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6月, 2017の投稿を表示しています
 

稲田氏と下村氏の都議選応援

  稲田防衛大臣が6/27に都議選自民党候補の応援演説で、「 防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としても(自民党候補への投票を)お願いしたい 」という発言をして大きな波紋を呼んでいる。自民党として応援することは問題ないが、防衛省や自衛隊が特定の候補を応援しているのであれば自衛隊法に抵触する恐れがあるし、防衛大臣が特定候補を応援することは公職選挙法などに抵触する恐れがある。野党らはこの件を深刻視しており、大臣の資質に明らかに欠けるとし大臣の罷免を政府に要求しているが、政府側は拒否している。個人的にはもし稲田氏に関する問題点がこの発言に関してだけならば、確かに法律に違反する懸念があることは否めないが、自衛隊や権力が特定候補を応援することを明らかに正当化しているとまでは言えないとも思える為、単に口が滑ったと考えることも出来なくもないし、この件に関して彼女が真摯に反省の姿勢を示すということであれば、罷免や辞任するべきというのは言い過ぎのような気もする。しかし、大臣の資質を疑われるような彼女の言動はこれまでに複数の事案があるし、この事態が明るみになった後も、発言を撤回するとはしているものの、真摯に反省しているようには全く見えない。6/30に記者会見でやっと謝罪をしたが、問題になっている発言について「誤解を招きかねない」と表現した。どう考えてもハッキリ「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」と発言しているのに何がどう誤解なのか自らの説明は言葉足らずだったし、それを記者に指摘されて溜息をつく姿もそんな指摘に不快感を示しているようにも見え、「謝罪と言っておけば、そのうち沈静化する」と彼女が思っているように感じられた。

バニラエア車椅子問題の本質

 バニラエアが事前連絡を入れなかった車椅子の男性に対して、「 歩けない人は乗れない 」とし、介助者が車椅子の客を車椅子ごと抱えてタラップを上がることも、男性だけを抱きかかえて上がることも規則で禁止されていることを理由に断り、最終的に車椅子の男性が両手を使ってタラップを這い上がることになった、という事案が大きな波紋を呼んでいる。ネットを見ているとバニラエアの対応には配慮が足りないという主張がある一方で、事前連絡をウェブサイトなどで呼びかけているのだから、それをしなかった男性に落ち度があり、バニラエアの対応に問題はないという意見もある。またその真偽は分からないが、この男性は各社の対応を批判する理由で以前にも同様のトラブルを起こしていることに着目し、単なるクレーマーだと言い切るような人までいる。もしそのような事実があったとしても、問題提起方法が適切だったのかと今回のバニラエアの対応の不誠実さとはまた別の問題だろう。2つの問題を一緒くたにして男性に対して人格攻撃のような批判すらしている人は、相当ストレスが溜まっているのだろう。

権力の信頼性

 トランプ大統領が署名したイスラム系国家からの入国を禁止する大統領令について、これまで下級裁判所が差し止め命令を出していたが、6/26に連邦最高裁が暫定的に条件付で執行を認めるという判断を下した。アメリカだけでなく世界的にも大きな注目を集めるような案件だが、日本では加計問題・憲法改正に関する首相の突拍子もない発言や、都議選への注目度の高さ、その最中に明るみになる一部の自民党関係者の複数の不祥事、特に昨日・6/27には稲田防衛大臣が応援演説で「 自衛隊として(特定の候補者を)応援する 」という旨の発言をしたことが大きな波紋を呼び、その影響で”入国禁止大統領令の暫定的条件付執行を認めた連邦裁判所の判断”から注目が逸れた印象だ。  下級裁判所が国の意向に懸念を示す判断をしていたのに、上級裁判所が国の意向に寄った判断を下すという図式は、例えば、福島の原発事故以降各地で起こされる原発の再稼動を巡る係争に関する判断など、日本でも良くあるものだ。下級裁判所の判断が全て正しく、最高裁判所が常に国家権力の意向に配慮し過ぎた判断をしている訳でもないだろうが、どうも釈然としない思いが募る。

ストーカー規制法の適用に関して

 朝日新聞が6/26に「 HKT48の18歳メンバーへのストーカー容疑で男を逮捕 「家の近くを通れば会えるかも」 」という記事を伝えた。記事によると、HKT48のメンバーの自宅周辺をうろつくなどした男性を、ストーカー規制法違反の疑いで逮捕したという事だ。男性は5/29から6/22ごろにかけて当該メンバーの自宅付近を乗用車で複数回、低速走行するなどのストーカー行為をした疑いがあると報じている。記事では当該メンバーの家族が、容疑者がごみを持ち去るのを目撃したことにも触れており、自宅周辺をうろついたことだけがこの件の逮捕理由ではないことを暗に推測させるものの、この記事の文面に示されている逮捕理由からは、もしかしたら通勤などで毎日通る道沿いの家の誰かが、自分のことを「不審者が毎日うろついていて怖い」などと警察に通報すれば、逮捕される恐れがあるのかもしれないと不安になる。

絶対的な判断の難しさ

 今朝(6/26)のMXテレビ・ モーニングCROSS 内で画面表示にされていた、ある視聴者のツイートが気になった。都議選告事後、初の日曜日の各党の動きを伝えたことに反応したツイートで、「 都議選で加計問題に言及するのはおかしい。都政に関係ないだろ 」という趣旨の、恐らく自民党を擁護するツイートだ。確かに加計問題は直接的には都政と深い関係はない。しかし都議会自民党は国政上の自民党の下部組織でもある。自民党の国会議員が応援に駆けつけたり、首相や官房長官も応援する発言を行っている。加計問題で首相や官房長官らがハッキリと黒だとは言えないが、疑惑の解明に消極的なその姿勢などからグレーだと思っている人も多く居る。それは政権に批判的なメディアだけでなく、政権寄りと言われているメディアも世論調査で支持率が下落した要因として指摘しているので、真っ赤な嘘とは言えないはずだ。都議会自民党の候補や被推薦者達は、自分が所属している・推薦を受けている組織のそのような適切ではない行いを見過ごすような人物である恐れがある。もっと意地悪く言えば気が付いているのに、自分が当選したいが為に見て見ぬふりをしているかもしれないとも思える。そういったことも投票先を決める判断基準の1つになることもあるだろうから、都政に全く無関係とまでは言えない。正確に表現すれば” 直接的な関係は薄いが、広い意味では関係がある ”と言えるだろう。ツイートをした本人が関係がないと思うことは個人の自由だが、それはごく主観的な意見でしかなく、誰が見ても同じように感じられる客観的な事実ではない。

丁寧な説明のなかった一週間

 一週間前の月曜日(6/19)、安倍首相が国会が閉会したことを受け、という体裁で記者会見を開いた。 以前にも書いた ように実際にはその前日に行われたメディア各社の世論調査で政権支持率が二桁レベルで下降したことや、それが都議選に与える悪影響を最小限に抑えることを理由としたタイミングだったのだろう。その中で結果として混乱してしまった国会運営や、加計学園問題について 反省しているという態度を示し、「指摘を真摯に受け止め、丁寧に説明することが政権の責任である」 という趣旨の発言をしたが、野党らが要求する閉会中審査は拒否し続けているし、一定数の議員の要求があれば応じなければならないと憲法で定められている臨時国会召集も、憲法にその開催期限に関する記載がないことを口実に応じる姿勢を見せず、今のところ丁寧に説明しようという姿勢は全く感じられない。与党は都議選が終わるまで、影響を恐れそれらしい対応をしないだろうということは多くの人が予測していた状況だが、何も対応しないことも結局都議選への悪影響であることに変わりないだろう。恐らく彼らは黙って知らぬふりをした方がダメージが少ないと判断したのだろうが、個人的には都民や国民を馬鹿にしているとしか思えない。

本当に暴言議員が沢山いるなら

 自民党・豊田議員による秘書への暴行・暴言を 週刊新潮 が報じ、大きな話題になっている。豊田議員は事態が報じられると直ぐに自民党に離党届を提出し、自身は入院してしまうというなんとも釈然としない対応を見せている。個人的には、離党は豊田議員の意思によるようだが、離党以上の処分をしようとしない自民党の対応にも問題はあると思う。建前では議員は国民が選んだのだから、党が議員という立場を捨てろとまで強制するのは適切ではないという考え方もあるのだろうが、こんなことをする人だと知った上で投票する人など殆ど居ないだろう。自民党が議員辞職を促さないのは、結局離党しようが今後も彼女は自民党的な考え方を変えるわけではないだろうし、今後何らかの採決が行われる際に離党しようが自民党側に投票するだろうから、議員で居てくれた方が都合が良いと考えているのかもと疑ってしまう。

先制攻撃を専守防衛と解釈できるか

 昨夜(6/22)のNHK・ クローズアップ現代+ では「 岐路に立つ防衛政策- ”敵基地攻撃””防衛費”は 」と題して、これからの防衛政策について取り上げていた。番組タイトルでも触れている敵基地攻撃というのは、北朝鮮によるミサイル発射などを背景に、例えば我が国に対するミサイル攻撃が行われることが明白ならば、ミサイルが発射される前に敵基地を攻撃することも専守防衛の範囲と認め、憲法違反にならないという考え方を指している。個人的にはこれについては先制攻撃になる恐れを強く懸念するし、憲法違反にあたる恐れも限りなく強いと感じる。確かに周辺国が確実に日本に武力攻撃をしようとしているのに、攻撃されるまで指をくわえて見ているだけでよいのかということに関しては、それでよいとは思えない。何らかの対策を講じる必要性あるだろうが、それが先制攻撃(合憲だとする考え方ではそう呼ばないかもしれないが敢えてこう表現する)の検討というのは確実に憲法の精神に反すると考える。先制攻撃を検討する以前にそのような懸念が高まらならないような国際関係を築くことに注力するべきだ。太陽と北風の童話を思い出して欲しい。専守防衛を理由に相手より先に手を出すことは抑止でもなんでもない。相手は単なる先制攻撃として確実に非難するだろうし、結局武力紛争を加速させることに繋がるだけとしか思えない。

信じたいことだけを信じる

 先日大手メディア各社が行った世論調査で、軒並み安倍政権の支持率が下がったという結果が出たことを例に、6/22のMXテレビ・ モーニングCROSS で世論調査の数字についてコメンテーターの河合薫氏が、調査方法やその数字の信頼性などについて説明していた。同時に番組では「 メディア各紙の世論調査 どれくらい信用していますか? 」という設問を掲げ、とても信用している・すこし信用している・あまり信用していない・まったく信用していない、の4択で視聴者投票を行っていた。河合氏の説明した調査方法・設問の設定による調査の信頼性の差も興味深い話ではあったが、自分が注目したのは視聴者投票の結果のほうで、あまり信用していないが最も多かったのは予想通りだったのだが、次いで多かったのが まったく信用していない だったことに驚いた。

御朱印帳の転売

 茨城県の神社が、御朱印帳がネットオークションで転売されていることに対して、 ヤフオクで当社の御朱印帳が出品されていました。すでに落札されていまして社頭頒布の約3倍近い値段で落札されていました。神社頒布品をオークションに出品し利益を得る行為は許せません。頒布品は祓いをし神徳を得られるように祈願しております。一般商品とは違うものなんです。もう来ないで下さい。 — 守谷総鎮守八坂神社 (@m_yasakajinja) 2017年6月18日 というツイートを神社の公式アカウントで投稿し、賛否両論が繰り広げられ大きな話題になっている。ハフィントンポストも6/20にこれに関する記事を「 御朱印張がヤフオクで売られる⇒茨城・八坂神社が苦言「もう来ないでください」 」という見出しで掲載した。ツイートの「もう来ないで下さい」という部分が最も多くの反応を集めていることを示す見出しだが、個人的にはハフィントンポストの見出しの切り出し方はやや意地が悪いと感じる。ただ、最近はこういった見出しでビューを集めることが普通になっている部分もあり、ハフィントンポストだけがこのような姿勢であるわけではないのも事実だが、個人的には肯定的には受け止められない。一方でハフィントンポストが切り出した「もう来ないで下さい」という表現は、神社という宗教心や道徳心を説くことが主な目的である団体の姿勢としては相応しくないとも思える。そういった意味ではこの件の最も重要な部分を短い見出しで表現するには、仕方がない意地の悪さだったようにも感じる。

総理記者会見の感想

 昨日・6/19、国会が閉会したタイミングで、というか実質的には週末に行われた報道各社の内閣への支持率調査で支持率が軒並み10%程度下落したことと、来る都議選へのその影響を憂慮したからこのタイミングだったという意味合いの方が強いと思うが、安倍総理が記者会見を行った。会見で総理は今国会で多くの時間が政策とは直接関係のない、森友学園・加計学園の問題に多くの時間が費やされてしまった理由には、自分が強硬な姿勢で臨んでしまった事もその要因だとし、所謂総理のご意向文書の調査が不十分だったことなどにも言及するなど、一部非を認めるような姿勢を示した。ただ、今最も話題になっている加計学園の獣医学部設置については岩盤規制を打破する為に行っているもので、世の中を騒がせている疑惑のような事実はないとその正当性を主張していた。しかし個人的には「反省する」とは言っているが、その反省を基に何をどうするという話は全く無かったように思う。一応「国民の理解が得られるように丁寧に説明する」という趣旨の言葉はあったが、丁寧な説明をいつどこで行うのかや、丁寧な説明とは具体的にどのような事を指すのかは明確にしていない。要するに反省をどう今後に活かすかは全く示されなかったので、反省しているスタンスを見せればそれでいいでしょ?と言っているようにしか見えなかった。本当に反省しているなら、国会の会期を延長してでも各問題を明らかにするとか、閉会後に反省の気持ちが生まれたのなら、会見で閉会中審査に積極的に応じる姿勢を見せるとか、具体的な行動で示すべきではないだろうか。

加計学園問題からも感じる共謀罪への不安

 6/19に発表された報道各社の世論調査で、当然数値にバラつきはあるが、政権支持率は軒並み10%前後下落していた。国会会期終盤の加計学園に関するなりふり構わぬ強硬な姿勢や、どうやっても適切な説明が出来ていないとしか思えないのに強引な方法で成立させた共謀罪などで、不信感を抱く人が増えたと言うことだろう。政権成立以降常に高い支持率を維持している安倍内閣だが、集団的自衛権の容認という憲法解釈の変更を行い、安保関連法制を成立させた頃にも一度支持率が下がり、多くの調査で支持が不支持を下回ったが、その状態は一瞬で終わり、また支持率が回復しそのまま現在に至っている。恐らく今回の支持率下降傾向も一時的なもので、南スーダン日報、森友、加計、共謀罪などのことを国民は直ぐに忘れると思っているんだろう。今回は都議選が間近で、一地方選と言えど国内最大の地方選でもあるし、そこでどんな結果が出るのかには注目が集まる。自分は都民ではなく投票権が無いことをとても歯痒く感じる状況でもある。

上皇誘致競争

  京都府や京都市、奈良県などが、退位後の現天皇陛下にそれぞれの地域に住んでもらいたいと表明しているらしい 。適切な表現かどうかは分からないが、率直に言って上皇誘致競争をしているように見える。昨年夏、天皇陛下が高齢などを理由に公務を万全な状態で続ける為の体力が無くなりつつあるなどの懸念を表明してから、明確な規定が無かった生前の退位について、馬鹿馬鹿しいとも思える程の、そこまで厳密な必要が果たしてあるのかとさえ思えるような議論が行われてきた。賛否両論はあるがやっと特例法という形式で退位を実現することが可能になったというのが現状況だ。天皇陛下のこれまでの公務に対する真摯な姿勢や、その公務に全身全霊を注ぐことが出来なくなった、若しくは今後出来なくなりそうだと陛下自身が感じられた状況を考えれば、一刻も早く退位をさせてあげたいと多くの国民が考える中で、何故約1年もの時間をかけて退位を特例法で実現するのか、皇室典範自体を改正するのかや、退位後の称号をどうするのかなどの検討をしていたのかと言えば、例えば強制的な退位をさせるなどの、将来起こるかもしれない 天皇の地位の政治利用への懸念を出来る限り排除する為 だと言える。

韓国とベトナム戦争の関係から思う事

 6/16、ハフィントンポストが” ベトナム戦争に従軍した韓国兵への弔辞に抗議。ベトナム政府「国民感情を傷つけかねない」 ”と言う記事を掲載した。どんな記事なのかというと、韓国の戦没者を追悼する記念日・顕忠日に行われた式典で、文在寅大統領が追悼メッセージの中で「 ベトナム参戦勇士の献身と犠牲を土台に祖国の経済が復活した 」と発言したことを受けて、ベトナム外務省が「 韓国政府がベトナム国民の感情を傷つけ、両国の友好と協力関係に否定的な影響を与えかねない言動をしないよう要請する 」という声明を発表したという内容だ。朝鮮日報によれば、この背景にはベトナム戦争当時、韓国軍が9000人余りのベトナム民間人を虐殺したにも関わらず、韓国政府はこれを認めていないとベトナムの一部のマスコミが指摘していることがあるらしい。  要するにベトナム側にしてみれば、 民間人への非人道的な行為も行ったのにそれを無視して、別の面だけを見てベトナム戦争への介入を美化するな ということだろう。恐らく文大統領にはベトナム戦争を美化するつもりは毛頭無かっただろうが、被害者側からすればそう見えたという話なのだろう。韓国や中国が日本の戦没者を祭る靖国神社に対して神経質になることにとてもよく似たケースだと思う。しかも韓国は靖国神社のケースとは全く逆の立場になってしまっているのが興味深い。

強引な政権運営

 国会会期末を直前に夜通し続けられた6/14-15の参議院本会議で所謂共謀罪法案が可決され成立した。今週に入ってからは、法務委員会での採決を何とか回避しようと野党による数々の問責決議案などで議論は進んでいなかったが、切羽詰っていた与党も議論を重視せず、法務委員会の採決を省略するという異例のかなり強引な方法で法案の採決を行った。  個人的には確実にこの法案には反対なのだが、現在の与野党の勢力の差を考えれば法案が成立してしまうこともある意味仕方がないとも思える。廃案にして一から組織犯罪対策を考え直すのが最も好ましいとは思うが、成立するにしたって少しでも懸念を減らすように議論を出来る限りするべきだったとも思う。勿論法務大臣を筆頭に首相、官僚の答弁が二転三転したり、根拠を示せない説明を堂々としたり話にならないような議論が続いていたことも重々承知している。だが会期末である今週の議論を放棄してでも廃案に持ち込みたいという野党の目論見は結果としては失敗したわけで、この結果については仕方がなかっただけで片付けるべき話ではないとも思う。与党の傲慢とすら思える強硬な採決の手法が間違っても適切とは言えないのは当然だが、野党も議論を結果的に放棄したように感じる。与野党共にどんな結果に至ったとしても、必ずどこからか何かしらの批判は受けるだろう。しかし今国会や共謀罪についての顛末は与野党共に信頼感を落としただけではないのだろうか。即ち政治家や政治そのもの全体に対する不信が以前にも増して大きくなったように感じる。普通はこれだけすったもんだすれば少なくともこの政権中は大胆な行動には出ないと予想するのが普通かもしれないが、後述するように傲慢で信頼性の低い現政権は強引に何かをするかもしれない、若しくは何をするか分からないから不安であるというのが自分の思いだ。

創作物の模倣

 強制わいせつの疑いで逮捕された男が「マンガを真似た」と供述したことを受けて、 埼玉県警がマンガを描いた漫画家に、作品内容が模倣されないような配慮と、作中の行為が犯罪に当たると注意喚起を促すことなどを要請した ということを複数のメディアが報じている。個人的には、世間から「何も防犯上の対処をしていない」という批判を受けることを恐れた埼玉県警がとった苦肉の策、とも思えなくもないが、果たして 警察という権力が、たとえ対象が所謂エロマンガだったとしても表現活動を萎縮させる恐れのあるようなことをするべきだったのか には疑問を感じる。例えばこの被疑者が犯行の参考にしたものが過去の高名な作家の推理小説のトリックだったら、警察は出版社に対して同じような申し入れをするのだろうか。

エビデンス

 「 エビデンス 」最近ニュース番組や記事などでちょくちょく目や耳にする言葉で、証拠とか根拠を意味する英語だ。自分はしばしば日本語で一般的に使われている表現を、わざわざカタカナ英語で表現することに疑問を感じるがこれもその類の話だ。 記事によってはエビデンスと書いた後にわざわざ括弧をつけて(証拠)などとする 。ならばエビデンスなんて言葉は不要で、証拠とだけ書けば良いのではないか。そのような記事を読んでいてもエビデンスという言葉を織り交ぜなければ説明できないことがあるとは全く感じられないし、個人的には格好つけているだけとしか思えない。例えば文学作品などで、何かしらの演出効果を狙って対応する日本語表現のあるカタカナ表現でも敢えて使うだとか、報道性の強い文章でも日本語表現で対応する言葉がなかったり、その日本語表現が一般的なものでなかったりする場合には、カタカナ表現を用いることに何ら異論はない。しかし小池都知事のように必要以上にカタカナ表現を使う話し方・表現方法からは、前述したように格好をつけているだとか、直感的に理解し難い言葉を使ってそれらしく表現し煙に巻こうとしているだとか、覚えたての言葉をどうにか使ってみたいだけだとか、ネガティブな印象を感じる。

個人レビュアーの立場

 飲食店の評価サイト・ 食べログで活動していた有名なレビュアーが、彼が高評価した飲食店から過剰な接待を受けていた という趣旨の記事を週刊文春が掲載したことを受けて、彼はこれまでに食べログに投稿していたレビューを全て削除したということが話題になっている。一部ではこのレビュアーに対して批判的な姿勢を示す人も少なくないように感じる。自分は直接文春の記事を読んだわけでもないし、このレビュアーの記事をよく読んでいた訳でもないので、どこかしらに認識の誤りがあるかもしれないが、このレビュアーを断じる様な記事を掲載する文春や、同調して批判する人々が何を根拠に嫌悪する感情を抱くのかが良く分からない。個人的には、ただ単に出る杭を打つことによって歪んだ正義感を示めすという自慰行為をしているだけのように思える。

労働力不足なのに人件費削減

 「 一律65歳定年 導入を検討 」6/12、MXテレビ・ モーニングCROSS で扱われた話題の一つだ。番組によると安倍政権が2015年9月に打ち出した一億層活躍社会の実現の為に当時検討した施策の1つらしい。高年齢層の生産性向上を狙った施策だったが経済界の反対で断念したそうだ。しかし労働力不足の深刻さが更に増す中で、政府は現在再検討に向けた準備をしているとのことだ。個人的には一律というのにやや違和感を感じるものの、高齢化の進行を考えれば全くおかしな方策とも言えない。一律65歳定年導入が最も好ましいかどうかは分からないが、何かしらの方法で労働人口・生産性を維持する必要は確実にある。その為にこの類の検討をする必要はあると思う。

退位特例法と共謀罪で異なる検討の姿勢

 天皇陛下の退位に必要な特例法は6/9に可決成立した。特例法は将来的に強制的な譲位が起こらないように退位が必要な事情、高齢になった天皇陛下が今後も公務を続けるのが難しくなっており、国民もその気持ちを理解・共感していることに言及している。個人的には退位した天皇らの敬称などだけでなく、高齢になった天皇の退位が出来るのか否かの議論もナンセンス(出来て当然)だと感じていたが、政治的な理由で天皇の地位が利用された過去や、立憲君主制という制度の下ではこのような厳密な議論も必要だということも理解できる。特例法という方法が適切だったのか、皇室典範自体の変更が必要だったのかと問われれば、自分は後者の方が適切だったように思っているが、それはそれとして” 将来的に強制的な譲位が起こらないように ”ということを考慮した結果、特例法という手段で退位を実現したことは評価できると感じる。

「英語を覚えろ」は差別か

 ハフィントンポストが6/8に” 田中将大に「英語を覚えろ」と解説者が差別発言⇒ファンが非難「MLBは世界最高の選手達たちのホーム」 ”という記事を掲載した。田中投手の登板中、タイムをかけコーチと通訳がマウンドへ向かった際に、解説者が「 田中が通訳をつけていることを忘れていた。私はこれ(通訳のマウンド帯同)を、禁止すべきだと思う 」と発言したらしい。この発言の理由を問われて更に、「 (英語の)野球用語を覚えろ。すごく簡単な話だ。長時間が経っているのだから、投手コーチと投手の会話は簡単に理解できるだろう 」と述べ、一部でこれらの発言は差別発言だという批判があるようだ。日本のプロ野球でも外国人選手への対応を通訳が仲介するように、メジャーリーグでも通訳の帯同は認めれられている。一連の発言について既に発言した解説者も謝罪を示している。

ご意向文書の再調査

 加計学園問題に関する、所謂”総理のご意向”または”官邸の最高レベルが言っている”文書について、文科省内の再調査をすることが発表された。再調査とは言っているが、以前から異論を唱えていた前川前事務次官だけでなく、現役の文科省職員が文書は存在していたのに「確認できない」とする政府の見解は適切ではないという見解を示したと複数のメディアが報じていることを勘案すれば、実質的に文書は存在したと暗に認めたと同じことだと感じる。再調査の結果、再び文書は存在しないというニュアンスで政府が見解を示すことはしないだろうし、もしするならば現政府への不信感はかなり高まることになりそうだ。文書が存在したことが真実だったとしても、そこに書かれていることが現実を反映したものか、要は本当に総理のご意向という圧力があったのかとは別の問題なのだが、政府が文書を隠そうとしたことはほぼ事実で、もし隠そうとしていないのだとしたら、南スーダンの日報の件もあり初めてのケースではないので、彼らには調査能力がないということになる。それはそれで由々しき事態がだが、隠そうとしていたと考えるほうが自然だ。何故隠そうとしたのかを考えれば、それが明るみになることは都合が悪いと、首相自身、若しくは政府内の誰かが考えたからだと思うのがごく普通の受け止め方だと思う。

英語の発音が良すぎる生徒

 6/7のテレビ朝日・ マツコ&有吉 かりそめ天国 の中で、「 英語の発音が良すぎる生徒が増えている 」という視聴者からの投稿を紹介していた。最近は小学生の頃からネイティブスピーカーが居る英会話教室に通ったり、長期休暇を海外で過ごす子供も増えており、それに伴い所謂普通の英語の先生は授業を行うことに大きなプレッシャーを感じる場面が増えている、という内容の話だ。番組内では同時自動翻訳技術がこれからどんどん進化していくのに、果たして英語を習得することがこれからも重要であることに変化はないのかや、学校外、塾などで先取りして勉強した生徒の中には、先生を馬鹿にするような者もいるが、そういった風潮にどのような対処をすればよいか、などについて話をしていた。

差別を無くすには

 ハフィントンポストによると、「 ハーバード大学が、Facebookで不適切なやりとりがあったとして、今秋入学予定だった少なくとも10人の入学許可を取り消した 」らしい。入学予定者ら100人が参加していたFacebook上の有志のメンバー限定グループ内で人種、児童、性などについての差別的発言を行っていた者の入学許可を取り消したようだ。この入学取り消しについて、差別を行おうとする者に断固とした態度で対応し、相応の制裁を加え差別を抑制したいという思いもあるのだろう。ただ、誰でも閲覧可能な状態ではないFacebook上の有志参加グループ内での発言は、例えば喫茶店などでの学生同士の議論とどう違うのかという見解もあり、究極的には冗談すら言えないような状況を生みかねないという主張もある。確かに差別を肯定・容認・促進するような発言自体は褒められたものではないが過度に厳密さを求めすぎると、それはそれで議論すら否定することにもなりかねない。要するに誰かが「差別だ」と主張したことについて検証することすら出来なくなってしまう恐れがあるという考え方だ。記事だけでは今回の判断の元になった発言の程度も良く分からないので、この入学取り消しが妥当なのか否かは判断しかねるが、程度が分からないからこそ様々な可能性・懸念を示す人がいるのだろう。

総理大臣の姿勢

 6/5に国会の決算行政監視委員会で行われた 加計学園に関する民進党・宮崎議員と安倍総理のやりとり を見た感想として、様々な感じ方があるとは思うが、自分には総理は殆ど質問には答えず、と言うか質問を無視しているとすら思えるような状態で自分の言いたいことだけを言い、「印象操作」という言葉を連呼した彼こそ印象操作を行っていたように見えた。安倍総理はこれまでも国会での答弁でほとんど質問に答えず、質問と関係が薄いことをダラダラと引き延ばして喋る場面が多くあったように感じていたので、またこの手かという印象だ。  加計学園問題については、野党が言うように実際に総理自身が加計学園に便宜を図り、決定が確実に行われるように関係各所に圧力を働かせたのかという点についてはイマイチ決定打がない。しかし所謂総理のご意向文書などについては存在が確認できなかったとしているが、様々なところからその存在を認める発言が出始めているのにも関らず再調査に消極的だったり、政府の主張と真っ向から反目する発言をしている前川前文科省事務次官の国会への招致に消極的だったりする態度は、総理自身が直接的に関与したかとは別にしても、一部の閣僚や官僚ら関係者が不適切な方法で話を進めようとしたのではないかという疑いを余計に深めている。閣僚や官僚の頂点に立つのは紛れもなく総理であり、加計学園と総理の関係性からも閣僚や官僚が勝手にやったことでは済まない事態であるから、全てに蓋をしてやり過ごそうとしているように自分には思える。

バランスの重要性

 最近ハフィントンポストが、 #だから一人が好き というタグを掲げて、キャンペーンを行っている。学校で”みんなと仲良く”を強制されたと感じた人や、体育の授業は上手くできないと馬鹿にされていると感じていた人、結婚しないことを非難されていると感じた人などが、それぞれの思いで記事を書いている。自分はこれらの記事を読んでいて、確かに社会に均質化を求める傾向があり、みんなと同じことを良しとし人と違うことを見下すような風潮があることも事実だが、別の視点で考えれば、それに対する批判の仕方によってはそんな風潮と五十歩百歩のレベルで別方向に偏るだけにも思える。個人の価値観、多様性を尊重することも当然必要だが、一方で社会生活を営む上ではある程度の協調性が必要なことも事実だ。やはりどんなことにもバランス感覚が大事だということだけは間違いない。

日本から出て行けー?

 今日も家のそばを右翼の街宣車が軍歌を大音量で流しながら走っていた。家の周りでは止まらず走っていくだけですぐ通り過ぎるので、うるさいにはうるさいと思うが、毎日でもないし竿竹売りや焼き芋屋のそれと大した差もないのでそこまで気にはならない。しかし以前働いていた会社が民主党の事務所のすぐそばだった時はかなり不快だった。ほぼ毎日のように昼過ぎにやってきて30分程度軍歌を流しながら演説を行っていた。丁度民主党政権だった時期と重なる。毎日聞いていて、彼らの目的は民主党事務所の近隣住民らに「民主党事務所があるから街宣車が来るんだ、民主党は迷惑だ」と思わせたいんだろうなと感じた。それは主義主張の表明でもなんでもなく単なる嫌がらせ行為だ。

間違えない人は存在しない

 警察官の不祥事は一向になくならない。流石に毎日と言ったら言い過ぎかもしれないが、痴漢や盗撮のようなものを含めたらかなりの頻度で報道されている。痴漢や盗撮を取るに足らないこととするわけではないが、もっと重大な事案や疑惑も結構ある。 令状が発行されていないのに令状があるかのように振舞った件 や、 証拠にする指紋を署内で採取したのに現場で採取したかのように偽装していた件 、 暴行を働いた疑いのある泥酔者を逮捕する際、既に制圧済みにも関わらず膝蹴りをしていた件 などはどれもここ半年の間に明るみになったことだ。まだまだ疑惑の段階だが、 証拠として押収した現金数千万円が署内から盗まれ内部犯行が濃厚な件 や、 福岡の金塊強盗事件の容疑者に警察から情報が流されていた疑い や、 ジャーナリスト男性によるレイプ疑惑で警視庁の刑事部長が不当な圧力を働かせた疑い なども取り沙汰されている。犯罪者を取り締まる側の警察・警察官が犯罪に手を染めるなんてけしからんという気持ちを市民が抱くことはとても当然なことだとも思う。しかし個人的には警察官だって人間なのだから、数十万人もいればいい人も悪い人もいるのも、他の市民と同じ事でごく当然だとも思う。他の言い方をすればどんな組織も適切にあるべきことは理想だが” 警察という組織、警察官と言えども完璧なものではない。間違いを犯すことは当然ある。神聖視することは間違いだし危険だ ”ということではないだろうか。

チケトレの意見広告について

 音楽などのイベントチケットの転売による弊害が社会問題化して久しい。個人的には、根本的にはチケット転売自体を否定することも出来ないが、あまりに第三者が利益目的で取引を行い過ぎることは、音楽という文化にとって悪い影響を与える恐れが強いとも思う。チケット転売に対するイメージ、賛否には多くの見解があるだろう。ここではそれについてではなく、音楽業界4団体が、利益目的ではなく不意の理由によってイベントに参加できなくなったチケット購入者などと、正規にチケットを購入できなかった参加希望者を繋ぐことを目的に開設した個人間チケット取引サイト・チケトレの広告に使われたコピー(リンク先はこれについて取り上げた BuzzFeed Newsの記事 )について考えてみたい。

不思議な啓蒙

 「 体育館、水拭きはしないで はがれた床材が刺さる事故も 」 朝日新聞が5/29に掲載した記事の見出しだ。記事によると、床が水分の吸収と乾燥を繰り返しすことで床材がはがれる恐れがあり、そのはがれてささくれのように尖った部分が刺さる事故が起きているので、床の水拭きをしないようにと、調査を行った消費者庁の消費者安全調査委員会が注意喚起を行っているということだ。懸念を示すことは理解できるが、ではどうやって体育館を掃除すれば良いのか、という疑問も沸いてくる。  自分は小中高とバスケットボール部に所属していた。自分が中高生だった80年代には、まだまだおかしな年功序列感覚が部活動を支配しており、中学校では上級生から「新入部員はバスケットボール用のシューズを履くな、学校指定の体育館履きを使え」というようなことを暗に示唆する雰囲気があった。しかし高校では怪我をしないようにバスケットボール用のシューズを持っている者は必ず履け、持っていない者も出来るだけ早く用意するようにという方針を顧問が示していた。バスケットボールシューズは当然専用に作られている。踵が高くなっているのはジャンプ後の着地や、不意に人の足の上に載ってしまった際に足首の捻挫を減らす工夫だし、急な動きに対応できるように靴底のグリップ力が学校指定の体育館履きと比べて、格段に良くなるような素材や形状が採用されている。要するにバスケットボールシューズの着用をする理由の一つには、体育館で滑って怪我をしないようにということもある。しかしそんな専用のシューズを履いても体育館の床が埃だらけでは性能を活かすことが出来なくなる。その為部活の前後にモップや雑巾がけを行うことは、良いプレーの為だけでなくスリップによる怪我を防ぐと言う意味でもとても重要なことだった。