スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

5月, 2017の投稿を表示しています
 

李下に冠を正さず

 安倍首相は加計学園問題についての野党らの追及を受けて、「 私の知り合いだから頼むといったことは一度もない 」と便宜を図ったのではないかという疑惑を否定した。森友学園問題にしろ、加計学園の件にしろ首相・政府与党は一貫して便宜を図った事実はないとしている。一方で、森友学園問題では籠池氏が「 神風が吹いた 」、加計学園問題では前川氏が首相補佐官から「 総理は自分の口から言えないから、私が代わって言う 」と言われたと、共に首相・政府若しくは行政などによる影響力が働いたことを示唆する発言をしている。  首相や政府は自分達が圧力を直接行使し便宜を図ったことも、官僚が自発的に首相らの意向に配慮して結果的に便宜を図った事実もないというスタンスを貫いているが、1件だけならともかく、2件も似たような疑惑が噴出し、しかも加計学園の件については官房長官などは単なるほら吹き扱いをしているが、辞めた経緯はどうであろうと文科省の事務次官だった人物が政府見解と異なる主張をしているのだから、単なるほら吹き扱いで片付けられるような程度の話ではなく、否定するにしたってそれ相応の説得力のある説明が必要であろう。国会への招致や再調査に消極的なようでは問題が終息しないのも当然だ。森友問題にしたって他の問題が次から次へと出てきているので有耶無耶になっているが、実際は話の途中で頓挫しているに過ぎない。

マイノリティレポート

 6/3の土曜日に フジテレビが映画・マイノリティリポートを放送する 。個人的にこの映画はトムクルーズ主演作品の中で最も重要な作品の一つだと強く思っている。映画の舞台は2050年代。犯罪予防局という、予知能力を利用して凶悪犯罪が起こる前に犯人を逮捕する捜査機関がある世界。トムクルーズが演じるのは犯罪予防局のチーフ捜査官。ある日彼が殺人を犯すという予言が行われ、取り締まる側だった彼が追われる立場に、という映画だ。単なる近未来SF作品としても楽しめるが、原作の小説やこの映画には、発表・公開当時から懸念されていた政府機関による監視強化を暗に批判しているという、政治的なメッセージが込められているという見解や側面がある作品でもある。

ネット記事のアンケートやコメント欄

 BuzzFeed Newsが所謂「加計学園問題」における前川・前事務次官の発言を受けて、毎日・朝日・日経・読売・産経の5紙がどのようなスタンスで報じているかを比較するという記事を「 「加計学園」主要5紙はどう報じたか 立ち位置くっきり、社説を比べてみた 」という見出しで掲載している。自分は各紙の紙面を直接読んだわけではないので、あくまでもBuzzFeed Newsの記事を読んだだけでの感想なのだが、記事の見出しにあるような” 立ち位置くっきり ”という印象は全くなかった。しかしくっきりではないにしろ各紙のスタンスに違いがあることは確実だと思う。  BuzzFeed Newsのこの記事の最後には「一番良いと思うのはどこの社説?」というアンケートが付いている。自分はこの手のアンケートは記事の内容に関係なく、ただ単に贔屓の新聞社に投票する人がいる恐れが低いとも言えないし、複数投票する人がいる恐れもあるだろうから大した意味は感じられないし、正常な結果が得られない見込みも低くないのだから、絶対するべきではないと強く否定する程ではないにしても、変に読み手の感情を煽るだけになる恐れが強いので実施するべきでないとさえ思えてしまう。と思いつつも恐る恐る投票結果を見てみると、その時点では奇しくも自分の意見と一致して産経新聞が最上位になっていた。

ネット上の中学生男子たち

 ネット上で必要以上に強気なコメントをしている人を見ると、中学生男子のような思考丸出しで恥ずかしくないのかと思えてしまう。まず大多数の健全で品行方正な中学生男子によろしくないイメージの例として使ってしまったことを謝りたい。そして強気な彼らに対してこんな批判をしている自分も、彼らと大差ないのかもしれないとも感じる。しかしBuzzFeed Newsの「 大阪府警「ひざ蹴り3発動画」がネット上に やりすぎなのか波紋広がる 」という記事のコメント欄がヒドいので反論したくなってしまった。大阪市内の路上で客引きの顔を殴った疑いがある外国籍の男性を警察官が3人がかりで押さえつける様子を、現場に居合わせた人が撮影した動画が公開されたようだ。男性は酔っており警察官に噛み付こうとしたということなのだが、押さえつけた際に警察官の1人が3回にわたってひざ蹴りしている様子が映っている。これがやりすぎなのか、正当な制圧行為なのかということがネット上で波紋を呼んでいると言う記事だ。

懸念があるならあきらめた方が、

 「 拾得者はお礼を辞退されていますが、お礼の電話を希望されていますので、すみやかに連絡を取り、お礼の言葉を伝えてください。拾得者から、あなたからの連絡が無い等の理由で、お礼の言葉を受けていないと連絡を受けた場合、あなたの氏名、電話番号を拾得者にお伝えすることになります 」 最近ツイッターを中心に話題になっている、申請していた落し物が警察に届けられ、それを引き取る際に警察から一緒に渡される用紙の文言だ。この話題の元になったのは京都府警での話だが、関東在住の自分も「あなたの氏名、電話番号を拾得者にお伝えすることになります」とまで書かれていたかどうかは良く覚えていないが、似たようなものを受け取った記憶がある。何が問題なのかと言えば、 この制度を利用して落とし主が女性だった場合などに拾い主が不必要に会おうとしたりする、極端に言えばストーカー的な行為に及ぶ恐れを、警察が住所などの情報を提供し助長している場合があるのではないか 、ということだ。この話題の元になったツイートも鍵を落とした女性によるもので、彼女は「連絡したところ『どんな人か会いたかった』と言われ怖かった」という趣旨のツイートをしている。落としたものが鍵であることや、拾い主が届ける前に合鍵を作製しているかもしれない恐れなどを考慮すれば女性の懸念にも理解できる点は大いにある。

官房長官の姿勢

 最近の菅官房長官には冷静さが足りないのではないだろうか。元々キッパリと物を言うタイプであるとは思っていたが、昨今国連特別報告者に対して単なる一個人的な物言いをしてみたり、加計学園の問題について示している強硬な見解などを見ていると、まるでトランプ政権の報道官のようだと思える。どうも心の中心に「自分達は間違えない」とか、もっと厳しく言わせてもらえば「自分達の主張することだけが正しいことだ」とかいうような思い上がりのような気持ちがあるように見える。  加計学園の問題については、本質的に問題があるのかどうかについては、自分もまだどちらとも言えないように感じている。それとは別に、前川・前文科相事務次官の会見を受けて、菅氏は「( 前川氏は)当初は責任者として辞意も示さず地位に恋々としがみついていた 」という発言をしていた。恐らく菅氏は前川氏が天下り問題で引責辞任したことや、読売新聞が報じた前川氏のスキャンダル的な記事などを前提に、 彼は信用に足らない人物であると印象付けたかったのだろう が、自身が総理と共にリーダーシップを執っている内閣にも、記者に対して逆上し被災者への配慮を欠いた発言で謝罪したものの、職務にまい進するとしてその座に留まったが、舌の根の乾かぬうちに同様の失言を繰り返して辞任した復興相が居たことを忘れているのだろうか。また、森友問題の交渉記録を財務省が破棄したとすることや、この加計学園問題で明るみになった文書、菅氏が怪文書と表現し、文科相が調査の結果存在が確認できなかったとしたが、前川氏は存在すると証言した所謂”総理のご意向”文書のことだが、それらの官公庁・官僚が文書が無いとする主張の信憑性を極めて下げている原因には南スーダン日報問題がある。そういう意味では内閣全体や官公庁の信頼性を保つ為には防衛相が責任を取るべきだったと自分は考えるが、当の防衛相は今もその席に座ったままだ。付け加えれば、彼女は森友学園問題でも虚偽と言われても仕方がないような答弁をし、1日で撤回・謝罪するというオマケも付いている。彼女についても個人的には「 責任者として辞意も示さず地位に恋々としがみついている 」と言えるのではないかと思う。

法による支配とは

 今週の何曜日だったか正確な日付は失念してしまったのだが、MXテレビ・ モーニングCROSS で共謀罪についての放送を行っている際に、コメンテーターらが条文に含まれる ”物品の手配、関係場所の下見その他の計画”という文言の”その他” について恣意的な解釈が可能で、不適切な運用に繋がる恐れがあるという指摘を行なっていた。それに対する視聴者の「 その他という文言を入れておかなければ、条文の隙間をついた犯罪を取り締まれないから、その他という文は妥当 」という趣旨のツイートを、MCの堀氏が「こんな意見がきましたよ」と紹介していた。堀氏は明確にその主張が不適切だとか、間違っているとかいうような指摘はしなかったが、自分にはその主張は法による支配ということを全く無視しているとしか思えない。

情報の並べ方

 イギリスでまた爆弾による自爆テロとされる事件が起きた。報道機関は犯人はリビアからの移民の2世だと伝えているが、それ以外の人物像についてはまだ何も出てこない。単純に当局の発表をそのまま伝えているだけかもしれないが、 犯人が移民2世であることを強調する必要性があるのかどうか自分には疑問で、そこには無意識の悪意のようなものがあるような気がしてならない 。極端な話をすれば、現在アメリカに住んでいる人の多くを占めているのはヨーロッパからの移民の子孫だ。イギリスでのこの事件の犯人について移民2世だと強調するべきなら、アメリカで起こる白人による犯罪の全てはヨーロッパ各国からの移民の子孫が起こしたと付け加えるべきではないだろうか。馬鹿馬鹿しい話をしていることは自分でも理解している。アメリカ大陸には元々白人は居なかったのだから、そこで白人が起こすことの全ては移民の子孫以外が起こせる筈が無い。要するに移民の子孫による犯罪と言うのは、アメリカで起きる全ての白人による犯罪行為に当てはまることだから強調する必要も無い。だが、だからイギリスで今回起きた事件の犯人についても”リビアからの移民の子孫”と強調することが、自分には必要性の薄いことと思えてしまう。一応付け加えておけば、この事件についてもISが後追いで犯行声明を出しているが、いくつかの報道機関はイギリス当局はISとの関係性を示す証拠は見つかっていないとしており、それは消極的ながら移民の子孫だから事件を起こしたというイメージを抑制する為の情報のようにも見える。

有給休暇取得率を上げるには

 有給休暇の取得を促す為の方策として、子供の夏休みの一部を別の時期に移し、土日と合わせて1週間程度の連休を作り、親が一緒に休む(有給休暇をとる)ように仕向けようという” キッズウィーク ”なる施策を早ければ来年度にも導入しようという案を政府が示したようだ。個人的には プレミアムフライデーに続く実効性の薄い施策になる気がしてならない 。今年の2月に導入されたプレミアムフライデーも注目されたのは最初の2月だけで、しかも当初から「自分には関係ない」という声も多く聞かれた。たった3回で施策が全く実効性が無かったと結論付けるのは少々、時期が早いかもしれないが、年度末の3月は仕方が無いとしても、4月はゴールデンウィークとも絡むような施策盛り上げの好機だったのにも関わらず、報道も実際の街中でもプレミアムフライデーを意識させるような状況ではなかった。当然自分も「自分には関係ない」という状況の人間だ。

すいませんとありがとう

 「すいません」という言葉を日本人は良く使う。主に謝罪の意を表す言葉だが、謝罪の意味が薄い場面でも挨拶代わりに使われたり、もはや相槌の一つのように使う人もいる。「すいません」を使うなとは言わないが、自分は「ありがとう」に置き換えられる「すいません」は「すいません」と言わず「ありがとう」と言うように心掛けている。「ありがとう」は基本的に感謝を意味し、「すいません」は基本的に謝罪を表す言葉だ。「親切にして頂いて恐縮します」というような感謝の意味合いで「すいません」が使われることは当然理解しているが、自分は謝られるより感謝されたほうが気分が良い。誰もがそう感じるわけではないかもしれないが、どちらかと言えばネガティブな「すいません」よりポジティブなニュアンスの強い「ありがとう」の方が、言う方にとっても言われる方にとってもより気分の良い言葉ではないかと思っている。

国会は多数決ではない

  日本は民主主義の国なのだから、共謀罪を恣意的に、又は不適切に運用する者が権力者になる可能性は限りなく低い という主張をしばしば目にする。 おかしな運用をするものを国民が選挙で選ぶとは思えないし、もし国民を騙すようなかたちでそのような者が政権についたとしてもリコールなどで辞めさせることが出来る という話だ。同じ事を自民党・石破氏も言っていたのを聞いてとても驚いた。戦前の日本で治安維持法が出来た際も現在と方式は異なるが選挙は当然行われていたし、独裁者ヒトラーだって民主主義的な手続きを経て権力者になっている。前述の話が真実ならば、戦前の日本でもドイツでも個人が意見を主張することが許されない社会にはならなかっただろう。そのような過去を考慮しても、楽観的な見解というか権力者に対する性善説みたいなものを主張できるのが不思議だ。

恐怖を煽る

 ニューヨーク有数の観光スポットでもあるタイムズスクエアで、自動車が歩道に突っ込み死傷者が出る事件が起きた。昨年来欧州各国で起きているいくつかの同じような事件を前提に、今回のニューヨークの件は” テロの可能性は薄い ”という見解を多くのメディアが報じていた。死傷者の数などに差はあるだろうが、欧州の同じような事件のほとんどはテロと報じられ、ニューヨークの件はテロではないというニュアンスで語られる。しかし起きた事件の内容に大きな差はないと自分は思う。日本でも数年前に秋葉原でトラックによる殺傷事件が起きているがテロとは言われなかった。だが内容は同じようなものだし、近頃報道されるケースが増えている高齢者によるペダルの踏み間違いで起こる、歩道・店舗などへの暴走事故も事件の内容はとても似ている。テロとそうでないものの差は一体何なのだろう。

抑止論とその先にあるもの

 イランでも大統領選挙があるらしく、あるテレビ番組の、現職のロウハニ氏を紹介するVTRに彼が国連で「核のない世界を目指そう」と訴える姿があった。イランは第二次大戦後、親米独裁帝政への不満のから1979年に革命が起こり、それ以降は反米感情が強い国だ。しかし現職のロウハニ氏は穏健派で知られ、アメリカとの関係改善を進めた人物だ。だがイランは現在の北朝鮮と同様に、十数年前に核開発で西側諸国を中心に猛烈に批判され制裁を受けた国でもある。核開発を行う国の大統領が「核なき世界」を望むというなんとも矛盾を感じる話でもある。当然同じ矛盾を、世界で最も強大な軍事力を持ち、世界で1,2を争う核戦力を保有するアメリカの前大統領が核廃絶を訴えた時にも感じた。  核廃絶したいと表向きは表現するが、矛盾したような状況に陥ってしまう理由の一つに、抑止論という考え方があり、大雑把に言えば、武力や核をお互いが持つことで全面的な武力衝突を避けることに繋がる、という考え方だ。個人的にはとても罪深い思考だと感じるが、一方でお互いに武器を持たないという協定を結んでも、相手が確実に信用できなければ隠し持っていることを疑わずにはいられないだろうし、そんな考え方が生まれるのも仕方の無いこととも思える。

もっともらしい言葉に最も注意するべき

 「 多くの先進国に比べて日本の受動喫煙対策は遅れている 」これは受動喫煙対策の正当性・必要性を訴える際によく言われることだ。しかし自分は世界の標準的な受動喫煙対策と日本の対策は異なっていることは事実だが、それが遅れているかどうかとは別だと思う。例えば、現在男系男子しか皇位継承を認めない日本の天皇制も、世界的に男女平等が強く叫ばれているし、他の君主制の国でも女王を認める国が多くあることを考えれば、日本の天皇制は遅れているとも言える。個人的には男女平等を日本の象徴である天皇から発信する為にも、制度改定が必要だと思うが、過去の伝統を重視したいという意見も一方で無視することは出来ない(当然過去に日本でも女性天皇が存在したことは知っている)。現在、皇位継承を男系男子に限る天皇制は受動喫煙対策に比べれば制度を改定しようという機運は薄い。当然他国の状況を参考にすることも必要だが、 他国と比べてどうかということよりも、内容を吟味することの方がよっぽど大事 だと思う。もっともらしい言葉に引っ張られた判断が必ず正しいとは言えない。

痴漢と冤罪

 2-3月あたりから 痴漢を疑われた人物が線路を走って逃げるという事案が多く発生 し、各メディアでも度々報道されている。直近では遂に逃げた人物が死亡するというケースも出てきた。痴漢は当然許されるべきでない行為だが、ここ数年では勘違いによる告発や、性質の悪い示談金目当て、場合によっては男性全体に対する逆恨みのような目的で、痴漢をでっち上げる女性も少なからず報道されている。痴漢していないことを証明することは現状ではかなり困難で、一度告発されると例え冤罪であっても社会的に受けるダメージは大きい。告発された時点で人生が変わってしまうと言っても言い過ぎではないかもしれない。線路を逃げた人や逃げて死亡した人の全てを痴漢とも痴漢冤罪であるとも短絡的には判断できない。痴漢冤罪の恐れを重視すれば、今後被害者が声を上げる為に必要な勇気を萎縮させる恐れがあるし、痴漢摘発を重視しすぎれば、勘違いで告発される人を増やしてしまったり、痴漢をでっち上げやすい状況を作ってしまう恐れもある。 痴漢対策というのはバランスをとるのが非常に難しい と思う。

「迷惑」の過剰な主張

 「 -は迷惑 」と言われれば、何でもかんでも自制・自粛・規制・禁止される風潮はいかがなものか。個人的には「-は迷惑」と過剰に主張する人らは 「-は気に入らない」を「-は迷惑」と言い換えている 、それこそ迷惑な存在だと感じている。盆踊りや夏祭り、除夜の鐘、保育園、公園で遊ぶ子供の声などをうるさくて迷惑と言う人が増えているようで、どれも取り止めや設置見合わせなどが検討されるような社会だ。こういった地域活動が無くなれば隣人間のコミュニケーションは当然薄くなり、隣人不信が増幅され、トラブルが増え、最悪暴力沙汰にも繋がるかもしれない。誰かが迷惑と言って地域活動を辞めた事によって逆に隣人トラブルが増えるのならば、神経質な人に我慢してもらう方がよっぽどコミュニティ全体の為になるとも思える。「-は迷惑」と声高に主張する人々(の全てがそうだとは言えないが)には、某国大統領のような○○ファースト的な考え方、言い換えれば” 自分さえ良ければよい、他人は知らない ”という思考があるのだろう。

北朝鮮対策について思うこと

 5/14の朝、また北朝鮮のミサイルが日本海へ向けて発射された。当然のように日本政府も「容認することは出来ない、断固として抗議する」という趣旨の声明を出している。一体この状況はいつまで続くのか、果たして平和的な解決は可能なのかなど、自分には全く想像がつかない。岸田外相が数日前に北朝鮮との交渉・関係について「 対話の為の対話では意味がない 」というような発言をしていた。自分には” 平和的外向では埒が明かないので、その他の 手段(武力行使や威嚇)も検討しなければならない ”と言っているように聞こえた。それは日本では憲法により制限されているし、果たしてその解釈が適当かどうかは分からないが、北朝鮮が再び核実験を行うことを示唆したことに対して、トランプ大統領が武力行使も辞さないというような威嚇をしても状況は大して変わっていない。北朝鮮は核実験を踏みとどまってはいるが、その理由については、中国が「核実験を強行すれば中朝国境を封鎖する」と忠告したからだという報道もある。結局武力の行使をチラつかせるよりも、経済的な警告の方が有効であるとも思える。こうしたことを総合して考えると、自分には武力による威嚇を強めることの結末は戦争しかないと思える。

オリンピックは誰の為、何の為

 安倍総理が5/3・憲法記念日に憲法9条改正について言及し、大きな波紋を呼んでいる。自衛隊が違憲である恐れを憂慮し、出来るだけ速やかにそれを解消すべきだという見解を示した。しかも以前から明らかにしていた自民党改憲草案とは異なり、戦力の不保持を謳った9条2項はそのまま残し、どういう文言にするべきかについては言及しなかったが、自衛隊の存在を加えて明記するという奇妙な方法を提案した。この件についての直接的な影響・問題点、内閣総理大臣と自民党総裁の立場の使い分けだとか、自分の考え方については読売新聞を読めという国会答弁などにも大きな違和感があるが、彼が オリンピックを目処に2020年までに憲法改正を目指すという表現をしたことの不適当さに、個人的には最も嫌気が差した 。

著作権は何のためにあるのか

 5/11、朝日新聞が「 カラオケのYoutube投稿は「違法」 専門家もびっくり「聞いたことない」 」という記事を掲載した。ある男性がカラオケ店で人気女性グループの曲を歌う姿を撮影し、その動画をYoutubeに投稿した。それに対してカラオケの楽曲を作成した機器メーカーが削除要請したが、男性が応じなかった為訴訟に発展、裁判では機器メーカーの訴えが認められ、カラオケのYoutube投稿は違法という前例ができたという事案だ。記事によれば「 カラオケ機器の楽曲はCDの音源から独自に作られており、著作権に準じた権利・著作隣接権として保護される 」らしい。著作権の必要性や、カラオケの楽曲に著作隣接権が認められることについてはなんら異論はないが、個人的にはどうも釈然としない。著作権は何の為にあるのかということを考えたい。

法務副大臣の設定温度28度は…発言の影響

 エアコンの設定温度の目安・28度推奨の妥当性について、昨日からネットを中心に話題になっている。これは5/11の朝に官邸で行われた会議の中で、盛山法務副大臣が2005年に地球温暖化対策の為に始まった施策・クールビズでエアコンの設定温度について28度を推奨したことに関して「 何となく28度という目安でスタートして、それが独り歩きしてしまったのが正直なところ 」( 時事通信の記事 より)と発言したことから起こった議論だ。この件に関して多くの議論・主張は” 設定温度28度の妥当性 ”についてだが、自分にはそんなことより ”何となく28度という目安”が決められた という発言の方がよっぽど問題だと思える。何故ならば、官公庁で行われる他の意思決定でも”何となく”で決まることがあるかもしれないと想像させるからだ。

日本人でよかったポスターの問題点

 「 私 日本人でよかった 」というコピーの、どんな趣旨があるのかわかり難く、どこが作ったのか出所も分かり難いポスターが、掲載されている女性モデルが日本人ではなく中国人だったということで一気に注目を浴びている。5/9の ハフィントンポストの記事 によれば、このポスターは、神社本庁が” 日本の伝統を振り返るために祝日に国旗を掲揚する運動の一環として、2011年に神社の社殿前に掲示してもらうために6万枚を全国の神社に配布した ”ものらしい。個人的にはこの”日本の伝統を振り返るために祝日に国旗を掲揚する運動”を神社が推進するのにも少し違和感を覚える。自分は古来から続く民俗的な神道と、明治以降の国家神道は別物と考えている。言いたい事が全く分からなくはないが、”日本人でよかった”というコピーは民族主義的にも感じられる為適切だとは思えない。そういう意味ではきっかけは何であろうが、このポスターの賛否についての議論が起こったことは良かったと思う。

国交省の場当たり的な対応

 外国人観光客などを中心に 公道走行可能なレンタルカートの事故が増え問題になっている と複数のメディアが5/9に一斉に報じている。国交省がこの件でカートのレンタルを行っている業者に安全対策を申し入れたことが、一斉に報道された背景にあるのだろう。MXテレビ・ モーニングCROSS によると、国交省は「 カートにシートベルトを設置することや他の車から良く見えるようにすることなどを検討し、警察とも連携していく 」としているらしい。事故対策や事故が起こった際の乗員の安全対策が必要なことは間違いないし、検討段階だということは理解しているが、カートにシートベルトなんて発想はいかにもこの分野に詳しくない人の安易な発想という印象を持たざるを得ない。

都合の良い解釈

 今日、5/9は韓国の大統領選の投票日だ。米朝間の緊張感が高まり、周辺国へも大きな影響があるが、とりわけ韓国は北朝鮮とは元々一つの国だったこともあり、周辺国・日中韓露のなかでも最もその影響を受けている中での大統領選だ。また、EUの中心的存在のフランスがイギリスに続いてEUから離脱し、EUが崩壊するかどうかがかかっていたという見解もあったフランスの大統領選も、同じかそれ以上に注目されていたが、昨日、日本時間の5/8に明らかになった結果は、極右政党・国民戦線のルペン候補に大差をつけたマクロン候補の圧勝だった。このフランス大統領選の結果をMXテレビ・ モーニングCROSS でも扱っていたのだが、それに対する視聴者のツイートの中に「 仏国大統領選。どうして国民戦線を「極右」と言うのかが、結局自分には分からなかった。自国のことを自国民が決めることを主張するのは普通の範疇だと思うけどな。 」というものがあり、画面に表示されていた。

パン屋和菓子屋問題の再考

 5/6のテレビ朝日・ 池上彰のニュースそうだったのか!! は今年の1-4月の主要ニュースを振り返るという内容だった。その中で道徳教科書検定に関する問題も取り上げられていた。番組では、教科書内でパン屋という設定が和菓子屋に変更された経緯について、教科書全体で「 我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ 」 という要素が不十分 な為、文科省が教科書会社に改善を促し、 教科書会社が自主的にこの変更を行った と紹介していた。更に池上氏が補足として「教科書会社は、一度作ったものを大きく変更すると文字数が変わり、ページ数の増減など大きな影響が出る為、簡単に変更できることで済まそうとしたのではないか」と説明した。そしてこの変更とは別に、道徳が教科化し成績がつけられるようになることについては「自ら道徳について考えるのではなく、先生の道徳観に迎合しようとする子供たちの姿勢が変に強まる」恐れを指摘し、ある程度の懸念を示していた。この台本が池上氏の意向なのか、番組制作側の意向なのか分からないが、世の中に広がっている”文部省がパン屋を和菓子屋に変更させた”という認識の不正確さを指摘するという意味では適切だと思える。確かに3/26に 自分が書いた記事 を読み返してみても、自分にはその意図はなかったが、文科省が変更を指示したかのように読める記述がある。ただ、自分はそれを踏まえたとしても検定を行った 文科省の判断に問題があると考える 。

差別をする、差別を表現をする自由などない

 ツイッターを眺めていると、先日起きた 京都での韓国人タレントへの差別的発言 の件を受けてか、 差別に対する批判があることは分かるが、”思想信条の自由””表現の自由”がわが国では認められているのだから、差別を批判する自由があるように、差別をするという思想や表現を制限するべきではない。 という主張をする人が一部に見られる。要するに差別を正当化、正当化とまでは言わなくても容認しろということだ。とんでもないことを悪びれもなく言うもんだと開いた口が塞がらない。完全に自由の意味を誤っている。もしくは自由とはどういうことか理解した上で都合よく解釈している。

旭日旗に対するイメージ

 4/25に韓国で行われたサッカー・ACLの川崎フロンターレ 対 水原サムソンブルーウィングスの試合で川崎のサポーターが旭日旗を応援で使用し、反発した韓国側のサポーターと一触即発の事態になったことを、 ハフィントンポスト など複数のメディアが報じていた。この事態を受けて試合を管轄するAFCが規律委員会を開き、 5/5のハフィントンポストの記事 によれば、”AFCは川崎サポーターの行為が、人種、性別、宗教、肌の色などによる差別を禁じている倫理規定に違反したと判断。1年間の執行猶予付きでAFCが主催するホーム1試合を無観客試合とする処分に加え、1万5000ドル(170万円相当)の罰金を科した。”ということだ。執行猶予ということで、直ちに1万5000ドルの罰金を払い、次の試合が無観客試合ということではなく、もし1年以内に同様の事案が再発すれば、この罰則と更に追加制裁ということなのだが、個人的には要するに”旭日旗使用=状況に関係なく差別的なこと”と認める裁定で、処分が重過ぎるように思う。

していきますの多用

 モータースポーツを中心にスポーツ中継をテレビでよく見る。スポーツ中継には欠かせない存在と言えば実況アナウンサーと解説者だ。実況に求められるのは、画面を見ていなくても出来るだけ状況を理解できるような表現、すなわち正確性だと思う。また解説者と共に見ている人の気分を盛り上げるような演出をする能力も求められると思う。正確性と演出という一見対極にあるとも考えられそうなもののバランスを保つことが最も重要なのかもしれない。また言葉選びも重要なポイントだろう。彼らもそれぞれ一人一人の人間なので、各々よく使う言い回しや口癖のようなものがある。例えば言葉に詰まったり、間を取ったりするのに「さぁ!」を多用する人、「---されます」のように受身表現を使いがちな人、解説者のほうが多いかもしれないが「まぁ、」を毎回ように喋り始めに使う人などだ。

差別とはイジメである

 韓国人タレント男性がネット生番組の配信中に訪れた京都のラーメン店でその店にいた客から、「 Fack'n Koreaやねん、Go outや 」などと差別的な発言を受けたことが大きな波紋を呼んでいる。この客の発言を咎めなかった店に対する批判も起こっているようだ。発言に対する批判・擁護ともに様々な憶測を交えた、複数の主張が主にネット上で展開されているが、個人的には発言した客は言語道断、店に居合わせた客・店員が彼の言動を止めなかったことにも憤りを感じる。当然ネット上で主張されている”この発言自体が韓国人タレントが行ったヤラセ”という見解にも全く同意できない。  差別発言をした本人は批判されて当然だが、他の客や店員まで批判されるのは如何なものかという意見もあるだろう。だが、件の映像を見ていると差別発言の後にそれを見て嘲笑するような声が聞こえてくる。店内の様子が良く見えないので居合わせた客(店員が含まれる可能性もある)全員が笑ったのかは分からないが、確実に何人かは差別発言を受けた韓国人タレントを嘲笑している。居合わせた人のうちの何人かも差別的発言をしたも同然だ。また店員はこの出来事について作業に没頭していて気がつかなかった可能性もある。しかし”こんな差別的な店は営業するべきではない”という程の強い批判や、そのレベルの制裁を与えるべきとは思わないが、自分たちが管理している店の店先でこのような事件が起こったことに気が付けなかったことには、ある程度の反省が必要だと思う。 BuzzFeed Japanの記事 によれば、店のオーナーもこの件に関しての謝罪を示しているようだ。また店が客と共謀して差別を行ったこともないとしている。

将来を考える力

 和歌山市のある市議が、新しくオープンした図書館分館を訪問し、書棚が半分程度しか埋まっていない写真と共に「 市民図書館初の分館オープン。なんやこの書棚… 通常、民間のお店ならこんな状態ではオープンできやんやろ! 」というツイートをして批判を浴びる事態になっている。恐らく議員は一般の書店やレンタルDVD店などの棚を理想と想定し、棚に複数の空きスペースがあるのは本を揃えられていない・またはスタッフの努力が足りないとか感じたのだろう。それに対する多くの批判と同じように、自分もすぐに” この人は何かを収集して整理するということをしたことがない人なんだな ”と感じた。  この施設がどの程度の規模でどのような構造になっているか詳細は分からないが、分館ということなので、それほど大規模な施設ではなくバックヤード的な倉庫部分がそれほど広いとは考えにくい。ということは写真にあるような館内の通常の書棚スペースで蔵書の大部分を収めなければならないタイプの図書館だと推測できる。この推測が間違っていなければ、書棚が開館当初から余裕のない状態ではこの先新しい本を仕入れていくことを考慮していないことになる。コレクター気質のある人ならば分かると思うが、集めた物をきちんと整理するには収納スペースにある程度の余裕を持っておくことが重要であることは常識と言っても過言ではない。物を集めるということはこの先も物が増えていくということであり、今あるものだけしか収納できるスペースがない状態だとそれ以上集めることは出来ない。正確には、集めることは出来たとしてもきちんと整理することは確実に出来ない。  図書館という施設は今ある本を並べるだけで完結する施設ではなく、利用者のニーズに合わせて新刊を増やしていく必要がある施設だ。勿論スペースは無限ではないので入れ替えもあるだろうが、本屋と違い売れてスペースが空くわけではないので、” 最初からギチギチの図書館=将来のことを考えていない ”と言えると思う。市議が投稿した写真は棚の半分以上は本が並んでおり、開館時の訪問ならば全く問題ない状態だと思う。  このようなことで市議は批判を浴びているのだが、これが市議ではなく他の図書館とは関係ないような人のツイートだったなら、単純に「その見解は正しくないのでは?」で済む話だったかもしれない。深刻なのは彼が市議という立場である

規律教育の裏にある差別的な発想

 朝日新聞が” 「地毛証明書」都立高校の6割で 幼児期の写真を要求するケースも ”という記事を掲載している。記事によれば、生徒が髪の毛を染めたりパーマをかけたりしていないか、生まれつきの髪かを見分けるため、一部の生徒から入学時に「 地毛証明書 」を提出させている都立高校が約6割あるらしい。率直に昭和から平成になって既に約30年経つのに、相変わらずの時代錯誤っぷりだとしか思えない。結局、教師ら大人たちも適切なのか不適切なのかを考えず、” 自分たちもそうされたのだから、それが当然 ”的に以前にも書いたような 悪しき伝統が継承 されているということだと思う。

ミサイル攻撃の懸念と原発

 北朝鮮はミサイル発射の頻度を更に増し、核実験の準備も再度行っているという見方が強まっている。これに対して米大統領が武力行使の可能性について言及し、また実際に空母を近海に派遣するなどの威嚇と思える動きをとっている。要するに日に日に東アジアの緊迫感が高まっているということだ。政府は2015年に成立させた集団的自衛権を容認する安全保障法制に基づき、米艦防護を海自に支持したことを4/30に明らかにした。北朝鮮が不適切に核開発・ミサイル開発を強行していることがこの緊張の最大の要因であることは疑いようのない事実だし、今まで平和的な外交手段では良い方向に向かわなかったことも事実だ。だが我が国は憲法で紛争の解決手段として武力の行使だけでなく武力による威嚇も放棄しているのに、主体的に北朝鮮を威嚇しているのは米軍だが、威嚇を補助するような形で日本の艦船が随行することにはやや疑問を感じる。米軍の最高司令官である米大統領が、自分に都合の悪いことは嘘であると言い、また自分に都合の良い話は嘘とも思える程に誇張して表現する人物であることも、北朝鮮の脅威という事情があっても、集団的自衛権を大義名分にして米軍に自衛隊がベッタリになることに、懸念を感じざるを得ない理由の一つだ。