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4月, 2019の投稿を表示しています
 

都合が悪いと忙しくなり、都合がいい事は忙しくても時間を割くタイプ

 日本の総理大臣は、大統領とゴルフをした、とまたツイートしている。 昨日の首脳会談、4人だけの夕食会、そして本日のゴルフと、トランプ大統領と10時間以上を共に過ごすなかで、北朝鮮問題への対応、経済、G20大阪サミット、更には世界情勢に至るまで、様々な課題についてじっくりと話をすることができました。 pic.twitter.com/WYlTsLBD19 — 安倍晋三 (@AbeShinzo) April 27, 2019 彼はトランプ氏と会談する度に、2人はゴルフをする中だとアピールするが、自分は自分の住んでいる国の首相がトランプ氏と親密だとアピールしていることを良く思えない。良く思えないどころか恥であるようにすら感じられる。それはトランプ氏が傍若無人で、白人至上主義を明確に非難しないような人物であり、更に国連決議に反してエルサレムをイスラエルの首都と認めたり、ゴラン高原の主権はイスラエルにあると認めるなど、中東に対立の火種を蒔く人物に他ならないからだ。

「米、WTO抗議の日本を全面支持」の信憑性

 4/24の投稿「 朝日「WTO判決「日本産食品は安全」の記載なし 政府と乖離」は本当? 」でも書いた、韓国が福島第1原発事故を理由に福島など8県産の水産物輸入を禁止していることについて、日本がその不当性をWTOへ訴えていたが「韓国の禁輸措置は不当とは言えない」という判断が示された件に関する記事を、メディア各社が今朝(4/29の午前)に一斉に報じている(産経の記事のみ約1日前の4/28午前の記事)。 米、WTO抗議の日本を全面支持 首脳会談で首相が謝意 改革連携で一致 (産経新聞) 米国、日本のWTO抗議を支持 日米首脳会談で安倍首相に (日経新聞) 安倍首相、WTO敗訴で「加盟国に妥当性問題視の声」 韓国の水産物輸入規制で (毎日新聞) WTO判断、米国が日本支持=安倍首相「加盟国も問題視」 (時事通信) 等がそれだ。他にも報じているメディアはあるのかもしれないが、ここではこれらの記事について書くことにする。

2019年のゴールデンウィーク・10連休について

 NHKの番組・ 日本人のおなまえっ! (4/25放送の回)によれば、4月末から5月初旬にかけての連休をゴールデンウイークと名付けたのは映画会社・松竹の専務で、1951年のことなのだそうだ。  当時は4/29 天皇誕生日(現・昭和の日)、5/3 憲法記念日、5/5 こどもの日が祝日で、それに日曜が絡む事で+1ないし+2の休みが点在する状況であり、飛石連休などと呼ばれていたそう。勿論当時は土曜日=休みなんて概念はまだなかった。因みに1951年のカレンダーは、 4月 5月   日 月 火 水 木 金 土 日   29 30 1 2 3 4 5 6 だった。現在だと、4/29に日曜と天皇誕生日が重なったことによる振替えで翌4/30も休日になるが、祝日と日曜が重なった場合に振替えが行われるようになったのは1973年の法改正からだそうだ。5/4が休日になったのは、1985年に2つの祝日に挟まれた平日を国民の休日とする法改正からなので、1986年以降(「国民の休日」となる適用条件により実質的には1988年から)だ。

考えているようで考えておらず、都合が悪いと無視する風潮の元凶は?

 ハフポストは4/25に「 東京新聞・望月衣塑子記者を支援する署名集めた中学生の記事、「炎上」に加わった1人に筆者が会ってみた 」という見出しの記事を掲載した。この記事は3/7の投稿「 「いじめはだめだ」を否定する大人達 」で取り上げたハフポストの記事 東京新聞の望月衣塑子記者を助けたい。中2の女子生徒がたった1人で署名活動に取り組んだ理由とは 東京新聞の望月衣塑子記者を支援する署名をネットで集めた中2、誹謗中傷に「子どもが何か意見しちゃいけないんだと感じた」 の続報である。詳しい顛末はリンク先で確認して貰うとして、さわりだけ説明すると、 2/27の投稿 で触れた、菅官房長官や彼の会見の進行役を務める内閣広報室長などが、東京新聞の望月記者に対して嫌がらせのような行為を露骨に行ったことに対して、ある中学生が望月記者を支援しようとWeb上で署名活動を始めたところ、SNSで誹謗中傷の標的にされた、という話だ。

失言ではなく本音、自分と「関係のない人」など1人もいない

 「平成最後」「令和最初」、更に言えば「平成まとめ」「令和記念」など、改元・新元号にまつわる商売や企画に、天皇の譲位・改元・新元号を一部の政治からが政治ショー化してしまっているようにしか思えない為に好感が持てない、という話を 昨日の投稿 で書いた。  好意的に受け止められないとしつつ、昨日の投稿でも「平成まとめ」記事の一つを取り上げた。好意的に受け止められなかろうがテレビや新聞、そしてWeb上にも「平成最後」「平成まとめ」が溢れており、どうやっても目に入ってくる。 今年のゴールデンウイーク前はまるで、今年を振り返る企画が溢れる大晦日 のようだ。カレンダー通りに休めない自分にとって、10連休云々などという話も好意的に受け止められる話でもなく、というか、カレンダー通りに休めない人にとっては、例年平日の部分が平日扱いではなくなるので、寧ろ不便で迷惑とも言えそうだ。  因みに、平成への改元は昭和天皇の崩御に伴う改元だったので、あれもこれも自粛で今年とはベクトルが異なるが不便だった。昭和天皇が亡くなったのは1/7で、当時小学生だった自分にとって1/7は例年であれば冬休みの最終日なのだが、1989年の1/8は日曜日だったので1/9が三学期の始まりだった。天皇が亡くなったのは1/7の朝6時過ぎだったので、その1/7-8の週末・冬休みの最後は盛大な自粛ムードでテレビも追悼関連の番組ばかりだった。せっかくの冬休みを2日間無駄にしたような気分だった。

警察最大の不祥事とピエール瀧の不祥事、そして現政権の不祥事

 2018年の大晦日に 「 平成最後の、という枕詞が飛び交っている 」という話で始まる投稿 を書いた。その時から、これから後4か月「平成最後」が飛び交うんだろう、と思っていたし案の定それが続いている。更に言えば今後3-4か月は、今度は「令和最初」が飛び交うのだろう、とも思っている。  いくつかの不都合な報道の量を減らしたい人達にとって、改元はかなり好都合で役立ったことだろう。例えば、特定の記者に対して露骨に嫌がらせとしか思えないような態度を示し、記者の背景には少なからず同じ疑問を抱く国民がいるにも関わらず、その記者の質問に対して「 あなたに答える必要はありません 」などと述べた官房長官が( 2/27の投稿 )、 新元号の書かれた額縁を掲げて発表しただけで「令和おじさん、かわいい」 なんて言われるようになり、それを皮肉の一つも込めずに報じるメディアも決して少なくないのだから、利用価値はさぞ大きかったのだろう。  そんな様子を見ていると、自分は「平成最後」も「令和最初」も、それに乗じたような商売も報道も、あんまりいい気分で受け止められない。勿論、 4/4の投稿 でも書いたように、好意的に受け止め改元をある種楽しんでいる人達まで否定したいとは思わないが、「政治と天皇制の距離をわきまえよ」という、近代日本が犯した過ちから得た教訓を無視し、象徴天皇制の元で政治家が天皇の譲位や改元を政治ショー的に利用することには全く共感できないし、それを助長するような風潮は強く批判したい。

朝日「WTO判決「日本産食品は安全」の記載なし 政府と乖離」は本当?

 「 WTO判決「日本産食品は安全」の記載なし 政府と乖離 」という記事を、昨日・4/23に朝日新聞が掲載して話題になっている。  話の前提に、韓国が福島第1原発事故を理由に福島など8県産の水産物輸入を禁止していることについて、日本がその不当性をWTOへ訴えた、ということがある。WTOの紛争処理小委員会(下級審に相当、以下小委員会とする)は、2018年2月に「禁輸は不当な差別」と認めて是正を勧告したが、韓国はそれを不服として上級委員会(上級審に相当)に上訴していた。その上級委員会の判断が2019年4/11に示されたのだが、韓国の禁輸措置を不当とした小委員会の評価過程に問題があったとして、その判断を取り消した。  ただ、時事通信の記事「 一審の考察不足、問題視=水産物、安全認定は変えず-WTO最終審 」には、  一方、水産物が科学的に安全であるという事実認定は維持した。将来の禁輸解除に向け、よりどころとなる安全性の評価が保たれたのは救いだが、道のりは険しそうだ。 ともある。しかし、  上級委は東京電力福島第1原発事故があった日本周辺の海洋環境や、韓国が許容できる放射性物質の量などを、パネル(下級審に相当する小委員会)が十分考慮しなかったと批判。自然界に存在する放射性物質の検証も欠けていたと指摘した ともある。個人的には、両社の立場を配慮した判断が下されているように思える。しかし逆に言えば玉虫色の判断とも言えるだろうし、決して上手くない裁定のようにも思える。因みに、上級委の審理は差し戻す事が出来ない、という仕組みなのだそうだ。

思考停止に陥る首相と政府

 ハフポスト/朝日新聞の記事「 天皇退位、「その次」はどうなるか タブーの辞退論 」が目に止まった。今上天皇(明仁)が2016年8月に退位の意向を表明し、一代限り退位を認める特例法を定めたことによって、2019年4/30の今上天皇の退位と翌5/1の新天皇(現皇太子)の即位が実現したが、新天皇(現皇太子)が即位すると、皇室典範の第1条「 皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する 」とあるが、新天皇には息子がおらず、第2条の規定( Wikipedia )によって新天皇(現皇太子)の弟にあたる秋篠宮文仁親王が皇位継承順位の1位となる。 しかし、新天皇とその弟である秋篠宮文仁親王の年齢はたった6歳しか違わない。それを前提にして秋篠宮文仁親王は2018年6月に、  兄が80歳のとき、私は70代半ば。それからはできないです と語ったそうだ。つまり、今上天皇(明仁)と同じ様に、自分の兄である新天皇が80代で退位の意向を示したとして、その時は自分も70代後半だろうから、皇位継承順位が1位であっても皇位を継承する、つまり次の天皇になること、年齢から考えて現実的ではない、という見解を示したということだ。  今回の譲位は特例法によって実現させたが、寿命の長期化等を勘案すれば新天皇も後々年齢的・健康上の問題などで退位の意向を示すことになるだろうし、秋篠宮文仁親王も即位辞退の意向を示すだろうから、今回の特例法という対応は付け焼き刃でしかなく、皇室典範の抜本的な改定が必要になる、という内容の記事だ。

統一地方選・衆院補選、低投票率に思う

  昨日・4/21は統一地方選の後半戦と衆院補選の投票日だった。MXテレビ・ モーニングクロス によると、読売・朝日・毎日・産経・東京の5紙の1面全てに「 衆院補選、自民2敗 」という旨の見出しが掲載されたそうだ。  しかし、沖縄ではオール沖縄が推す候補、大阪では統一地方選の前半選で、吉村元大阪市長と松井元大阪府知事がそれぞれの立場を入れ替えて立候補し共に当選し、勢いを見せている維新の候補が当選している。大阪では、共産党に所属していた宮本氏が衆院議員の立場を捨てて無所属として立候補し、野党の結束をアピールして支持を訴えたが、得票は最下位で当選した維新・藤田氏の3万5183票に対して8201票とおよそ1/4で4人中最下位、得票数3位・たるとこ氏の2万3460票にもダブルスコア以上の差をつけられている( 衆議院大阪府第12区選出議員補欠選挙・寝屋川市議会議員選挙・寝屋川市長選挙の投票・開票状況(平成31年4月21日執行)/寝屋川市ホームページ ) 。  自民2敗=国政野党の存在感拡大とは全くなっていない のは明らかなのに、自民2敗ばかりを強調した見出しの記事が多く見られるのには違和感を覚える。

「真摯な受け止め」の陳腐化・言い逃れの為の常套句化

  同じ言葉・表現であっても時と場合によってそのニュアンスは変化する 。今では一般的になったと言っても過言ではない表現「意識高い系」などはその典型的な例だ。これに関しては Wikipedia での解説がとても詳しい。「意識高い系」の下敷き・前提となる「意識の高い若者」などの表現は、「能力が高く、知識も豊富な優秀な若者」のようなニュアンスの肯定的な表現として用いられていた。しかし、そのタイプの者の中には自己顕示欲が高く、実際よりも自分を大きく見せようとする者、つまり去勢を貼りがちな者も紛れており、というか決して少なくなく、中には自分の知識や能力ではなく肩書や人脈でそれを演出しようとする者もおり、そのような人を揶揄する否定的な意味で用いられ始めたのが、「 意識高い系」というネットスラング発祥の表現 である。  しかし昨今は、元々の「意識の高い若者(若者に限定しない場合も)」という肯定的なニュアンスで「意識高い系」が用いられている場面にしばしば遭遇する。「意識高い系」という表現はネットスラング発祥の新語なので、どちらの意味で用いるのが絶対的に正しいということはないし、どんな経緯で肯定的な意味で用いられ始めたのか、実のところは定かでないが、恐らくそれこそ「意識高い系」の人が、本来は否定的なニュアンスであるのに知ったかぶりをして、字面通りの意味で誤用?し始めたのがその始まりのように思う。「意識高い系」を肯定的なニュアンスで用いているのは、ネットスラングに明るくなさそうな年配者か、若しくは「意識高い系」という表現が使われ始めた2010年前後にはまだ幼かった現在10代未満の若年層に多く見られる。

ノートルダム聖堂の火災、沖縄の「女は政治は無理 女は台所に帰れ」

 2019年4/15に パリのノートルダム聖堂で火災が起きた 。石造りのファサード(建物の正面部)は残ったが、木造だった屋根や19世紀に加えられた尖塔は焼け落ちた(パリ・ノートルダム聖堂本体は1163年に着工し、1225年に完成したそう)。因みに、 Wikipedia によると「ノートルダム」はフランス語で聖母マリアを指す表現で、ノートルダムと名のつく教会はフランス語圏に複数存在しているらしい。日本でも弁天様・弁財天を祭る有名な寺に上野・寛永寺や奈良・興福寺などがあるが、それ以外にも弁天様を祭る寺は複数存在し、更に、本来弁財天は仏教の女神なのだが、弁天様を祭る弁天神社というのも各地に存在するのと似たようなことなのかもしれない。  フランス人にとってのパリ・ノートルダム聖堂がどのような存在だったか、フランス人でもなくキリスト教徒でもない自分が上手く想像できているのかよく分からないが、宗教的なシンボルで歴史もあり、観光名所にもなるような建造物という風に捉えれば、東京で言えば浅草寺、関西で言えば清水寺などが相当するような建物なのだろうと想像する。それらで火災が発生し大部分が焼けたとしたら、多くの日本人が悲しみ、そしてパリ・ノートルダム聖堂同様に再建を望むだろう。

eスポーツと既存スポーツのいくつかの共通点

 昔は、目が悪くなる、運動不足になる、過激な内容のものは教育上よくない等のネガティブな評価、若しくは「大人がやるもんじゃない、単なる子どもの遊び」のような冷めた評価が支配的だったテレビゲーム。世界的にはテレビゲームではなくビデオゲームと呼ぶ方が一般的なのだそうだが、今ではGAMEという表現自体がそれを指す場合も多い程定着し、ビデオゲーム黎明期に子ども時代を過ごした世代が40歳前後、つまり親世代になったこともあり、前述のような必要以上の過小評価がされる機会も殆どなくなった。勿論未だにゲームやアニメをやり玉に挙げたい大人、しかも政治家なんてのも存在してはいるが(J-Castニュース「 「座間事件」の容疑者はアニメ、ゲームの影響を受けた? 発言の山本議員に「現実と妄想の区別がないのはオマエ!」の声 」)。  この数年、 ビデオゲームの競技化・大会がeスポーツと呼ばれ盛り上がりを見せている 。ほんの十数年前までは考えられなかったプロも決して珍しくはない存在になった。00年代前半までは、日本の企業がビデオゲーム業界を席巻していたと言っても過言ではないが、壊滅状態ではないものの、明らかに当時に比べて現在は勢いを失っている。相変わらず任天堂とソニーのゲーム機はゲーム専用機としては高い人気を誇っているが、これまでマニア向けだったPCゲームの市場が拡大し、更にスマートフォンという新たなプラットフォームが登場したことで、まだまだ一定の存在感は示してはいるものの、ゲーム専用機=ビデオゲームのメインストリームではなくなってきている。また、eスポーツというムーブメントも、且つてのゲーム大国だった日本発でなかったことも興味深い。

オリンピックの政治利用、イメージ重視の政治観に感じる懸念

  2020年東京オリンピックの競技日程の詳細を、4/16に組織委員会が発表した ( ハフポストの記事 )。以前から話題になっていたマラソン競技の開始時間は朝6:00、競歩では5:30開始なんて日もある。早朝に競技を開始する理由ついて酷暑対策があげられていたが、屋外競技なのに日中に開催する場合も多々あり、整合性があまり感じられない。運動量を考慮した対応という見方もあるのだろうが、決して運動量の少なくないサッカー女子の決勝は11:00開始予定だし、マラソンと過酷さで大きな差があるとは思えないトライアスロンの開始時刻も7:30/8:30だ。そもそも、日本の7月が酷暑なのはこの数年に限った話ではなく、少なくとも10年前には似たような状況だったはずだ。酷暑対策が必要なら7月にオリンピックを開催すること自体が間違っていると言えそうだ。

ステレオタイプの○○像による弊害

 ハフポストの連載企画・ 村橋ゴローの育児連載「ワンオペパパの大冒険」 の9回目「 42歳おっさんの「孤育て」 平日の昼間、公園にいたらヘンですか? 」にはとても共感させられた。その書き出しにも  結婚して14年、掃除・洗濯・炊事といった家事のほぼすべてをボクが担当している。くわえて4年前に子どもが生まれてからは、育児も主にボクがやっている。 とあるように、村橋 ゴローさんは所謂ライター兼主婦業に勤しむ、云わば兼業主夫だ。子どもを通わせる保育園や、子どもと遊びに出かけた先の公園にいるのは殆どが母親で、ひどいとは言えないレベルかもしれないが、彼が少数派の家事・育児を家庭内で主に担う男性であるが為に、それらのコミュニティが女性の社会であるが為に感じる疎外感について、半ば愚痴るようなニュアンスで書かれた記事だ。

無駄=悪、という価値観は必ずしも正しいとは言えない

 朝日新聞が4/11に「 大学入学式、スーツ黒一色の謎 減点嫌う社会を反映? 」という記事を掲載した。記事では今年の早稲田大学と明治大学の入学式の写真を掲載している。タイトルの通り、そこに映っているのはまるで制服かのように黒いスーツ一色の新入生たちだ。真相は定かでないが、自分にはこの記事が掲載された背景にはある一つのツイートがあると感じている。それはこのツイートだ。 入社式、すげえな日本… 普通年が逆だろう pic.twitter.com/r4z8bnApMi — Tokkuns (@tokkuns1917) 2019年4月4日  このツイートは大きな注目を浴び、自分のフォロワーの何人かも反応を示しており、自分のタイムラインにも複数回流れてきた。このツイートがされたのは2019年4/4だが、転載されている写真の記事は2010年の記事である。まず、何新聞の何という記事の画像なのか、いつの記事なのかについて全く当該ツイートに掲載がなく、明らかに引用とはいえない転載で、恐らく元記事を2010年に書いた日経新聞の許可も得ていないのだろうから、まずその不適切さを指摘したい。転載が意図的であるか否かに関係なく、せめて引用元ぐらいは掲載するべきだ。  少し検索すると、当該日経新聞記事に触れている、2012年に書かれた「 JAL入社式から見える時代の変化 」というブログ投稿が見つかる。恐らくその記事の画像をわざわざトリミングしているであろうと考えると、意図的に無断転載しているのだろう。それはツイッターに文字数制限があっても許されるべきでなく。最低でも日経新聞の記事からの引用であることは明記すべきだ。

「菜食であることはメンタルヘルスにもよい」は本当か

 以前にも書いたことがあるかもしれないが、 動物愛護的な観点を背景に菜食主義やビーガンになる人の価値基準に自分は全く賛同できない 。全ての菜食主義・ビーガンがそうではないだろうが、菜食主義・ビーガンの中には「動物を殺して食べる」という事は道徳に反する行為だと考えている人が決して少なくない。しかし彼らも何かを摂取しないと生きられない。だから彼らは動物は食べないが野菜・植物は食べる。自分は思う、 植物を食べることも「植物の命を奪って食べている」ことには変わりない 、と。  しかしその感覚を全面的に否定するつもりもない。単に賛同出来ないだけだ。現在の人間の世界では、基本的には他のどの動物を食べようがどんな植物を食べようが罪にはならない。しかし人間を殺して食べると概ね罪に問われる。他の生物には同種を食べる・共食いをする種もいるし、人間も飢饉等の極限状態では共食いする側面を持ち合わせている。しかし原則的に現在の人間社会では、人間とそれ以外に食べても良い/悪いのラインがある。つまりそのラインをどこに引くかという問題なので、植物の命を奪って食べるのはOKだが、広い意味で人間と同じ括りになる動物の命を奪うことに疑問を感じて「動物の命を奪わない」 という主義を掲げる事がそれ程不自然とも言えないかもしれない。

嘘を重ねれば重ねる程、信用されなくなるのは当然

 韓国による福島などの水産物輸入禁止措置に関する、WTO:世界貿易機関での紛争処理の最終審で、韓国の措置を妥当とする判決が下された。これを受けて菅官房長官が会見し、彼が「 (日本の)敗訴との指摘は当たらない 」という見解を示したことが話題になった( ロイターの記事 )。この見解が妥当なのであれば、最高裁の判決に関して、「○○勝訴」とか、「○○逆転敗訴」なんて見出しを掲げると主張を認められなかった側から、「今後も示談交渉を求めていくつもりなので事実と乖離している、中傷に当たる恐れもある」なんて言われかねないと感じる。つまり荒唐無稽な話と言わざるを得ない。別の視点で考えれば、 こんなバカげた見解を示す事も、日本側が「日本産品は安全」と言っても信用して貰えず、未だに複数の国や地域で原発事故に起因する輸入制限措置が続けられている理由 の1つのように感じられる。   「認めなければ負けじゃない!」と言い張るのは、単なる国民、というか積極支持者へ向けた支持率維持を目論んだアピールでしかなく、その副作用をよく考えて欲しい。

合理的な批判と誹謗中傷の区別がつかない人達

批判はいい。でもわざわざその当人のアカウントまで乗り込んでいって小馬鹿にしたり罵詈雑言を吐いたりって真似はよしなよ。仮にその相手が間違っていたとしても私はそう言う人間にはなりたくない。いじめはいけないなんて言いながらやっていることは同じだ。それに匿名で、卑怯だ。子供に誇れない行為 — 志らく (@shiraku666) 2019年4月11日 という、落語家・立川 志らくさんのツイートがタイムラインに流れてきた。志らくさんが事実を正しく認識しないままに厳しく人を批判、つまり適切とは言えないような批判をしているのもしばしば見かけるのだけど…と感じつつも、誤解・誤認は誰でもあり得ることで、それを指摘された際に素直に受け入れて「誤認だった」と表明している場合もあり(ただ、誤認と認めない場合もある。しかしその中には誤認か否かが明確に判断し難い案件もある)、要するに何が言いたいのかと言えば、(当然のことなので本来はこんな前置きをする必要もないのだが、)自分と志らくさんの考えは常に同じではないが、このツイートには共感できた。

エイプリルフールが終わっても続く政府・首相の嘘

 4/2の投稿にはエイプリルフールに因んで「 4/1だけでなく年中エイプリルフールの国になっている日本 」という見出しを付けた。2019年の第1四半期を振り返り、その3カ月で首相や政府がついた嘘、その3カ月の間の出来事にまつわる首相や政府がこれまでについてきた嘘をまとめ、そして4/1に政府が5/1から使用するとして発表した新元号に関して、メディア、特にテレビ報道が、和暦・元号の使用、新元号を歓迎する人達だけを報じ、歓迎しない人達を全く報じないことも、テレビが虚構を作り上げて放送しているようで如何にもエイプリルフール的だったと書いた。因みにテレビ報道はエイプリルフール・4/1が終わっても同じ様な姿勢の報道を続けており、4/1の見出しは、その時点では政府や首相がエイプリルフール以外も嘘をつきまくっているというニュアンスを込めただけだったのに、結果として、政府や首相だけでなくメディア、特にテレビ報道も「4/1以外も嘘をついている」という意味になったと今は感じる。  また、この数日間で、やはり政府や首相は「 日本を、4/1だけでなく年中エイプリルフールの国にしている 」と再確認させられたので、ほんの数日前・4/1に 2019年版政府首相の嘘第1集 をまとめたばかりだが、今日はそのことについて書くことにする。

○○らしさの表現、○○らしさの押し付け

 BuzzFeed Japanの記事「 りゅうちぇるが「平成に置いていきたい」5つの言葉」 で最初に挙げられている「平成に置いていきたい言葉」は、 「男らしさ」「女らしさ」 だった。 次に挙げられたのは「普通」なのだが、厳密に言えばこの「普通」もステレオタイプの市民像というニュアンスで語られており、結局のところ、「男らしさ」「女らしさ」という性別のステレオタイプに限らず、全ての○○らしさに関する負の側面、それが押し付けられる事への違和感・疑問についてりゅうちぇるさんは指摘しているようだ。   3/9の投稿 でも書いたように、ハフポストは3/8が国際女性デーだったのに関連して「 #わたしを勝手に決めないで 」という特集を組んでいる。その特集記事の1つに「 女だから。男だから。 性別で、自分や相手を縛るのはもうやめよう 」がある。自分はこの記事、  ステレオタイプの男らしさ、女らしさの実質的な強制もいらないが、大人から見た学生らしさの強制もいらない。大人が言う学生らしさって、大概大人に逆らわない学生のことでしかない とコメントした。 誰かから見た○○らしさを押し付けられるのは嫌だし、当然自分も、自分が考える○○らしさを誰かに押し付けてはならない と考えている。しかしそれは、 ○○らしさを一切論じてはいけないという意味ではない。あくまで「押し付けてはいけない」だけ である。

「安倍政治を終わらせる」というスローガンのダメさ加減

 統一地方選の第1弾・知事/政令市長/道府県議/政令市議選の投開票が4/7に終わったばかりだが、第2弾・市区長/市区議/町村長/町村議選 の告示が来週以降段階的に行われ、4/21に投開票が行われる予定である。また統一地方選の第2弾と同時に、大阪・沖縄の衆院補選も行われることになっており、こちらは昨日・4/9が告示日だった( 読売新聞の記事 )。   大阪12区の衆院補選には元共産党の宮本議員が無所属として立候補 して一部で注目されている( 日経新聞の記事 )。彼のツイートによれば、 大阪12区衆院補選に立候補した宮本たけし。 参院議員1期6年、衆院議員4期10年の現職共産党議員が、その職を辞して、あえて無所属となって挑戦する🔥 なぜ、こんな無謀ともいえる決戦を挑むのか。獲りたいのは共産党の議席じゃない。「本気の共闘」のビッグウェーブだ。大阪から日本を変える! pic.twitter.com/vbXcr5P2vb — 宮本たけし (@ohsakamiyamoto) 2019年4月9日 野党の結束を促すという目的で無所属としての立候補を選んだようだ。

スタグフレーションの恐れを指摘するメディアの少なさへの疑問

 今朝のMXテレビ・ モーニングCROSS で、20代が注目したニュースとして「 消費者心理 6か月連続悪化 商品値上げ影響か 」という話を取り上げていた。内閣府や日銀が景気が悪いと感じている人が増えているという調査結果を発表したという話だった。実質賃金が上がらない、賃金自体は微増しているが、それを超えて社会保障費の負担が増えていたり、それを超えて物価が上昇しており景気が良いと感じられない、というか景気が悪いと感じる人が増えているという話だ。しかも今年・2019年10月には消費増が従来の8%から10%へ引き上げられる予定で、実質賃金は更に減少し、景気が悪くなったと感じる人は更に増えそうだ。

「バイトテロはテロリズムか」言葉の重みを考える

 「 "バイトテロ" 10人に1人の学生バイトが「見たことある」 」。ハフポストが4/7に掲載した記事の見出しだ。深刻な企業イメージの悪化を招きかねないアルバイト従業員による不衛生・不適切なSNS投稿を、以前は愚かなツイッターへの投稿のようなニュアンスで「バカッター」などと呼んでいた。一時鎮静化していたこのような行為は、昨年ごろから再び話題になり、この第2期から、当該企業に億単位の損害を与える行為であることなどに注目したのか、アルバイトによるテロ行為のような意味合いの「バイトテロ」なるスラングが浸透し始めている。  記事は見出しの通り、所謂バイトテロについての調査を紹介する内容なのだが、ハフポストがゴシップメディアではなく、報道機関を自認しているのなら、軽々しくテロという表現を使うのは如何なものかと考える。

隠そうとしたことによって余計に目立たせる、という矛盾

 最近ツイッターでよく見かける「 このツイートは表示できません 」の表示。詳しく調べた訳ではないが、一説によるとフォロワー以外に対してツイートを非公開にしているアカウント、南京錠のアイコンが付いている事から通称・鍵アカなどと呼ばれる状態のアカウントによるツイートが、公開範囲外の人にはこのように表示されているらしい。この話が事実であれば、以前はこの表示は殆ど見かけなかったので、これまで非公開ツイートの存在自体を表示していなかったのをツイートの存在だけは表示するような仕様変更がなされたのだろう。 「このツイートは表示できません」←じゃあ最初から表示するな — ねーきっど (@TWUNEI_KUSO) March 28, 2019  本当にそう思う。表示できないならそもそも「表示できません」という表示すら必要ない。「お前にだけ教えてあげない」的なことをされた時に感じるのと同じ阻害感を煽っている。 隠した事が分かる隠し方 をするのなら、なぜ分かるように隠したかぐらいは説明するべきだ。ツイッター上でもどんな意図がある仕様変更なのかについて、前述の見解以外にも複数の見解が示されている。ツイッターの運営もどんな意図による仕様変更なのかを明示していないようだ。

人を動かす為の数字は、捏造することができるので注意が必要

 ある作家が新刊を出し、発売初日に大手書店チェーンの本店でサイン会を開くことになりました。 出版社のねらいは、サイン会を開くことで、その日のその書店での売り上げを瞬間風速的に伸ばして、「〇〇書店ランキング1位」という広告を出すこと でした。  そうです。 他の人たちの行動や評価を示す数字は都合よくつくりだすことができる のです。 BuzzFeed Japanが4/5に掲載した記事「 「1万人が認めたNO.1育毛剤」を買ってしまう理由 健康行動をうながす「数字」の使い方 」の中の1節だ。 この記事は、医学・医療に関する情報を、如何に適切に・正しく患者や専門家ではない者に伝達するか、ということと、説明に説得力を持たせるには数字で示すのが最も効果的だが、人を動かす為の数字は捏造することができるので注意も必要だ、ということが書かれている。  治療や医療・美容・健康食品の宣伝には、大袈裟に感じられる数字が用いられやすいように感じる。自分が検証を行った訳でも、何かの調査を参照した訳でもないのであくまで個人の主観でしかないが、医療や美容や健康関連商品の場合、他に比べて特に不安を煽ってから「こんなにたくさんの人が既に使っている」と訴えかけ、さらに「今から30分以内なら更にお得に!」と、つまり商品を注文しないことが大きな損失かのように畳みかける場合が多いのでそう感じられるのかもしれない。  「今から30分以内ー」という手法は医療・美容・健康関連以外の商品でも用いられるので、それ以外の通販、特にテレビ通販全般にその傾向は感じられる。

塚田忖度発言について

 塚田国土交通副大臣が、4/1に北九州市で開かれた福岡県知事選挙の候補者の集会で、問題発言をしたという報道が、4/3に多くのメディアによってなされ、大きな注目を集めた。問題発言とは、「 麻生副総理大臣の地元・北九州市と安倍総理大臣の地元・山口県下関市を結ぶ道路の整備について、彼らの思いを忖度して国直轄の調査計画に引き上げた 」という趣旨だった。塚田氏の発言によれば、彼と安倍・麻生両氏の間に、吉田参議院幹事長と大家 敏志参議院議員が仲立ちとして介在しているような表現ではあったが、つまりは安倍・麻生両氏の思いを忖度して塚田氏が道路整備計画を国直轄案件にしたという意味合いと解釈しても問題のない内容だ。  昨年来自分は、NHKの報道・特に政治報道に強い不信感を持っている。 3/8の投稿 など、複数回このブログへもその思いを書いてきた。例えば、 3/28の投稿 で書いたように、  辺野古の埋め立て予定海域の軟弱地盤の存在について、菅官房長官は1/21の記者会見で「私は承知していない」と述べが、3/27の参院予算委員会では「本年1/18、防衛省の担当局長から報告を受けた」と説明したという、誰がどう聞いても明らかな矛盾・嘘としか言いようがないことに対して、菅氏が「 どちらも正しいと思っている 」「 これはある意味で、虚偽じゃない 」と述べた ことについて、自分の知る限りNHKは報道をしていない。 なので、塚田氏の件に関してもNHKは積極的に報じないんだろうと思っていた。

社会の役に立つか否か、という評価基準の危険な側面

  4/2の投稿 で「 新元号に浮かれている人たちだけをテレビが映しているのは、エイプリルフールに因んだ悪い冗談だろう 」と書いた。しかし翌日以降も同じ様な傾向はずっと続いており、決してエイプリルフールに因んだジョークでも何でもなく、テレビ報道の、 新元号や、和暦の使用について冷ややかな人達の存在を無視する方針 は日増しに鮮明になっている。4/1は新元号が発表されただけで、実際に新元号へ切り替わるのは5/1だ。ということは少なくともあと1か月、実際にはその後少なくとも数週間はこの状況が続くのだろう。テレビという大メディアが、恐らく多数派(実際のところは定かでない)であろう浮かれた人達にだけ注目し、冷ややかな人達が全く存在していないかのような虚構を放送しているのを見るのは、自分も冷ややか派なのでとてもストレスだ。  「 ストレスになるなら見なければいい 」という話もあるだろう。勿論極力そうしているが、それでも不意に目に入ることもある。また、民放なら「好みでないなら見なければいい」という話も理解は出来る。しかし 強制的に視聴料を徴収しているNHKに関しては「嫌なら見なければいい」で話が済む筈がない 。

「国会が有意義な政策議論の場になっていない」のは誰の所為?

 2013年に特定秘密保護法を成立させて以降、2015年の集団的自衛権の行使容認を含む安全保障関連法、2016年のカジノIR推進法、2017年の共謀罪法、2018年の働き方改革関連法、改正入管難民法など、今の政権と与党は数の力を背景に、充分な議論がなされないまま採決を強行するという姿勢が目立っている。与党支持者らの目には強行採決には見えないのだろうが、例えば戦後これまでどの政権も集団的自衛権の容認は憲法9条の規定に反する恐れがあると解釈してきたにも関わらず、最も憲法に縛られるべき国家権力の中枢である内閣が、憲法の条文を改訂するという作業をすっ飛ばして解釈の変更だけでそれを容認し、それがなければ成立しなかったであろう安全保障関連法の採決は、どう考えても合理的な説明がなされたとは言えず、強行に採決が行われたとしか言いようがない。  事実として安全保障関連法については成立後に内閣の支持率と不支持率が逆転した。それを受けて首相は、「理解が得られるよう丁寧な説明を今後も続けていく」などと述べていたものの、その後安全保障関連法について「丁寧な説明」が行われた記憶は全くない。その後内閣支持率と不支持率が再び逆転したことも、その2年後の衆院選で再び与党自民党が大勝したことも事実ではあるが、それは「安全保障関連法に対する丁寧な説明の結果」でないことは、2017年の選挙で自民党に投票した者の多くが、経済政策をその理由に挙げていたことからも明らかだ。  つまり2017年の衆院選で自民党が大勝したのは、 2018年12/21の投稿 でも示したように、「 現政府・与党は選挙だけは上手く、政策の内容・政治的方針への支持は兎も角選挙だけには滅法強い 」、そして「 現野党勢力が目も当てられない程選挙下手 」ということの結果でしかないだろう。

4/1だけでなく年中エイプリルフールの国になっている日本

 ホンダカナダは、4/1・エイプリルフールに因んで、「 Polite Horn/ 思いやりクラクション 」と「 Seatbelt Buckles/ シートベルトバックル 」という動画をYoutubeで公開した。前者は、通常のクラクションだと不要な軋轢を生むことがしばしばあることから、咳払いの音がするクラクションを採用したという内容で、後者は味気ないクルマのシートベルトの留め具を飾るオプション装備という設定のようだ。咳払いの音のクラクションでも連打されたら軋轢は生まれるだろうし、そもそも咳払いの音では周囲の雑音に紛れてしまう恐れがあり、警告音として役に立ちそうにない。また金属性の豪華なバックルをシートベルトに付けたら、万が一の衝突の際に身体を損傷させる恐れがある。つまり これらはエイプリルフール用のネタ だ。

続・薬物使用=即依存症という誤解について

 昨日の投稿の中で、BuzzFeed Japanが3/30に掲載した「 ピエール瀧さんを私がバッシングしない理由 深澤真紀さん、松本俊彦さん薬物報道を斬る(1) 」という見出しの記事について書いた。その部分の冒頭でも書いたように、何回かに分けての連載記事だろうから、この初回だけで記者や対談者らの主張を判断すべきでないのかも、とも思いつつも、とりあえず初回の記事を読んだ感想でブログ投稿を書いた。そのさわりを説明すると、  メディアや報道の在り方に対する記者・対談者2人の見解には強く賛同する  しかし、記事の前提となっているように見える 「厳罰でなく治療を」という見解は必ずしも正しいとは思えない という内容だ。詳しくは 昨日の投稿 で確認して貰いたい。  BuzzFeed Japanは3/31にこのシリーズの第2弾「 1999年がターニングポイント? 時代と共に変わる意識 深澤真紀さん、松本俊彦さん薬物報道を斬る(2) 」を掲載した。この回でも結局「 厳罰でなく治療を 」が重要だという話が、 薬物事犯で逮捕される者が総じて治療が必要なレベルの中毒・依存症 かのような前提で進められていた(少なくとも自分にはそう見えた)ので、再び同じテーマの投稿を書くことにした。因みに、まだ読んでいないが、第3弾の「 厳罰主義が広がる時代 クラブカルチャー、そして若い世代への影響は? 深澤真紀さん、松本俊彦さん薬物報道を斬る(3) 」も既に掲載されているようだ。この投稿は3/31夜の時点で書いた下書きを元にしているので、今日・4/1に掲載された第3弾については勘案していない投稿内容になっている。