換えれば、 大河ドラマ「いだてん」はオリンピックを利用した国威発揚の一翼を担う存在 と感じられた為、放送前、放送当初はあまりよい印象を抱けなかった。

医療に関する根拠の定かでない情報や真偽不明の情報

 「 血液クレンジング 」というワードが、この数日ツイッターのタイムラインに頻繁に現れる。 数年前にも似非医学の類であるという指摘を受けたことがある らしいが、自分はそれを知らなかったので、「血液クレンジングとは何ぞや」とGoogle検索してみた。  最も上位に表示された「 血液クレンジングR | 予防対策 | 健康院クリニック ( スクリーンショット )」によれば、血液クレンジングとは「医療用オゾンを血液に混ぜて反応させる点滴」を施すことだそう。「抗酸化力の向上・血液の流れの改善・免疫力のアップなどの効果が期待でき、身体がもつ本来の力を高めます」とその効果を謳っている。1回では明らかな効果は概ね得られず、月1-2回定期的に続ける必要があるらしい。しかも、対応するお悩み・症状・病気として「疲労・冷え性・肩こり・動脈硬化・認知症・リウマチ・アレルギー・花粉症」と、まるで万病に効く万能治療かのような表示がされている。  なぜこのタイミングで再び話題になったのか、の詳細はよく分からない。

「職務に関して受け取る不正な報酬」とその正当化

 「賄賂」。 コトバンク ・大辞林では「職務に関して受け取る不正な報酬」と説明している。また、同・精選版 日本国語大辞典では「公務員またはこれに準ずる者が職務に関して受け取る違法な報酬。金銭・物品ばかりでなく、人の欲望を満たす一切のものを含む」と説明している。賄賂は決して公務員や政治家だけの問題ではないものの、多くの賄賂に関する問題には公務員や政治家が絡む。公務員に関しては主に刑法の賄賂罪、政治家の賄賂に関しては、公職選挙法や政治資金規正法などでも規制されている。  賄賂に関してだけをそう呼ぶわけではないが、賄賂に手を染めることを「汚職」と呼ぶ。汚職が蔓延すること等を指して「腐敗」と表現したりする場合もある。

批判と誹謗中傷の区別がつかない人

  #KuToo とは「 職場でのヒール・パンプスの強制をなくしたい! 」という訴え・問題提起を表すハッシュタグである。グラビアアイドル/ライターの 石川 優美 さんが、今年・2019年1月に始めたキャンペーンで、彼女は葬儀の案内のアルバイトをしており、ルールとしてヒールのあるパンプスを履くように決められており、仕事をする上で動きづらい・走れない・足が痛くなるだけでなく、人によっては外反母趾になる、足から血が出る、靴擦れ、腰に負担がくるなど様々な健康被害があることから、このルールを理不尽に思い、社会全般の風潮を変えたいと考えたそうだ。  #KuToo というハッシュタグは、靴(くつ)・苦痛(くつう)や、反セクハラムーブメントのハッシュタグ・#MeToo を組み合わせて、石川さんではなく別の賛同者によって考え出されたのだそう。

強引・傲慢・横暴

 「 おれのものはおれのもの おまえのものも おれのもの 」は、言わずと知れたジャイアンの有名なセリフである。ドラえもんの「横取りジャイアンをこらしめよう」という話の中で、借りっぱなしだったのび太のマンガを返さないことを正当化する為にジャイアンが言い放ったセリフだ。映画版などでは頼もしい仲間にもなるジャイアンだが、基本的にはのび太をいじめるガキ大将キャラだ。ジャイアンの強引・横暴さを象徴するセリフは他にも、「 いつかえさなかった!?えいきゅうにかりておくだけだぞ 」「 この町で俺にかなうものはいない。俺は王様だ。さからうものは死けい! アハハ。いい気持ちだ 」などがあり、ジャイアンの妄言ならぬ猛言を集めた「 ドラえもん ジャイアン猛言トランプ 」という商品まで作られている。

あいちトリエンナーレの補助金とオリンピック予算

 2020年東京オリンピックの暑さ問題については 10/6の投稿 でも書いた。10/6の投稿では、「開催日程はもう既に決まってしまっているので出来る限りの対策をする」という、ある都民ファーストの会の都議の発言について、その強引さを指摘した。「もう既に決まってしまっている」のは各競技の開催地も同様だが、IOCは昨日、 猛暑対策を理由に 男女マラソンと競歩について、開催地を東京から札幌に移すように大会組織委員会や東京都などに提案する という見通しを発表した( 東京五輪のマラソン、札幌で開催か IOCが猛暑を懸念 )。  IOC会長は「選手が最高のパフォーマンスを発揮する為の措置」としているようだが( International Olympic Committee announces plans to move Olympic marathon and race walking to Sapporo - Olympic News )、前述の都議は「開催地はもう決まっているので受け入れられない」と言うのだろうか。もしそうなら、都民ファーストの会の政治家がアスリートファーストという理念を軽視することにもなりそうだ。

自分の属性と自分と異なる属性

  自分の属性 と 自分とは異なる属性 を意識し始めたのはいつからか。記憶を辿ってみると、それは多分小学1年生だ。あくまで自分とその周辺のケースの話だが、小学生になると男の子は男の子同士、女の子は女の子同士で遊ぶようになった。小学校以前も同性だけで遊ぶことはあったが、それはたまたま同性しかいなかっただけで、意識して同性だけで集まったり、異性を排除した記憶も、排除された記憶もない。実際にはそんなことがあったが記憶に残っていないだけかもしれない。但し、性別という属性を強く意識したのは小学生になってから、という記憶に大きな間違いはないだろう。

コメントを控える、コメントする立場にない

 「 詳細を知らず、コメントは控えたい 」。 昨日の投稿 で触れた、台風被害を受けて10/13に行われた党の緊急役員会で、自民党の二階幹事長が「(被害は)まずまずで収まった」と発言したことについて、10/15の参院予算委員会で立民・杉尾議員に質問され、安倍首相はそう返答したそうだ( 二階氏の台風被害巡る発言、「詳細知らずコメント控える」=首相 - ロイター )。更に、  確かめてもいない。復旧に全力を尽くすのが私たちの使命だ とも発言したそうである。昨日紹介したように、当該事案は割合大きな話題となり、各所から表現の不適当さ加減が指摘されている。にもかかわらず、妥当だったかどうかを確認すらしていないようであれば、意図的にしらばっくれる為に確認していないと受け止められても仕方がないだろう。

平時に見え難いことでも、有事には表面化しやすくなる

  有事は平時に比べて様々なことが表面化しやすい 。平時でも思いがけないことが表面化することはあるが、有事には多くの人に余裕がなくなる為、又は臨機応変な対応が求められる為、平時では分かり難いことが表面化したり、不安視されていたことが実際にそうだったことが証明されたりもする。但し逆に不安が取り越し苦労だったことが証明される場合もあったりする。  何にせよ普段身を潜めていて見え難いものが、有事の際には水面上に姿を現すことがよくある。

台風に関する報道から考える、報道の役割と責任

 「 カメラマンやジャーナリストは視覚と聴覚を、限定的にではあるが拡張してくれる存在。彼らがいないと自分の行動範囲が世界の全てになってしまう 」というのが、BuzzFeed Japanの記事「 「写真で関心を呼び起こしたい」「僕は写真に嫉妬する」紛争地を取材する作家とフォトグラファーが語り合った 」を読んでまず最初に感じたことだ。世界各地で紛争が続き、移民・難民の問題が深刻化しているが、「わざわざ日本人が現場取材に行く必要はない」という声が一部で上がり、政府から旅券返納命令や、旅券の発給拒否を受ける記者が相次いでいることなどについて書かれた記事である。

日本語の破壊者

 小学校の頃、先生に ”が”には「GaとNgaの2つの発音がある」 と習った。「私が」の”が”、つまり助詞の”が”はNga、それ以外の”が”は概ねGaと発音すると教わったと記憶している。自分がそう教わったのは1980年代の後半なのだが、同年代に聞いてみても教わっていない人の方が多い、というか殆どの人はそれを知らない。  Googleで検索してみると、Ngaは鼻濁音と言うのだそうだ。”が”以外にもガ行全般にこの鼻濁音があるらしい。これについては「 [鼻濁音]マジで衝撃っ! 日本語に2つの「が」があったなんて!? | ヨッセンス 」で詳しく解説されている。そのページに解説はないが、自分は「が:Ga」は音が強く攻撃的なので、よく用いられる助詞の”が”は、印象を柔らかく上品にする為に「が:Nga」と発音する、と教えられた(正しい説かどうかはよく分からない)。

ファッションやお洒落を楽しむ余裕

 自分はファッションやお洒落にあまり執着がない。いや「執着がない」は妥当ではないかもしれない。出かける際には必ず帽子をかぶるし、靴は主に スリッポン で、紐のある靴は運動する時以外殆ど履かない。そのような特定のアイテムに対する執着はあるが、世間一般的にお洒落と言われる人達程ファッションに興味はなく、服や靴などを買うのも半年から1年に1回程度だ。「去年のアイテムを今年も使うのは恥ずかしいよね~」とか言っている人には賛同できない。気に入ったものは擦り切れるまで使い続ける。  しかしクルマがとても好きで、クルマのドレスアップにはとても興味がある。雑誌などで紹介されるようなレベルではないが、クルマを買ったらとりあえずホイールを履き替えるのはマストだし、ボディにも何かしらパーツやカラーリングを加えるなど、つるし状態で乗ることはあり得ない。

JR東日本の男女制服デザイン共通化から、女/男らしさを考える

 女/男らしさに限らず、○○らしさというステレオタイプのイメージを、あたかも「そうあるのが当然」かのように、他人から押し付けられることへの違和感や、妥当性の低さについて、4/11の投稿「 ○○らしさの表現、○○らしさの押し付け 」で書いた。しかし一方で、トップ画像のようなトイレや更衣室を案内する際に用いられるピクトグラムなどは、ステレオタイプのイメージを単純化することで、そこに書かれている文字が読めなくても、直感的に意味が連想できるようになっており、ステレオタイプのイメージが有効に機能することもある。

アウトなセイジ家

  NHKから国民を守る党の党首・立花 孝志氏が、参議院議員を辞職する意向を明らかにした。7月の参院選の比例区で当選を果たした議員を辞して、大野 元裕氏が8月に行われた埼玉県知事選挙に立候補したことによって議員を辞職したのに伴って行われる、10/10告示・10/27投開票の埼玉県参院補選に出馬するという。彼が比例区当選で得た議席を手放すと、7月の参院選で落選した同党の浜田 聡氏が繰り上げ当選となる( N国・立花孝志党首、議員辞職の意向表明。参院補選の立候補も示唆。「必ず戻ってきます」 | ハフポスト )。  参院議員を辞してまた参院選に立候補する、しかも辞する議席を得てからたった2か月強であり、彼はまだ殆ど議員として何もしていない。どう考えてもおかしな話である。

「馬鹿と鋏は使いよう」変化球の有効性

 SNSを眺めていると「ストレスを貯めている人が多いな」としばしば感じる。そう言う自分も、嘘ばっかりの政治や杓子定規で思いやりのない社会にウンザリし、相当なストレスを抱えている一人ではある。 日本の社会における主なストレスの発生源は、過剰な同調圧力と○○ハラスメントと呼ばれる嫌がらせ行為 だろう。他から受けたストレスを「自分と同じ苦しみをお前も味わえ」と言わんばかりに他人へ押し付ける行為や、SNS上では見たこともない誰かへ、実社会ではパッと見て自分よりも立場の弱そうな者など、概ね反撃されないであろう誰かに対して行われる理不尽な言動、そしてそれらの負の連鎖も、ストレスフルな社会の原因だろう。

国家緊急権を発動させた香港当局

  10/4、香港の林鄭 月娥/キャリー ラム 行政長官が緊急法を発動し、政府への抗議デモ参加者らが顔を隠す為にマスクをつけることを禁じる 覆面禁止法 が10/5から施行された。  6月に始まった香港のデモ( 6/10の投稿 )は、逃亡犯条例改正案への抗議活動として始まったデモだが、6月に改正案の延期が発表されても「撤回ではなく再び検討が始まる懸念がある」という理由でデモは止まず( 6/16の投稿 / 9/1の投稿 )、今も毎週末のようにデモ隊と警察の衝突が起きている。勿論全てのデモ参加者が警察と衝突しているわけではない。強硬な手段に訴えずにデモを行う者も少なくないが、一部のデモ隊と警察の衝突のレベルは週を追うごとに悪化している。

「1度決まったことだから…」という説明が妥当ならば

 来週の月曜日(2019年10/14)は体育の日である。2000年以降体育の日は10月の第2月曜日になったが、本来体育の日は10/10だった。祝日となったのは1966年からで、 前回の東京オリンピック開会式が行われたのが1964年10/10 だったことに由来する( 体育の日 - Wikipedia )。  因みに2度目の東京オリンピックが開催される2020年は特例措置によって、体育の日が7/24に変更される。また、どんな意図があるのかさっぱり分からないが、2020年以降体育の日はスポーツの日へ名称が改められるそうだ( 東京五輪前後に3祝日移動 改正法成立、渋滞を緩和 :日本経済新聞 )。体育は死語になったのだろうか。

新潮社の終焉

  新潮社 は日本を代表する出版社の1つである。1896年に新聲社として創業し、1904年から文芸誌「新潮」の発行を始めた老舗だ。その新潮社が発行していた総合誌「新潮45」が昨年・2018年7月に、自民党・杉田議員による同性愛者への偏見・差別的認識に塗れたコラムを掲載し、多方面からの批判に晒された。新潮45は更に、杉田氏のコラムを擁護するあまりにも強引な正当化ばかりを集めた企画を9月に掲載し( 2018年9/21の投稿 )、再び批判に晒され休刊となった( 2018年9/26の投稿 )ことはまだ記憶に新しい。  当時は「新潮45がおかしかっただけで、新潮社全体がそんなことになっているわけではない」という論調が多く見られ、自分もそのように受け止めていた。しかし実はそうではなく、「 当時から既に新潮社全体が狂い始めていたのだろう 」と感じさせる出来事を、昨日目の当たりにした。

言い訳染みた正当化の横行

 「 愛媛県警松山東署が松山市の20代女性を窃盗容疑で誤認逮捕した問題 」に関する調査委結果が昨日公表された。「 自白強要「認められなかった」 愛媛県警、誤認逮捕の調査を県議会報告 - 毎日新聞 」によれば、篠原県警本部長は「取り調べの過程で尊厳を著しく侵害するとともに、ことさら不安を覚えさせ、また困惑させかねない言辞(言葉遣い)があったことも確認された」と不適切な取り調べを認めた一方で、「自由な意思決定を阻害する、とまでは認められなかった」とし、自白の強要については否定したそうだ。

改憲は国民との約束? 約束した覚えはない

 「 参院選での(国民との)約束を一つ一つ実現したい。憲法改正も約束の一つだ 」。安倍首相が、総裁を務める自民党の役員会で述べたそうだ( 改憲は国民との約束=国会論議進展に決意-安倍首相:時事ドットコム )。自分は日本国民の1人だが憲法改定について首相や政府と約束した覚えは一切ない。勿論、全ての国民の要望を万遍なく聞くことは実質的に不可能だから、議会制民主主義制度下では一部の国民が反対する制度・政策が実施されることはしばしばある。しかし果たして、今まさに日本国民が概ね憲法の改定を望んでいると言える状況である、と言えるだろうか。

風刺/ブラックユーモアと嘲笑の境界について考える

 よしもと所属のお笑い芸人・ 金属バットのネタが差別や偏見を助長する内容だと批判を浴びている ( 「猿としたらエイズ」「黒人とかな」 吉本芸人のネタにHIV陽性者ら批判「差別を強化」 BuzzFeed Japan )。数日前に、同じくお笑い芸人のAマッソのネタが人種差別的だと指摘されたことについて書いたが( 9/25の投稿 )、その時既に金属バットの別のネタも、人種差別的な認識があるのでは?と話題に上っていた( 「黒人が触ったもの座れるか!」吉本芸人のネタに批判 「Aマッソよりひどい」 BuzzFeed Japan )。

「ナショナリズムを助長する報道には加担しない」

 日本と韓国のメディア労組が共同で、「 ナショナリズムを助長する報道には加担しない 」ように呼びかける 共同宣言 を発表した( 日韓メディアの労組が共同宣言「ナショナリズムを助長する報道には加担しない」 | ハフポスト )。9/6にも日本の新聞労連が「 嫌韓」あおり報道はやめよう 」という 声明 を発表していたが、この共同宣言は、新聞労連や民放労連・出版労連などからなる MIC:日本マスコミ文化情報労組会議 と、韓国の全国言論労働組合が共同で表明した宣言だ。両国の報道機関ではなく報道機関で働く人達が、排外的な言説や偏狭なナショナリズムに対して明確に批判的な態度を示した、ということだ。  日本でも一部の週刊誌やワイドショーなどで、排外主義的な主張や企画が飛び交っていたのに、このような声明が示されるのがあまりにも遅いと感じるし、あくまでも報道機関が主体的となった宣言ではないという点も残念だ。