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3月, 2017の投稿を表示しています
 

助詞”が”と省略の使い方

 「 8人死亡の雪崩事故 引率教員が勤務の高校を捜索 」。NHKが栃木県那須町の雪崩事故に関するニュースを報道する際に使用した見出しだ。こんな見出しがNHKの、しかも報道で使われるのかと思うとかなり残念だ。このニュースは”引率教員が勤務している高校を、警察が捜索した”ことを伝えるものだが、この見出しでは”引率教員が自分の勤務校を、自ら捜索した”かのように感じられてしまう。そんなことが起こる可能性が低いことは、常識的に考えればわかることだが、事故の背景などを知らなければ後者のように勘違いする恐れが全くないとは言えない。適切に内容を伝えるならば「引率教員が勤務している高校を捜索」と”している”省略すべきではない。文字数制限に引っかかるなら「引率教員の勤務校を捜索」などとするべきだろう。

安易な全面禁止への懸念

 3/27に栃木県那須町のスキー場で起きた雪崩事故。登山講習を行っていた高校生らが巻き込まれ8人が死亡した。当然のように多くのメディアがこの件について取り上げている。事故についての捜査や検証などを報じることは必要だと思う。しかし必要以上に犠牲者の個人的な情報を取り上げる必要はあるのだろうか。ワイドショーでならまだ仕方がないとも思える。遺族の中には「悔しい」とか「責任者たちにテレビを通じて感情を訴えたい」と取材に協力する人もいるだろう。しかしシリアスな報道番組でそれをやってしまうことは、必要以上に視聴者の感情を煽り、事故を感情的に捉えてしまうという好ましいとは言えない方向へ世論を導く恐れがあり、個人的には是非考え直して欲しいと思っている。

日本と核兵器

 国連の核兵器禁止条約へ向けた会議に、核保有国の不参加を理由として、日本も参加しないとしたことが話題になっている。当初岸田外務大臣などは会議に参加し、唯一の被爆国である日本の立場を明確にしていくという態度を示していたが、一転して「核保有国と非核保有国の対立を深めかねない」などとしてこのような姿勢が表明された。一連の流れから考えると、核廃絶に消極的な態度を示しているトランプ大統領・同盟国アメリカから、この方針決定に関して何らかの関与があったのではないかという疑念を感じてしまう。この会議へはフランスやアメリカなどの核保有国が不参加を表明している。アメリカのヘイリー国連大使が会見で「議場にいる人たちは、私たちが直面している核の脅威を本当に理解しているのか」と発言し、北朝鮮による核の脅威を理由に現実的ではないと核禁止条約やその為の会議自体を批判している。この姿勢は他の会議不参加核保有国も同じようだ。

未成年とSNS

 iOS版ツイッターアプリが、3/25のアップデートされたバージョンから、17歳以上推奨の年齢制限が設定されたことが話題になっている。17歳以上推奨とした理由は、「軽度な性的表現またはヌード」「極度な成人向けまたはわいせつなテーマ」とiOSのApp Storeでは説明されている。どうやらリベンジポルノや所謂”自画撮り”の問題など、未成年が性犯罪に巻き込まれることを懸念しての制限のようだ。ちなみにこの制限は日本のみで、他の国・地域では行われていない。Appleがポルノ・暴力表現などに対して厳しい姿勢であることは有名で、理由が明確でない年齢制限をiOSアプリなどで設けるのは今回が初めてではない。今回は制限を受けたのがツイッターという超が付くほどユーザーの多いSNSの公式アプリだったことで、これほど大きな話題になっているのだろう。規制が掛かったのはiOS版アプリだけでAndroid版など他のOS向けアプリやWeb版では制限はない。iOSでもブラウザや非公式クライアントであればツイッターを使用することは可能で、iOS版の、しかも公式アプリだけに年齢制限を掛けることに意味があるのかはやや疑問だ。

テレビと有識者

 朝はほぼ毎日、東京MXの モーニングCROSS を見ている。報道的な話題を多く取り扱っているのがモーニングCROSSを選んで見ている理由だ。民放キー局朝番組のようなワイドショー的なバラエティ感が薄く、芸能情報コーナーも短い。毎日異なる3名のコメンテーターが出演し、他の番組ではあまり見かけない若手の企業家なども起用されている。その点も他局の番組よりも興味を惹かれるポイントだ。朝の番組に限らず、キー局の報道・ワイドショー系番組で見かけるコメンテーターは、どこも元政治家や報道機関の責任者などばかりだ。扱うネタが政治関連ならば、内幕に精通する彼らが多く起用されることも仕方がないとも思うのだが、「へぇー」と納得させられる一方で、結局扱うネタと同じような世界に生きている人々の話は「世間一般の常識とは少し違う」と感じさせられることも多い。ネット以前は、意地悪に表現すれば、所謂”有識者様の有り難いお話”に視聴者が疑問を持つことは少なく、それが世論の実態という認識を持つ人が多かったのだと思うが、近年は徐々にその感覚は失われつつある。

道徳教科書の検定

  NHK などが「道徳」教科書の初検定について報じた。その中で特に「国や郷土を愛する態度」などを学ぶという観点で不適切という理由で「パン屋」を「和菓子屋」に修正したという点が多くのメディアやSNS上で大きな話題になっている。 朝日新聞の記事 によれば、他にも同じように国外文化的な設定での記述を和風の設定に修正させられた点があるようだし、考え様によっては特定の家族観や国家観を押し付けられていると感じてしまうような点もある。肯定的に受け止めれば、「パン屋」が「和菓子屋」に修正された根底には、欧米化が進む日本社会で自国文化も大事にすることを目指すというような意識があるのかもしれないとも考えられるが、その意識がおかしな方向へ向いているように思えてならない。質の悪い”日本すごい”番組に100倍輪をかけたような感じだ。バラエティ番組ならつまらないから見ないで済む話だが、義務教育では全く話が変わってくる。

過度な競争が生むもの

 3/24のMXテレビ・モーニングCROSSで 新居日南恵 氏が待機児童問題について、母親たちがネガティブ競争をさせられている現状と、それが生み出す悪い影響について語っていた。行政が保育園に入れるべき家庭・児童の優先度を計るために、様々な条件を点数化している現在のシステムなどが、母親(とは限らないが便宜上こう表現した)が自分の置かれた状況の不幸度をアピールし合うような状況を作り出している側面があり、ギスギスした状態をある意味では煽っていると話していた。

森友学園・籠池氏の証人喚問

 さすがに昨日の報道関連番組は総時間のおよそ80%ぐらいが森友学園・籠池氏の証人喚問だったように感じられた。普段は国会中継を積極的に見ることはないのだが、昨日だけは衆参両方の中継を録画し全て見た。まず感じたのは議員によって質問力にかなりの差があるということだった。自民・公明や民主以外の少人数政党の議員は持ち時間が少ないこともあり、印象に残るような質問をした議員はほとんど居なかった。中には「その質問いる?」と思ってしまうような場面も多々あった。印象に残ったのはやはり与党・自民党と野党第一党の民進党だった。最も質問が上手かったと感じられたのは民進党の枝野議員だ。籠池氏が自民や維新に、彼曰く「はしごを外された」と感じていることもあるだろうが、順序立てた枝野議員の質問と、それに対してテンポよく答える籠池氏がそう感じさせたのかもしれない。個人的には枝野議員と自民・葉梨議員以外は時間を余計に消費しているだけにも感じられた。ただこの2人の質問の前提に午前中の参議院での喚問があったとも言えるので、それ以外が全て無駄で必要ないということではない。

WBCでの応援スタイル

 WBC・ワールドベースボールクラシックで、日本は惜しくも準決勝で敗退した。個人的には野球への興味がそんなに強いわけではない、というかむしろ薄く、1試合もテレビ観戦すらしなかったのだが、チラ見した準決勝で、ロサンゼルスで行われているにも関わらずトランペットや太鼓による日本スタイルの応援が行われていたことがとても印象的だった。試合が行われたドジャースタジアムでは通常、日本スタイルのような楽器などを使用した応援は禁止されているらしいのだが、WBCでは解禁されたということだ。日米のファンや記者など関係者の間では、このアメリカでの日本スタイルの応援に関して賛否両論あったようだ。個人的には良い試みだったという印象を持っている。日本とアメリカ、どちらの野球観戦スタイルが好みかは人それぞれ違うだろうが、ホームゲームアドバンテージを生かすということに反して、日本ではとても一般的な応援スタイルを行うことをドジャースタジアムが認めてくれたことには、懐の深さを感じるし、とても素晴らしいとも思った。結果は負けてしまった日本だが、良い試合ができた理由の1つにはいつもの応援があったこともあるだろう。

国会の品位と危険な思想

 日本維新の会・足立議員が「安保情勢が激しい中で安倍晋三首相や稲田朋美防衛相の足を引っ張るのは、北朝鮮や中国と通じているのではないかと疑われても仕方ない」と国会で発言したことを 産経ニュース が報じている。足立議員のこの発言は、衆議院外務委員会で民進党・福島議員が森友学園問題を追及していることに対し、委員会と直接関係ないことに時間を使い過ぎていると苦言を呈するという趣旨のものだが、産経ニュースによると「足立氏自身も外務委員会の所管事項を政府側にただすことなく、首相との質疑を終えた」ということだ。

呼び名より重要なこと

 文部科学省は学習指導要領の改定案で聖徳太子や鎖国などの表記を変更する方針を示していたが、教員などから「教えづらい」「わかりにくい」といった声が上がり、これを受けて文科省は改定案の方針を変えて元に戻すなどの対応をする予定とのことだ。歴史に限らずどの学科でもそれまで正しいとされていたことが、新しい研究で覆ったり、社会情勢の変化などの影響で認識が変わったりすることで、そうではなくなることはしばしばある。今回話題になっている”聖徳太子”や”鎖国”についても歴史研究の現場の声を反映し、当時の状況をできるだけ的確に表現する為の変更の提案だったようだが、個人的には現在は今のままでもいいのかなと思う。

これも忖度かも

 姫路市の私立認定こども園(保育園)が、46人の定員に対して22人多い68人の児童を市に隠して受け入れ、その68人に対して40人分の給食しか用意していなかったり、定員オーバー分の22人に対しては独自の保育料を設定したり、補助金を受けるために10人の保育士しか勤務実態がないのに13人と申請していたりなどの事態が発覚し波紋を呼んでいる。大手メディアは、それらの問題の中でも虐待の恐れが強い”少ない人数分の給食”を最も大きく取り上げている傾向が強い。また経営者が「給食を余らせると勿体ないと思った」という趣旨のコメントをしていることも取り上げられており、個人的にはおかしな方向で話が盛り上がらなければいいなと感じている。

稲田大臣の信頼性

 所謂南スーダンに関する日報の問題が大きな波紋を呼んでいる。現在までの流れは、 ・ジャーナリストがPKO部隊の昨年7月の日報の開示を請求 ・防衛省は日報は破棄済みで開示できないと説明 ・河野太郎議員などの働きかけで日報について再調査 ・陸自は破棄済みだが、統合幕僚監部にあったとして日報を開示 ・いわゆる”戦闘”についての議論が加速 ・防衛省幹部が日報は陸自でも保存してあったと暴露 ・陸自に残っていた日報データの消去指示があったとも告白 ・稲田大臣が事実関係の調査・特別防衛監察を命令 といった流れだ。誰かが不都合な日報を隠そうとしていることは誰の目にもわかることだが、その誰かである疑いがある稲田大臣が命令をした調査に果たして信頼性があると言えるのだろうか。実質的には誰が特別防衛監察を命じても結果に差はないのかもしれないが、森友学園問題などで権力者への忖度が取り沙汰されていることなどを勘案すれば、誰がということにはそれなりの意味があるとも言える。首相は稲田大臣をかばっている印象があるが、稲田大臣が調査を命じるより首相が命じたほうがまだマシ、最も調査に説得力を出すためには稲田大臣には辞めて頂いて、新しい防衛大臣のもとで調査を行うのが最善策だったように感じる。

もやしの価格

 もやしの価格が安すぎて、このままでは今後廃業する生産者が増え、安定供給が難しくなるという懸念を生産者協会が発表した事が話題になっている。以前からスーパーで買い物をする度に「もやしの値段が1袋10円とか15円とかで利益はあるのかな」と疑問を感じていたが、この件を見てその疑問が間違いではなかったのだと思い知らされた。その一方で協会は「せめて40円で売ってほしい」とも話しているようで、40円なら大丈夫なの!?という驚きもあった。

想起

 フォーエバー21が販売していたTシャツのデザインがナチスを想起させるとして販売を中止し、これに関してフォーエバー21が謝罪をするという事態になっていると BuzzFeed News が報じている。問題になっているのは日本のフォーエバー21ではなく米国での話なのだが、BuzzFeed Newsが掲載しているそのTシャツを見て、個人的には、この程度のデザインでナチス的で問題があるとするなら、他にも難癖(あえてネガティブな表現をしている)をつけられるものは数えきれないほどあるんじゃないかと思う。そのTシャツは複数の図形や英単語をデザインしたグラフィックがプリントされている。その中の88という英数字と稲妻のような図形について、88はHがアルファベットで8番目の文字であり、HH=ハイル・ヒトラーの隠語として白人至上主義者などがネット上でよく使う数字であること、稲妻のような図形はナチスの親衛隊(Schutz staffel=SS)のエンブレムに似ていることを理由に問題だとされているようだ。88については米国内でどれほどHHを想起させる数字として認知されているのか定かでないので、日本人と米国人の感覚の差を考慮する必要はあるかもしれないが、稲妻の図形に関しては上記のような話が容認されるならば、今後すべて稲妻の図形は使用できなくなりそうだ。ナチスに対して欧米、特にユダヤ人らが持つ嫌悪感は日本人・アジア人のそれとは桁が違うのかもしれないが、それを考えても過敏すぎるのではないかと思う。

右傾化

 注目されていたオランダの選挙では、事前の世論調査などに基づきイスラム排斥などを過激な論調で訴えていたウィルダース氏の自由党が第一党になってしまう恐れあると報じられていたが、自由党も議席数を増やしたものの、ルッテ首相率いる自由民主党が第一党の座を守る結果となった。注目を集めていたウィルダース氏はメディアと距離を置き、主にツイッターで持論を展開する手法や、移民・イスラム教徒などを”クズ”と呼ぶなどの過激な発言から、トランプ米大統領との共通性が報じられていた。ウィルダース氏はトランプ大統領よりも先にこのような活動を始めており、トランプ大統領の方がウィルダース氏の手法を取り入れたと言う話もある。

人間関係

 「 デートDVの実態とは? 「無理矢理キス」「全額おごって」も該当 」という記事をハフィントンポストが3/13に掲載した。DV、ドメスティックバイオレンス=家庭内暴力にデートをくっつけた”デートDV”という言葉にも矛盾を感じるが、それはそれとしてこの記事を読んだ感想は、例として挙げられていることをそのまま受け止めたら、男女関係(男男・女女などの関係の場合もあるが便宜上男女関係と表現する)かどうかに限らず、他人と関わることが嫌になりそうだということだった。

最悪

  車用ファブリーズのテレビCM の、イカ焼き・ハンバーガー・たこ焼き・吸殻の匂いについての「この”最悪の臭い”を消せるか」という表現がどうも気になる。ファブリーズは少し前にくさやを扱ったコマーシャルでもくさやの扱い方についてその賛否が 話題 になっている。このような表現については個人による感じ方の差もあり、今回の件に関しても車内が舞台なので、そこに残る”残り香”についての表現と受け止めれば過敏に反応しすぎかもしれないという気持ちもあるものの、吸殻の臭いについては仕方がないとしても、コマーシャルでは食べ物をまだ食べる前の状態が描かれており、残り香とは認識しづらく、やはり一般的な食べ物の匂いを”最悪”と表現することは、好ましいとは言い難いと思う感覚のほうが強い。

震災後

 先週の土曜日で東日本大震災から6年が経った。あの地震以降、毎年3/11前後になると、年を追うごとにその量は徐々に少なくはなっているが、テレビや新聞、Webメディアなどが扱う震災関連の記事・番組・企画が掲載・放送される。この週末も例年のように報道番組を中心に震災を振り返る番組、原発事故後の現状などを伝える番組などが放送されていた。時間と共に人の記憶は徐々に薄れるので、地震の怖さや備えることの重要さ、地震によって起こった津波や原発事故で被害を受け、未だに避難生活を強いられている人が万単位でいることなどを再確認・再認識するためには、この時期にメディアが関連する情報を扱うことは望ましいとも言える。しかし個人的にはトラウマとまでは言えないが、当時東京でも起こった混乱の中で見えてしまった自分を含めた各個人の身勝手さや、現在でもまだまだ先が見えない原発事故の後処理を、オリンピック招致の為だけに「アンダーコントロール」と嘘を付いた首相のこと、さらに彼が原発再稼動に向けて舵を切ろうとしていることなどから目を背けたいという理由から、地震や津波の直接的な映像だけでなく、それを想起させる映像を見たいと思えないし、震災関連の記事を読みたいとも思えない。

ホームページ

 テレビなどで、”ホームページ”という誤用から始まった和製英語が公然と使用されている。このホームページという表現が当然のように広まることは個人的にどうも釈然としない。日本人がホームページと表現しているものは、英語で表現するなら”Web Sight”が適当だ。英語で”Homepage”が意味するのは、Webサイトを開いた時に一番最初に表示されるWebページ、もしくはWebブラウザを開いた時に最初に表示されるように設定したWebページのことだ。日本ではWebサイトで最初に表示されるページをトップページと呼び、Webブラウザを開いた時に最初に表示するページをスタートページなどと呼んだりするが、どちらもホームページという言葉の誤用からさらに生まれた和製英語だと思われる。Wikipediaで ホームページ の項目を見てみると、誰が書いたのか「日本や一部の国では定着しており誤用とは言えない」というような解説がなされているが、一部の国とはどこを指すのかも書かれておらず、イギリスやアメリカなど英語表現を判断する上で大きな基準となるような国で、正しくニュアンスが伝わらないのに誤用とは言えないという見解は果たして妥当と言えるだろうか。

働き方

 電通で起きた事件をきっかけに罰則付きの時間外労働上限規制を設けようという動きが強まり、現在もそれについて議論がなされている。現時点では労働者側の連合と被雇用側である経団連が、「繁忙期などには年間720時間を前提としつつ、2ヶ月から6ヶ月の平均80時間かつ月100時間、月45時間を越える時間外労働は6ヶ月までとすると労働基準法に明記する」という方向で調整が行われていると、 NHKニュース が報じている。個人的には時間外労働の問題は、ヤマト運輸の問題でも徐々に声を上げる労働者が出てきているように、現時点で把握されている時間外労働よりも、統計にも残らない所謂サービス残業の強制のほうが大きな問題だと感じる。その点が全く議論されないことにも強い憤りを感じるが、その事を度外視しても、過労死認定ラインとされる月100時間の時間外労働が条件付とはいえ許されることを、労働基本法に明記することはどうしても容認しがたい。

わいせつ

 アダルト動画配信サイト・カリビアンコムの社員がわいせつ電磁記録等送信頒布の疑いで逮捕されたことを多くのメディアが報じている。逮捕されたのは34歳のアメリカ国籍の男性で、旅行で沖縄を訪れたところを逮捕されたらしい。カリビアンコムはカリフォルニア州の企業が運営しているサイトで、今回逮捕されたのはアメリカ人。サイトは日本語でも作られており、配信している動画の出演者もほとんどが日本人であることなどから、活動の実態が日本にあるから警視庁が動いたということなのかと想像しているが、果たして警視庁が、建前といえどアメリカで活動しているサイトを、日本の法規で判断し警察権を行使することに問題はないのか。報道されている内容から判断すれば、個人的には、不勉強だけなのかもしれないが、やや疑問である。様々な事象がギャンブルの対象になり、それが違法ではないイギリスなどでは、ブックメーカーと呼ばれる合法的なノミ屋が存在する。ネット上にもクレジットカードやWebマネーなどを使ったそれらのサイトが複数あり、それらの中には日本語対応を行っているサイトもある。カリビアンコムのアメリカ人社員を逮捕したということは、それらの賭けサイトの社員も来日したら逮捕するということなのだろうか。自国の法規に違反せずにサイトを運営していても、日本に来ればそのことで罪に問われるなんて、自分に置き換えて考えるとかなり違和感がある。

教育

 鈴木大地スポーツ庁長官の 東京新聞 のインタビューに対するコメントが一部で批判を浴びていると、 ハフィントンポスト が報じている。水泳の授業などで行ったプールへの飛び込みで事故が起きていることを受けて、授業でのプールへの飛び込みを原則禁止する動きがあることに対して、鈴木長官は「水深1mのプールでも飛び込みの練習はできる」「なんでもかんでも危険だからと全面禁止し、もやしっ子を育てあげていくのはどうかなと思う」などの見解を示した。記事では主に長官の「もやしっ子」という言葉に反応した批判的なツイートを紹介しているが、ハフィントンポストの記事はどちらの意見を肯定するでもなく両者にそれぞれ言い分があるというニュアンスで書かれている。

気質

 3/3、アメリカ国務省は2016年度版の人権報告書を発表したと 共同通信 などが報じている。その報告書には、2016年2月に高市総務大臣が政治的公平について違反を重ねる放送局に電波停止を命じる可能性について言及した事について、安倍政権によるメディアへの圧力強化の懸念が強まったという指摘や、特定秘密保護法によって報道機関への圧力が強まったという指摘、記者クラブが排他的で自己検閲を助長しているという批判があるという指摘が含まれているようだ。これに対して高市総務大臣は政治的公平・電波停止に言及したことは正当であるという、従来からの姿勢を改めて示していると 東京新聞 が報じている。

信頼性

 3/3に石原元都知事が築地市場の豊洲移転に関する問題について、この問題をめぐる百条委員会への召還を前に記者会見を開いた。自分は築地・豊洲市場移転問題に関してはそんなに強い思い入れもないし東京都民でもないので、意見を述べるべき立場でもないと思うのだが、あの記者会見を受けて一部では「石原都知事の会見内容は妥当で、不必要に問題を大きくしている小池都知事やメディアに問題がある」とする意見があるが、果たしてその見解は妥当なのか、個人的にはやや疑問である。

教育方針

 森友学園の問題について、テレビ局はなぜ取り上げないのかということなどについて 以前に書いた が、その後大小様々な話が次々と明るみになり、先週あたりからとうとう(というか やっと と言うべきか)多くのテレビ番組で時間を割くようになってきた(というか 割かないわけにはいかない状況になってきた と言ったほうが妥当か)。森友学園についての問題は、大きく分けると国有地売却価格の問題と、その教育方針が教育基本法から逸脱していないかの2点に分けられるとされている。個人的にはこの2つは全く別問題ではなく、共に影響のある話だと思うが、便宜上分けて考えれば、国会やテレビ番組でより大きく扱われている国有地売却価格に関する問題より、その教育方針の方がより深刻な問題のように思う。

洗脳

 アダルトビデオ出演強要に関する問題は昨年あたりから話題になっている。ハフィントンポストが、3/2に開かれた被害者根絶を目指すシンポジウムで被害者女性が自らの体験を語ったことについて「 「私は洗脳されていた」AV強要の実態、被害者のくるみんアロマさんが語る 」という見出しで報じている。記事を読んで、この体験談に関して、この女性が自分の意思に反してアダルトビデオに出演することになったこと、さらに事務所の社長がお金を持ち逃げしてギャラを貰えなかったことなど、所属していた事務所や社長・スタッフが用意周到に彼女を騙したということは事実と言えそうだが、一方で彼女自身も芸能活動(?)の一連の流れの初期段階から明確に”ノー”という意思表示をしておらず、果たして彼女の「私は洗脳されていた」という主張が的確なのかについてはやや疑問を感じる。

衛生管理

 NHKが東京・立川市で起きた集団食中毒に関するニュースを「 食中毒原因、「刻みのり」委託業者が素手で作業 」という見出しで報じていた。まるで食品を素手で扱うこと自体が悪いことであるかのように見えてしまうこの見出しは、個人的にかなり問題があると感じる。記事を読めば、販売元と委託業者の間で衛生管理の手段として手袋を付けて作業する取り決めだったにも関わらず、委託業者が素手でのりを扱い衛生管理を怠ったというニュースだと分かるのだが、Webサイトやデータ放送など文字でこのニュースを見る人の中には見出ししか読まない人も多いだろうし、映像でこのニュースに触れたとしても見出しの持つインパクトは大きく、読み上げられる記事よりも強く印象に残るので、このニュースの見出しは「食中毒原因、「刻みのり」委託業者が衛生管理怠る」等にすべきだったと思う。「委託業者が素手で作業」と「委託業者が衛生管理怠る」では印象が結構変わる。実際 BuzzFeed News では「素手で作業」にクローズアップせずこの件を報じている。NHK以外にも同じ論調の見出しや、内容で伝えているメディアもあるが、実質的な国営放送であるNHKはメディアとして強い権威を持っていることを自覚し、もう少しその影響力を考慮して伝え方を考えてほしい。

色彩商標

 セブンイレブンとMONO消しゴムの色彩が商標と認定された。セブンイレブンと言えばオレンジ・緑・赤3色の店舗等の装飾、MONO消しゴムと言えば青・白・黒3色のパッケージが簡単に想像出来るほどイメージが定着しているのが、今回の色彩商標認定の決め手だったのかなと思う。商標として認められたということは、この色の組み合わせを商標を有する者に無断で使用することが出来なくなったということなのだと思う。この制度は一方で権利者の利益を守るが、一方では過剰な権利を与えてしまう恐れもあるのではないかと感じた。

動物愛護

 韓国の一部には夏バテ防止のスタミナ食などとして「補身湯」などと呼ばれる犬肉食の文化がある。これについて平昌オリンピックを目前に控え、ソウルオリンピックや日韓共同開催だったサッカーワールドカップの時と同様に、韓国内外の動物愛護団体の抗議が強まっていると ハフィントンポスト が伝えている。犬肉食文化は韓国特有の文化という訳ではなく、中国やベトナムなどのアジアなど各地で見られる文化だ。個人的には自分が犬を食べてみたいと思うわけではないが、犬肉食文化を他国・他文化から否定することは好ましくないと考える。特定の犬種を絶滅に追い込むような行為があるのならば話はまた別だが、そもそも「犬を食べるのは野蛮」というのは、欧米、特にヨーロッパ的な価値観の元に語られている話だと思う。彼らは牛や豚を食べるが、牛を神の使いとして食べないヒンドゥー教徒から「牛を食べるのは野蛮」と言われたら、牛を家畜として扱ったり食べることをやめるのか。豚を不浄であるとして食べないイスラム教徒から「豚を食べるのは野蛮」と言われたら豚を家畜として扱ったり食べることをやめるのか。そんな話がどれほどナンセンスかを考えてもらいたい。

 数日前にテレビ番組で あるコメンテーター が原発について、「既に核廃棄物が存在しているのだから、その廃棄物を処理する為に、核技術を発展させなくてはならないので原発を無くす訳にはいかない」という持論を主張していた。これを聞いてなんとも釈然としない気分になり、今まで40年以上も処理できない廃棄物を生産しながら、しかも日本の原子力開発が始まって既に50年以上経ってもその技術が確立出来ないのに、今後どの程度でそれが可能になるという見通しがあるのかと問いかけたくなった。国策だった核燃料サイクル計画が事実上失敗しているのにも関わらず、また原発を動かし処理できない廃棄物を今以上に増やさなければならない理由がどこにあるのか。現状処理ができないごみに困っているのに、さらにその処理できないごみを増やすということには矛盾しか感じられない。